ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルは神の民の雛形


  イスラエルは、すべての被造物の初穂といわれます。初穂が聖ければ、すべては聖い、といわれ、神に受け入れられるのです。


  イスラエルは、全人類の代表の民族です。神の御前を歩み、この世に、神の栄光を現わし、神の存在を証し、神を知らせる務めが与えられている唯一の民族です。


  世界がそれを望まなくても、神がそのようにイスラエルを位置づけておられます。神に異議を申し立てることは出来ません。


  イスラエルが、神にとって被造物の初穂であり、全人類にとって、神の民としての雛形であるならば、イスラエルの歩みを見る時、人は神のご性質を知ることが出来るという事です。


  イスラエルの頑なさは、天下一品です。彼らは、先祖から受け継いだ祝福が約束されている民族なのに、どの民族よりも苦難をくぐって来ました。国を失い、世界中に離散し、それらの国々で憎まれ、蔑まれ、呪われて来ました。


  彼ら自身が、天地万物を造られた全能の神の栄光のしるしや奇跡を体験しているのに、その恵みを理解していないからです。

 

  彼らの神、イスラエルの神に信頼するならば、神が敵から守り、救い出してくださるのに、異邦人と同じようになろうとして、神を怒らせて来ました。


  彼らは自分達の知恵に頼り、自分達の力で戦っています。神から与えられている神の民の知恵と力を、自分達のために使っています。


  イスラエルの中心には、イスラエルの神がおられなければなりません。ダビデ王の子を待ち望んでいるはずのイスラエルは、神に信頼しないサウル王のような状態です。まるで、ダビデの命を狙うサウル王です。


  神は、愚かなサウル王を王位から退けられました。サウル王に代わって、ダビデに油を注いでイスラエルの王とされました。神に忠実なダビデを祝福して永遠の王位がダビデの家から絶えることはないことを約束しておられます。


  キリストを信じる人は、イスラエルの歴史を見て、神が生きて働いておられる事や、神に従順な場合の祝福と、神に不従順な場合の呪いを知る事が出来ます。


  イスラエルを見て、神の怒りと呪い、そして、赦しと祝福を知り、神のうちに留まる事に注意深くしなくてはいけません。


  イスラエルに現れた主は、受胎前の神の子ともいわれます。この神の子が人の姿で現れた人の子イエスを主とするのが、キリスト信者です。


  目に見えないとわからない人間に、目に見えない霊なる神が、目に見える肉体の人の子イエスとして、イスラエル人の間に住まわれたのです。


  神の方から、人にはっきりとわかる姿、目に見える人の子イエスとして来られました。イスラエルは人として来られた神の栄光を目で見ながら、神の栄光を認めませんでした。


  イスラエルの失敗は、キリスト信者の失敗に通じます。信じている神は、同じ神です。イスラエルの頑なさを見て、人類は学ばなければなりません。


  神は、人の思いを超えておられるという事です。人の言い伝えに閉じ込められる方ではありません。信仰は人知を超えたものです。神が与えられるものだからです。


  処女マリアが御使いから受胎告知をされた時、そんな事があるはずは無いと一笑に付しませんでした。「あなたのおことば通りこの身になりますように」と信じたのです。


  神の民は、信仰によって神と結ばれています。信仰を通して、神は地上で働かれるのです。

  神に従う事が出来ない、頑固で頑なな心ではなく、神に心を合わせて素直な者に神の信仰が置かれます。


  頑ななイスラエルを神は、捨てられるでしょうか。神は、決して捨てられません。神の時に、柔らかな心とされ、神に立ち返る者とされるのです。これが、キリスト信者の希望でもあるのです。神は罪を赦してくださる、という望みです。


  キリスト信者は、イスラエルの歩みを見て、反省して、神の民だからと言って高ぶる事なく、自分の能力ではなく、神に信頼して神に心へりくだる者とされていきましょう。