ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルを呪う者を神が呪われる

 

  イエス・キリストが生まれる前から、イスラエルは神の宝の民でした。


  モーセの歌の言葉の一部です。

 

  「主は荒野で、獣の吠える荒地で彼(イスラエル)を見つけ、これを抱き、世話をして、ご自分の瞳のように、これを守られた。鷲が巣のひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。

  ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神はいなかった。」


  体の外側のすべての部分は露出しているのに、瞳だけは瞼という覆いがあります。瞳は瞼で守られている特別な器官です。


  他のすべての民族が偶像を作り、御神体をこしらえて、神々を拝むのに、神によって造られたユダヤ民族は、ノアを洪水から救った神、天地万物を創造された全能の神に仕えたのです。


  ゼカリヤを通してイスラエルに、万軍の主はいわれました。

 

  「さあ、さあ。北の国から逃げよ。さあ、シオンに逃れよ。バビロン(神の敵対者)の娘とともに住む者よ。あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者だ。」


  神の瞳に触れた者たちは、神に罰せられました。

 

  イスラエルを導かれた全能の神に仕えたユダヤ民族に、神はご自身の御子を遣わされました。神の御子を喜びを持って迎えるはずでした。しかし、イスラエルは、御子を拒み、イエスをキリストとは認めませんでした。


  神の民であるイスラエルは、自分達を罪に定める御子のことばを憎み、自分達の罪を認めず、イエスを殺しました。


  そして、神の民として、より分けられたイスラエルがイエスを信じなかった事で、救いを失ったのです。


  キリストの救いは異邦人に及び、イエス・キリストを信じる異邦人は、神の民として選り分けられました。イスラエルの王を地上に迎えるとき、彼らはイスラエルの民に加えられるのです。


  その日には、大勢の者がキリストに言います。「主よ、主よ。私達はあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。」

 

  しかし、その時、キリストは彼らに宣告されます。「わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」

 

  再び来られるキリストは、イスラエルの王です。ご自分の民イスラエルを慈しみ守られる、イスラエルの王です。

 

  イスラエルの王は、ご自分の国に平和を求められます。国の中に争いは認められません。ご自分の民イスラエルに敵対する者や憎む者、嘲る者、そしる者は締め出されます。

 

  たといキリストを主としていても、神の民であるキリストの兄弟であるユダヤ人を憎む者達をイスラエルの民に加える事は出来ません。

 

  イエスはいわれました。「わたしに向かって、『主よ、主よ。』という者が皆天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。」

 

  父の愛は、イスラエルから離れてはいません。

 

  イスラエルの王の国(キリスト王国)に入るのは、天の御国に入る者達です。

 

  キリストはいわれました。「わたしの兄弟達(ユダヤ人)が空腹であった時、食べ物を与え、渇いていた時、飲ませ、旅人であった時、宿を貸し、裸の時、着る者を与え、病気をした時、見舞い、牢に居た時、尋ね、しかも最も小さい者のひとりにした事は、わたしにしたのです。」

 

  そして、イスラエルの王は、彼らを、『さあ、わたしの父に祝福された人達』といって、キリスト王国に招かれるのです。

 

  キリストに熱心に仕えたクリスチャンがユダヤ人を憎んだ事で退けられ、ユダヤ人に寄り添った異邦人(キリスト信者でなかった者達)が天に迎え入れられるのです。

 

  これはかつて、神に忠実に仕えたユダヤ人がイエスを拒絶した事で神に退けられ、キリストを信じる異邦人に救いが及んだのと同様の事です。

 

  神の御国に入れる方は、天の神である父です。キリストを愛し仕えても、救いを定められるのは、父なる神です。天におられるキリストの父の御心を行う者が天の御国に入るのです。

 

  神の御前に立つ時、「わたしはあなたがたを全然知らない。不法(神の御心に逆らう思いと行い)をなす者ども。わたしから離れて行け」といわれない歩みをしなければなりません。

 

  イスラエルやユダヤ人を憎み呪う気持ちが少しでもあるならば、神に打ち明け、その悪い思いが取り除かれるように神に求め続けてください。

 

  神は、神の民にいわれます。

 

  「あなたの前にいのちと幸い、死と災いを置く。天と地を証人に立て、わたしは、いのちと死、祝福と呪いを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」