ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アブラハム イサク ヤコブ


  アブラハムが五十八歳位まで、洪水から箱舟で救い出されたノアは存命でした。
大洪水の出来事が風化する世にあって、アブラハムはノアから直接聞く機会があったのかも知れません。

  アブラハムは、目には見えないけれども働いておられる、生ける神を畏れる者でした。偶像崇拝ながらも、神を畏れる父テラの信仰心の部分を受け継いだようです。

  父テラは、目に見える偶像を神として、神を畏れていました。息子アブラムは、目に見えない霊の神を畏れました。

  神を霊で捉える事で、偶像には力がない事、偶像は本当の神ではない事、まことの神は人が作った偶像の中に納まらず、宇宙を造られた偉大で全知全能なお方である事を知ったのでしょう。

  神はこの正しい人、アブラム(アブラハム)と契約を結ばれました。神は、彼の子孫の祝福と、カナンの地(現イスラエル)を与える事、アブラハムの子イサクの子孫から世を救う子羊キリストが生まれる事を約束されました。


  イサクは父アブラハムが百歳、母サラが九十歳の時に生まれたひとり子でした。神から約束されたキリストを生む子です。愛情をかけて大切に育てました。イサクは父に守られ、おっとりとした育ちの良い子息として成長しました。

  イサクが三十半ばの頃の事でした。神は父アブラハムにモリヤの地で、イサクを全焼の生贄として献げるようにいわれました。

  イサクから救いの子が生まれる約束を頂いていたアブラハムは、神はイサクを屠った後でイサクを甦らせる事が出来ると信じて、焚き木をイサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、直ちに従いました。

  モリヤの地に着いて、生贄が自分である事を知ったイサクですが、父の信仰に従順に従いました。成人したイサクが、老人の父から逃げる事なく、従順に横たわりました。

  父アブラハムがひとり子イサクを屠ろうと刀を取った時、主の使いが天からいわれた。「あなたの手を、その子に下してはならない。今、わたしは、あなたが神を畏れる事がよくわかった。あなたは、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしに献げた。」

  神は、角をやぶに引っ掛けている一頭の雄羊を用意されました。アブラハムは、その雄羊を取り、イサクの代わりに、全焼の生贄としてそれを献げました。

  この時、神とアブラハムが結んだ契約は、神とイサクの契約として、イサクに継承されたのでした。

  イサクは争いを好む人ではありませんでした。イサクの僕が掘った井戸をその地の人々に奪われると、取り返すのではなく、そこから移って他の場所に井戸を掘りました。

  父アブラハムに愛されて育ったイサクは、父に絶対的な信頼を置いていました。何も疑う事なく、父に従順でした。それ故、全焼の生贄になる事もいとわなかったのです。

  イサクの信仰は、父アブラハムの信仰への信頼でもありました。イサク自身の神への信仰というよりも、父への信頼と父アブラハムの神への信仰でした。

  イサクは穏やかな人ですが、霊的に開かれた人ではなかったようです。妻リベカが身籠った時、神はリベカにいわれました。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

  双子の兄エサウは巧みな猟師、野の人となり、弟ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいました。

  猟の獲物を好む父イサクは、獲物を持ってくるエサウを愛しました。彼が最初に生まれた長子である、という理由もあったのかも知れません。

  母リベカは、神に約束された跡継ぎの弟ヤコブを愛しました。

  ヤコブは、母から神の約束のことばを聞いていたのかも知れません。兄が弟に仕える、と。しかし、現状は兄が長子であり、アブラハムの祝福はイサクからエサウに継承されてしまいます。

  ヤコブがレンズ豆の煮物を煮ている時、エサウが飢え疲れて野から帰って来ました。ヤコブは、お腹を空かせたエサウに、長子の権利と引き換えに煮物を与えました。

  エサウは、神に退けられるに相応しい愚かな人でした。エサウは煮物と引き換えに、長子の権利を弟ヤコブに売りました。それで、神の約束通りに弟のヤコブが、神とイサクの契約を継承したのです。

  また、神の約束を信じる母リベカは、年を取り視力が衰えてよく見えなくなった夫イサクをうまく騙して、弟ヤコブを兄エサウと信じさせて、イサクがエサウに与えるつもりだった祝福の祈りを、エサウになりすましたヤコブに与えてヤコブを祝福させました。

  それで、アブラハムの祝福もまた、弟ヤコブが相続したのです。

  イサクは兄エサウを愛していました。エサウと名乗るヤコブの声を疑い、何度も「おまえは、本当にエサウか」と確認しました。「本当におまえは、我が子エサウだね」と尋ねると、その都度、ヤコブは「私です」と答えました。

  ヤコブは、父を騙さないと、父イサクからの祝福は受け取れません。父は、自分をエサウだと思って、エサウを祝福した事を知っていました。

  イサクは、エサウだと思って祝福した子が、ヤコブだったと分かった時、激しく身震いしました。イサクの中には、妻リベカにいわれた、兄が弟に仕えるという神のことばが留まっていませんでした。

  イサクには、神の計画がわからなかったようです。アブラハムの信仰の中で守られたイサクは、自らが神を求める信仰とは少し違っていたようでした。

  しかし、ヤコブは違いました。父を騙してでも神の祝福を受けたい、父の愛を兄に独り占めされていたヤコブは、父の愛に飢え渇いていました。

  兄エサウの殺意を知った母リベカは、ヤコブをカランにいるリベカの兄ラバンのもとに逃れさせました。

  その激しい飢え渇きは、ヤコブに神を求めさせたのでした。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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