ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威②ー聖書のテーマって何ー


  聖書のテーマは何でしょう。


  それは、神の御子イエス・キリストであり、永遠のいのちです。  

  この神の御子イエスを世に現すために、人類の歴史の中には幾つもの雛型が置かれています。


  ノアの箱舟では、大洪水が来た時、神に従って箱舟を作って備えをしていたノアとその家族は救われ、他の人々は洪水で滅びました。

  神を畏れ信じ従うノアを、箱舟に入れて他の人々と区別をし、大洪水から救い出して下さったのです。

  このように、神が遣わされた神の御子を信じ従う者を、神は滅びの災いから守り、救い出されるのです。


  四百年間、奴隷であったユダヤ民族を、奴隷の家エジプトから救い出して、神は、彼らの父祖アブラハムに約束されたカナンの地(イスラエルの地)に導き上られました。

  その六百年程前、アブラハムにカナンの地を与えると約束された全能の神は、土地の契約のしるしとして、「あなたの子孫は四百年の間、他国で奴隷として苦しめられる。その後、四代目の者達がここカナンの地に戻って来る」といわれました。

  カナンの地がアブラハムの子孫のものとされるという約束でした。そして、この土地と子孫、祝福の契約は、アブラハムと妻サラのひとり子、イサクに継承されました。

  そのイサクの息子ヤコブとヤコブの十二人の息子が大飢饉の中でエジプトに移住し、彼らの死後、彼らの子孫がエジプトの地で奴隷となったのです。

  奴隷の家エジプトからヤコブの子孫(イスラエル民族)を救い出すために、神はモーセを立てられました。

  大いに役立つ奴隷を手放す事を拒むエジプトに対して、神は十の災いを下されました。十番目の災いでエジプト人は、イスラエル人に「出て行って下さい」と懇願しました。

  その災いとは、エジプト中の初子、人の初子も家畜の初子も皆、死ぬという災いでした。

  イスラエル人には、家の二本の門柱と鴨居に羊の血につけるように命じられました。

  その夜、主がエジプトの地を行き巡り、エジプトの地の初子を打たれました。しかし、鴨居と二本の門柱にある血をご覧になると主はその戸口を過ぎ越され、その家には災いは起こらなかったのです。ーこの主は、肉体を持つ人の子(イエス)として地に遣わされる前の神の御子だったと言われていますー

  こうして、イスラエルは主がエジプト人とイスラエル人を区別されるのを知ったのです。

  神はイスラエルを奴隷の家エジプトから救い出して、アブラハムに約束したカナンの地(現イスラエル)に導き入れたのでした。

 このように、神が遣わされたキリストを信じる者、キリストが十字架で流された贖いの血を受ける者は、死が過ぎ越され永遠の神の国に入るのです。


  キリストを生んだユダヤ民族に与えられたもう一つのしるしは、三日三晩大魚の腹の中にいた預言者ヨナです。

  陸地に吐き出されたヨナは、神に従いイスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネベに行って、イスラエルの神のことば「もう四十日すると、ニネべは滅ばされる」と一日中歩き回って叫びました。

  ニネベの王の命令で、民は断食して悪の道と暴虐な行いを悔い改めると、神は、彼らに下すといわれた災いを思い直して、滅ぼすのをやめられたのです。

  このように、神が遣わされた御子は、死んで三日三晩墓に入り、墓から甦られました。ユダヤ人に与えられた救いの約束は、復活のキリストの福音として、異邦人にまで及んだのです。

  十字架で血を流し人類の罪の赦しのために生贄の小羊となられた主、贖いのキリストを心に迎え、悔い改めて神に立ち返る者は、神の契約を持たず律法が与えられずに神から遠く離れていた国民であっても、死は過ぎ越され、永遠に生きる神の子とされるのです。


  神はご自分のひとり子を愛しておられ、御子を愛する者を愛されます。御子を愛する事は、御子を遣わされた神をも愛する事であり、神に愛される事なのです。

  聖書は、神の御子キリストの事を書いています。 

  御子を愛する者、御子に従う者、御子と一つ心となる者、へりくだる者達を集めて神の子とし、神の国を相続させるのです。

  聖書は、創造主が、ご主権をもって定められた新しい天と地に入れるために、それに相応しい者とするように、人を造り替えて養育し訓練し整えるための書物です。


  テーマは、神の御子イエス・キリストによる永遠のいのちです。

  メッセージは、「赦しと愛」です。

 

  神の子羊イエスが人の罪を贖って人の罪が赦された事と、神の御子イエスを愛する者は神に愛され、永遠のいのちを受けて神の子とされると言う事です。

  イエスはいわれました。

  「人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」


  「神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」
    
  人の救いのためにご自分の命を捨られたキリストの愛を信じ、神の愛を知った者のうちに、御霊が与える愛が芽生えるのです。

  聖書のことばの種が人の心に蒔かれ、根を張り定着すると、芽が出て成長し、成長した木は芽吹き、花が咲き、実を実らせます。

  この過程のどの段階にあっても、神はその人のうちにイエスへの愛を見つけられるのです。

  どんなに小さく弱々しい愛であっても、神は知っておられます。

  傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すことのないキリストは、その愛を守られます。