神はモーセを通して、イスラエルに語られました。
「主の御声に聞き従い、主の命じるすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主の命令と掟を守り行わないなら、あらゆる災いがあなたに臨み、あなたは呪われる。
わたしは、いのちと死、祝福と呪いを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」
神の語られた事が、ことごとくユダヤ民族の上に起こりました。
神は、約束したメシアの到来について、様々な世代のユダヤ民族に語って来られました。神が遣わされた時、その人がメシアだと分かるためでした。
ユダヤ民族は苦しみの中でメシアを待ち望んでいました。
しかし、キリストが現れたのに、彼らはイエスがメシアだとは認めませんでした。彼らは、永遠に死なないメシアを信じていました。
イエスは罪人として十字架にかかって死にました。メシアが死ぬはずは無いのです。キリストの復活も信じませんでした。彼らは、弟子がイエスの体を墓から盗んだのであって、復活は無かったと考えました。
多くのユダヤ人はイエスを信じることなく、神が遣わされたキリストを拒絶しました。それで、神は怒って、彼らを世界に散らし、イスラエルの地から追い出されました。
彼らは、国を失い、滞在先の国々で、忌み嫌われ、迫害を受け、辱められました。
しかし、ユダヤ人の中にも、イエスが神から遣わされたキリストであり、メシアであると信じる人が起こされて、回復の時を迎えました。
神が初めに契約を結んだアブラハムに語られた約束「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」は、ヤコブの子イスラエルが、神の契約とともに受け継いでいました。
これは、大事な事です。
イスラエルを祝福する事で聖書の神に祝福され、イスラエルを呪う事で神の呪いを受けるというのです。
いのちの道には、呪いはありません。いのちを選ぶなら、イスラエルへの呪いを手放さなければなりません。
実際にイスラエルを祝福する人々の思いは明るくなり、真理に目が開かれています。イスラエルを祝福する牧師の語るメッセージは、いのちの食物です。
神の生贄は、神に立てられた祭司によって献げられなければ、効力を持ちません。祭司でない者が祭壇に立つなら、神はその生贄を受け取られません。それどころか、呪いを受ける事になります。
神の祭壇に仕える者は神が定めておられます。それ以外の者が行う事を神は認めておられません。
神に祭司の国として立てられたイスラエルで、ユダヤ人の訴えによって、イエスは十字架にかけられたのです。それで、神に受け入れられたのです。
イエスは、祭司の国民によって、神の生贄の子羊となられたのです。それで、その祝福が、全人類に及んだのです。
その事を知り、イスラエルを祝福して、いのちの道を選びましょう。イスラエルに敵対しない者は、イスラエルの味方です。
ユダヤ民族は、十字架のイエスがキリストである事を信じる事で、いのちの道を選ぶ者となります。
キリストを信じる異邦人は、イスラエルを祝福する事で、神の祝福を受けるいのちの道を歩むのです。