ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

主イエスの御名の力

 

  弟子のヨハネが、イエスに言いました。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私達の仲間ではないので、やめさせました。」

 

  しかし、イエスは「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐ後で、わたしを悪く言えるものは無いのです。わたし達に反対しない者は、わたし達の味方です。」

 

  水のバプテスマを受けて信仰告白をしていない人でも、イエスの名前を使って悪霊追い出しが出来たという事なのでしょうか。

 

  神に聖められていない者に神のわざをする事は出来ない、と思っていました。彼らがするわざは、キリストの霊によるものではなく、悪しき霊の仕業だと思っていました。

 

  しかし、イエスはその祈りをやめさせるどころか、イエスの御名により頼む者の祈りに神が答えて、働かれることを言われました。力あるわざを行いながら、といっておられるので、神の霊のわざが現れることをいわれたのです。

 

  イエスの御名、キリストの御名に力があるのです。イエスの名で祈る祈りは、天の神の元に届けられます。その祈りに神は耳を傾け、神のわざを現されるようです。不思議ですね。

 

  人は誰もが創造主によって母の胎で組み立てられて、生まれているのです。ですから、キリストを信じる者も、信じない者も、この神によって生まれており、すべての人にとって、ただひとりの父なる神なのです。

 

  神は、神と人との間の仲介者の役目を唯一、人としてのキリスト・イエスに与えておられます。

 

  これが真理なので、イエスの名で祈る祈りは、父である神のもとに届けられるのです。イエスに反対しない者は、イエスの味方であって、イエスに敵対する悪魔の子ではない、といわれるのです。

 

  興味半分な祈りには神の御手は動きません。自分の肉欲のためでは無い祈りに、神は働かれるようです。その人の心は主イエスに期待し、主イエスの御名の力により頼んでいます。イエスは、その人達のことをクリスチャンの味方だといっておられます。

 

 

  使徒の働きの中で、神はパウロの手によって驚くべき奇跡を行われていました。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行ったのです。

 

  それを見たユダヤ人の魔除け祈祷師が真似をして、試しに悪霊に憑かれている者に向かって主イエスの御名を唱えました。彼らは、ユダヤの祭司長スケワの七人の息子達でした。

 

  「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえ達に命じる。」

 

  すると、悪霊が答えて言いました。「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえ達は何者だ。」

 

  悪霊は出て行くどころか、悪霊に憑かれている人が彼らに飛び掛かり、二人の者を押さえつけて、皆を打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負って逃げ出した、とあります。彼らには、イエスを主とする心は無く、イエスを侮る心がありました。

 

  彼らの心は、十字架につけたイエスを見て、「キリスト、イスラエルの王様。たった今、十字架から降りてもらおうか。我々は、それを見たら信じるから」と言って、イエスをののしった祭司長達と同じでした。イエスを神の子と信じていないのです。

 

  悪霊も知っているのです。イエスの仲間であるのか、ただイエスの御名を利用しているだけなのか、お見通しなのです。

 

  イエスの名を唱えて、神のわざをする人もいれば、かえって悪霊にひどい目に合う人もいます。

 

  イエスの御名の力に敬意を払う人や、イエスの御名にへりくだる心を持って純粋に神を求めている人と、興味本位でわざを見てみたいと思っている人とは、同じイエスの御名を唱えながらも結果は違います。

 

  前者は、イエスの御名による神の力あるわざを体験して、神を讃えることでしょう。イエスの神の力に驚いて、イエスが神とともにいる人である事を知ることでしょう。そして、その人は、イエスを悪く言えないでしょう。

 

  後者は、イエスの御名を使って悪霊に打ち負かされた事が、その地域のユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡ることとなり、皆恐れを感じて、主イエスの御名を崇めるようになったのです。

 

  そして、信者になった者が大勢来て、懺悔して自分の行為を告白し、また、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を抱えて来て、皆の前で焼き捨てたのでした。焼き捨てた魔術の本の値段の総額は、銀貨五万枚にも上りました。

 

  スケワの息子達の不遜な行いは、悪霊を暴れさせました。しかし、神はこの事を通して栄光を現わされました。皆が恐れを感じて、主イエスの御名を崇め、信仰に入ったのです。

 

  魔術を行っていた者達も魔術の高価な本を焼き払って悪霊の力から解放されて、力ある主イエスの御名に仕える者となりました。こうして、主のことばは驚くほど広まり、力を増し加えていったのでした。

 

  主イエスの御名を唱えた祈りで神の力あるわざが起こり、一方では、主イエスの御名を唱えた祈りで悪霊からひどい目に合ったけれども、結果的にはその事を通して、大勢の人が信仰に入ったのです。

 

  主イエスの御名が唱えられるところでは、霊が働くようです。悪魔も主イエスの御名の力を知っています。悪魔は主イエスの御名を恐れています。

 

  イエスが命じると悪霊は従います。主イエスの御名には、イエスがされた事と同じわざをする力があるのです。

 

  弟子達は言いました。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私達に服従します。」

 

  また、イエスはいわれます。「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かを求めるなら、わたしはそれをしましょう。」

 

  主イエスの御名による祈りをし、神の働きを体験し神の愛の交わりを深めて、信仰を強めていただきましょう。