ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

みことばに聞く


  神に不従順であったイスラエルは捨てられたのでしょうか。

 

  「彼ら(イスラエル)は、福音によれば、あなたがた(異邦人)のゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません」とパウロは言います。


  神の賜物とは、被造物の初穂であり、アブラハム、イサク、ヤコブに約束された神との契約を受け継ぐ民族であるということです。カナンの地(現イスラエル)が与えられることも、悪魔の力を打ち砕く子(キリスト)が生まれるのも彼らのものであり、また、全能の神、天地万物の創造主が彼らの神となり、彼らは神の民となるということです。


  神の御子イエスは、ユダヤ民族から生まれました。父なる神が、御子を人の子として、神の民イスラエルに遣わされたのです。


  彼らの召命とは、彼らが生み出したキリスト・イエスを主と告白して、神の御救いを全世界に告げ知らせることです。


  この神の賜物と召命は変わることなく、アブラハム、イサク、ヤコブの契約の相続人であるイスラエルに置かれているのです。


  ここに神の奥義があります。イスラエル人の一部が頑なにされているのは、異邦人の完成のなる時までなのです。イスラエルがイエスをキリストと信じる事が出来ず、つまづいたのは、イスラエルの違反によって、救いが異邦人に及ぶためでした。それは、イスラエルに妬みを起こさせるためです。


  今も尚、イスラエルが被造物の初穂であり、神に選ばれたものなのです。


  イザヤは預言しています。「あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルの留められている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」


 

  もう、預言は無くなったのでしょうか。


  パウロは言います。「私の兄弟達、預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。」

 

  すでに、この時代に異言を否定する者達や預言を怪しむ者達がいたようです。


  「愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。というのは、私達の知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます」とパウロは言います。


  完全なもの(キリストの王国)があらわれたら、不完全なもの(御霊を宿す神の宮である信者の働きと、神の教会の機能)はすたれます。復活の主キリストが再び地上に来られるまでは、御霊の賜物の働きは続いているようです。


  使徒時代と同じく今も、癒しも異言も預言も奇跡もしるしもあります。御霊がおられるので、人の信仰によって御霊が働かれるのです。無くなってしまったのは、御霊の働きではなく、人の信仰の方です。


  いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるため、イエスは「私の相手を裁いて、私を守って下さい」とお願いするやもめのたとえを話されました。


  「神は、夜昼神を呼び求めている選民のために裁きをつけないで、いつまでもその事を放って置かれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、速やかに彼らのために正しい裁きをしてくださいます。

 

  しかし、人の子(復活のキリスト)が来たとき、果たして地上に信仰が見られるでしょうか。」


  助けが与えられないのは、神を求めないからです。祈っても助けられないのは、助けが与えられるまで祈り、求め続けないからです。


  
  弟子達が働いていた使徒行伝の時代に、すでに、今は終わりの時代と呼ばれていました。


  それから、二千年経った今の時代は、世の終わりの前兆の時代です。地球規模で、大洪水、地震が起こっています。これから、もっと多くの予兆が現れる事でしょう。


  この時代のことを紀元前八百年頃のヨエルが預言しています。


  「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」


  今の時代は、御霊の力で預言をし、神の示しを夢や幻で受け取る時代なのです。祭司でなくても、レビ人でなくても、牧師でなくても、伝道者でなくても、預言者でなくても、教職者でない者にも示される時代なのです。


  示された事を、聖書のことばに照らし合わせて、よく吟味しましょう。


  イエスが主であること、神の契約はイスラエルとともにあることを信じ、神の栄光を求めて、また、神にすべての栄光をお返しする信仰を持って、神を体験していきましょう。

  聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

  常に、聖書を教本として、みことばで確認しながら、御霊から知恵を受けていきましょう。イエス・キリストを主とする者に御霊が与えられます。御霊が、真理を教え、イエスのことばを思い起こさせ、守り、執り成してくださるのです。


  御霊の働きを求めるとともに、示された事が聖書的に正しいことなのか、みことばに照らし合わせてみましょう。聖書のみことばに裏付けされることは、人の承認を得ることよりも真理に近いと思います。