ある婦人の証です。
ご主人は、熱心な神道の氏子でした。毎日神棚に手を合わせていました。また、相当な頑固者で、家長として君臨していました。
奥さんが洗礼を受け、クリスチャンになった事で益々意固地になって、すぐに雷を落とすようになりました。
何でも、自分の思い通りにならなければ、すぐに怒り出して、その嵐はなかなか収まりません。
婦人は、ご主人の救いのために、始終祈っていました。しかし、祈れば祈るほどに、益々怒りまくり、収拾がつきませんでした。
婦人は、聖書の中のことば、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」を握って、それでも、主にすがり祈り続けました。教会の人々も祈っていました。
悪魔がご主人を怒らせ、支配している事を知ったその婦人は、イエスの御名でご主人を支配している悪霊を𠮟りつけ、ご主人から出て行くように命じました。
ご主人の癇に障ると、30分でも1時間でもガミガミ怒鳴り続けました。仁王立ちに立っているご主人の前で、奥さんは正座し首を垂れて、ただひたすら心の中で祈り続けました。
悪魔がご主人の唇を使って、悪態をつきます。奥さんは、イエスの御名によって悪魔を𠮟りつけ、ご主人は主のものである事を宣言します。
何か月も続きました。それでも、婦人は弱りませんでした。教会の祈りに支えられて、主の約束と主を信じ、悪魔と戦い続けました。
ある日、突然、神棚の前に立っていたご主人は、何かが抜けて我に返ったように、「なんや、この神棚。なんで、ここにあるんや」と一言漏らしました。
すぐさまご主人自らが、神棚を取り壊し、廃棄しました。
それを見ていた婦人は、突然の事で、あっけにとられながらも、神が働いておられる事に気づくと、心の中で神を賛美しました。
その後、ご主人は教会に行き、キリストを信じて洗礼を受けました。
ご主人は、ヘビースモーカーでした。タバコをやめようと努力しましたが、何一つうまく行きませんでした。
ところが、今までおいしいと思って吸っていたタバコをいつも通りに口にくわえ、吸い始めてみると、何とも言えないまずいものとなっていました。
「なんで、こんなにまずいものを今まで吸っとったんや」というと、タバコを捨て、それ以来タバコは吸いません。
タバコは、ご主人に必要のないものとなったのでした。ご飯が美味しくなった、と喜んでおられます。
主イエスは、ご主人の魂を救われただけではなく、健康な習慣を与え、いのちを喜び楽しむ人に変えられたのでした。
それは、徐々にではなく、本人も何が起こったのかわからないし、説明できない状況で突然、起こったのでした。
神のわざは、人手によらず、突然臨みます。人が誇る事は出来ません。自分でやったとは言えません。神がなされたと神を讃えて、神の御力を証するだけです。
祈っても起こらないのは、神に力がないからではありません。神に祈りが届いていないわけでもありません。神は、神の栄光を現わす丁度よい時をみておられます。
『神の時』は、人々の心に主の栄光を映し出されるのです。人の喜びは、頂点に達します。神はそれをご覧になって、楽しまれるのです。