ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威㉙ー献金ー


  旧約聖書のマラキ書に書いてあります。

  「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。

  『どのようにして、私達はあなたのものを盗んだでしょうか。』

  それは、十分の一と奉納物によってである。

  あなたがたは呪いを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

  十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試して見よ。

  わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、溢れるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか試して見よ。

  わたしはあなたがたのために、いなごを叱って、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑の葡萄の木が不作とならないようにする。」

  主は、モーセに命じられました。

  「地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。」

  モーセは、主の命じられた事をイスラエルに語りました。

  「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年献げなければならない。」

  「主は、レビ族には、彼らが会見の天幕の奉仕をするその奉仕に報いて、イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与えられる。

  イスラエル人が、奉納物として主に供える十分の一を、主は彼らの相続財産としてレビ人に与えるからである。」

  「レビ人は、イスラエル人から十分の一を受け取るとき、受け取るすべてものの十分の一を、主への奉納物として供えなさい。レビ人へのすべての贈り物のうち、最上の部分の中から主への奉納物を供えなさい。」

  これらは、神が神の民に命じた命令でした。これは、主が来られるまで守り続ける、神の民の守るべき掟です。


  イエスもいっておられます。

  「あなたがたに告げます。天地が滅び失せない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれる事はありません。全部が成就されます。

  だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。

  しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」

  この命令は、ユダヤ人のものであって、新約の異邦人は、十分の一の献金はしなくてもいいのでしょうか。


  異邦人の使徒として召されたパウロは言いました。

  「モーセの律法には、『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。』と書いてあります。いったい神は、牛の事を気にかけておられるのでしょうか。

  それとも、もっぱら私達のために、こういっておられるのでしょうか。むろん、私達のためにこう書いてあるのです。

  何故なら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。

  もし、私達が、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。」

  霊的な務めにいそしむ教会に、神の民は主に対して献金をします。


  聖書は、ユダヤ人から受け取ったものです。異邦人はユダヤ人からいのちのことばを受けたのだから、ユダヤ人に物質的援助をするように、と勧めているかのようです。

  
  アメリカの話だったと思います。随分前の事です。

  その牧師の地域に洪水が起こりました。すると、幾人かの信者がすべてを失って、教会に助けを求めにやって来ました。

  こうしてやって来る信者に、牧師は同じ質問をしました。

  「あなたは、十分の一献金をしていましたか。」

  それらの人達は皆、十分の一の献金をしていませんでした。

  この牧師は、十分の一の献金の大切さを教えて下さいました。

  神は、知っておられるのです。何故なら、この十分の一の献金は、主ご自身のものだからです。献金は牧師にするのでもなく、教会にするのでもなく、主にしているのです。

  十分の一の献金をしていない事は、主のものを盗んでいる事なので、祝福が受け取れないのです。

  私は、このメッセージを聞いてから、毎月入る給与の総額の十分の一は最初に取り分けるようにしました。

  十分の一の献金をしている人は、あまり病院代を使う事もなく、何か不思議と神の守りの中、過ごしている気がします。


  また、韓国の牧師の証です。

  その教会では新聞社も持っていて、格安の低地を購入して、大きな新聞工場を造りました。高額の機械も沢山置いていました。

  大型台風が来た時の事です。誰もがその工場のある低地の地区が浸水すると思っていました。

  牧師は、寝ずに一晩中、神に祈り続けました。

  「新聞社の働きは、神の働きです。あなたがせよ、といわれたからやっています。私のものではありません。あなたが守って下さい。

  浸水したら、高額な機械もすべてが駄目になってしまいます。新聞工場を守って下さい。」

  奇跡が起こりました。

  工場の敷地を島にして、水は川のように周囲を流れて行った、というのです。

  その教会は、他の国々のために、また、教会以外の主の働きのために多くのものを献げている教会でした。


  パウロが言っているように、教会に集められた献金の中から、主への奉納物として、聖書の民に献げる事は、異邦人教会の祝福なのではないか、と思います。