ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

携挙とは

 

  テサロニケ第一4:13~17

  「眠った人々のことについては、兄弟達、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。

  私達はイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスと一緒に連れて来られるはずです。

  私達は主のみことばの通りに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私達が、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

  主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めに甦り、次に、生き残っている私達が、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私達は、いつまでも主とともにいることになります。」

 

  イエスはいわれました。「わたしは甦りであり、いのちです。わたしを信じる者は、死んでも甦り、永遠に生きるのです。」

 

  イエスを信じて墓に入った者は、イエスのように復活して、イエスとともに天から来ること、また、主が再臨される時まで生き残っている人々が死んでいる人々よりも先にイエスにお会いすることは無い、というのです。

 

  イエスが再臨される時には、イエスを信じて死んだ人々がすでに復活しているようです。地上で生き残っている人々は、イエスの約束通りに霊のからだで復活した兄弟姉妹とも再会し、彼らとともにキリストが治められる地上の神の国に集められるのです。

 

  これらのことは、イエスが再臨されるときの様子を言っているのです。

 

  これらの話の後に、この再臨とは別の話がされています。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、キリストが天から下って来られます。そうすると、キリストにある死者(キリストを信じて死んだ者)が墓から甦り、次に、生き残っている者達が、甦った彼らとともに一瞬で雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うことが書かれています。

 

  この部分を「携挙」と呼んでいます。主イエスが地上に再臨されるのとは違う出来事であす。携挙では、引き上げられた聖徒達が空中で主と会うのです。この出来事の事を、空中再臨と呼びます。

 

  同じ神から出た契約にも旧約聖書と新約聖書があるように、主が再臨される出来事にも、空中再臨と地上再臨があるのです。

 

  空中再臨は、キリストを信じる人々のためであり、地上再臨は、神の民であるユダヤ人のためです。地上再臨によって、ユダヤ人に約束されたことはすべて成就します。土地の契約も、祭司の王国の国民となることも、世界中の国々の上に立つ王の民として、あらゆる国の国民に尊ばれ祝福となることも成就します。

 

  その時、イスラエルは回復し、神の民として完全なものとなり、神の喜びと誉れとなるのです。

 

  多くの教会は携挙を信じません。多くのクリスチャンは、携挙の話を聞いたこともありません。聖書に携挙の言葉が存在しないから、信じないし、聖書的では無いと言います。しかし、聖書に三位一体という言葉は書かれていないのに、三位一体の神を信じ、聖書の神は三位一体の神だと告白しています。

 

  このことは、隠された奥義なのです。御霊によらなければ知ることは出来ません。聖霊のバプテスマを受けて、御霊を宿す人々が、御霊に教えられた隠された真理です。御霊によらなければ啓かれません。

 

  旧約聖書の預言書でも、新約聖書のヨハネの黙示録でも、また、イエスご自身も終わりの時代について語っておられます。

 

  民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。人々は、神の民ユダヤ人やキリストを信じる人々を憎み、迫害し、殺します。偽預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。神の聖徒達も惑わされ、救いを失う者も現れます。不法がはびこるので、多くの人達の愛は冷たくなります。

 

  天変地異が起こり、人々は恐怖のあまり、血の気を失います。これを、クリスチャンは、患難時代と呼びます。

 

  キリストは、キリストに忠実に仕えて来た人々を世から救い出してくださるのです。それが携挙です。聖霊のバプテスマを受けて御霊に教えられる人々が信じる携挙です。

 

  全地を天からの水で滅ぼすと決めた神は、ノアとその家族に箱舟による救いを用意されました。ノアとその家族は、神のことばを信じて神のことばに従い、箱舟を造って、洪水の滅びから免れました。

 

  暴虐に満ちたソドムを天からの火で滅ぼすと決めた神は、アブラハムの執り成しによってソドムに御使いを送り、アブラハムの甥のロトとその家族をソドムの町から連れ出して火の滅びから救い出されました。

 

  終わりの時代、これから起ころうとする患難は神が定めておられるものです。誰も逃れることは出来ません。しかし、神はこの患難の世から神の聖徒達を救い出すことも決めておられます。世から取り去るのです。キリストが天から来て、聖徒達を御霊とともに引き上げ、天に連れて行かれるのです。生きたまま、安全な場所に移されるのです。

 

  しかし、このことは御霊を持つ者にしか明かされてはいません。ノアの時代もロトの時代も彼ら以外には知らされていませんでした。

 

  復活したキリストが、弟子達に会ったときに「聖霊を受けなさい」といわれました。十字架にかかられる前から、イエスが弟子達に語っておられた真理の御霊のことです。御霊は、イエスのことばを思い起こさせ、教え、キリストに仕えさせて聖徒を整える働きをするお方です。

 

  この御霊によらなければ、誰も真理を見極めることは出来ません。キリストを愛しても、御霊を持っていなければ、世の人々の愛とさほど変わりません。疑いと不安が伴います。信じるように努力しなければなりません。御霊が持つ天上の喜びがありません。

 

  キリストが命じられたように聖霊のバプテスマを受けた者は、御霊によって新しく造り変えられて、御霊が創造される平安と喜びと賛美と感謝に溢れ、その人のうちから生ける水(いのちの言葉)が流れ出るようになるのです。その人のうちに、人を生かす御霊がおられるからです。

 

  滅びの世から引き上げ救い出してくださるキリストの携挙を信じ、待ち望む人々は、自分の十字架を負って御霊に従い、イエスのために生きる者となります。祈りつつ、御霊によって造り変えられる神の聖徒としての歩みをするのです。

 

  すべて御霊のわざです。