ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

愛する者への贈り物

 

 「イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取り除けられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

 しかし、主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

 私たちはみな、顔のおおいを取り除けられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント二14-18)

 

 神の民であるイスラエルは、神に従おうと自分の力で努力します。そして、自分は神に受け入れられる正しい者だと考えます。

 しかし、人間の努力の結ぶ実は、自分は神に受け入れられる者と考え自分を正しいとする高慢や、いのちの喜びのない奴隷の心や、律法に縛られて他人を裁く自分の義です。自分の義に立つ者は、神の義を必要としません。それで、神が遣わされた救い主を拒絶するのです。

 イスラエルの神に対する思いは鈍くなりました。

 

 神の戒めであるモーセの書を朗読するときに、自分を義とするイスラエルの心にはおおいが掛かっているので、神のみ旨を悟ることができません。

 

 神を見る心はおおいの下にあり、そのおおいは、取り除けられていません。おおいは、熱心に自分の努力で神に受け入れられる義に到達しようする習慣です。

 

 このおおいは自分自身では取り除けることができません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

 十字架にかかられた主イエス・キリストに思いを向けるならば、そのおおいは取り除かれるのです。

 

 主は、御霊として新しいイスラエルのところに来られています。主は御霊です。主の御霊のあるところには自由があります。

 

 人間の努力では神の義に到達することはできません。ただ、律法の奴隷となるだけです。律法の奴隷の心は、石の心です。いのちも喜びもありません。

 

 神は、イスラエルに御救いを約束しておられました。律法の違反と裁きに神経質になるイスラエルに、律法の呪いから解放してくださる救い主を遣わしてくださるという約束です。また、イスラエルであるがゆえに外国の民から憎まれ迫害されるユダヤ人たちに、彼らの国を造り、平和の王となってくださる主キリストを遣わしてくださるという約束です。

 

 神が遣わされる主キリストが来られたならば、これらの約束は成就されるはずです。ユダヤ人たちは、今でも神の約束を信じて、神が遣わしてくださるメシアを待ち望んでいます。

 

 実は、ユダヤ人たちが待ち望んでいる主キリストはすでに来られたのです。二千年前に、ユダヤ人の先祖の地イスラエルに来られて、ユダヤ人たちの間を歩まれました。

 主キリストは、ユダヤ人たちから卑しいとされるナザレの人として過ごされ、律法を守ることのできない弱い者を憐れみ、ユダヤ人たちから罪人として忌み嫌われる者の罪を赦し、病気の者を癒し、悪霊に憑かれた者を解放し、死人を生き返らせて慰めを与えられました。

 

 ナザレのイエスを主キリストと認めない祭司たちに扇動されて、ユダヤ人たちは、神が遣わされた神の御子キリストをののしり、十字架にかけて殺したのです。

 このことは、神の御計画どおりのことです。ヤコブの子ユダヤ人たちが四百年間の奴隷の苦しみを経て、約束のカナンの地を所有したように、神が遣わされたダビデの子(キリスト)もまた、十字架の苦しみを経て、神のイスラエルを所有されるのです。

 

 神はイスラエルを愛されました。それで、御自分のひとり子を彼らにお与えになったのです。神の御子イエスは、神に受け入れられる、神の御心を満足させる神の生贄の子羊でした。神の御子イエスへの懲らしめがイスラエルに平安をもたらし、イエスの打ち傷によって、イスラエルは癒されました。

 

 神が遣わされた救い主は、死から甦り、永遠に生きる主キリストとして、天に上り、神の右の座に着座されました。今も生きておられ、イスラエルのために執り成しをしておられます。

 

 イスラエルに救い主を遣わすと約束された神のみことばは成就しました。そして、救い主イエス・キリストを主と仰ぐ者を神の民(新しく創造するイスラエル)とし、彼らに、もうひとりの助け主(真理の御霊)を遣わすことを約束されました。

 

 主は、モーセと契約を結んだ肉のイスラエルに、救い主キリストを遣わす約束をされました。

 主は、主の約束どおりに遣わした救い主イエス・キリストを信じ迎え入れる霊のイスラエルに、神の霊である聖霊(キリストの御霊)を遣わす約束をされました。

 

 神の御子イエス・キリストを信じる者を、天上に引き上げる霊のイスラエルとして、新しい創造をされます。その新しい創造をされるのが、キリストの御霊なのです。

 

 神の御子イエスを信じる者にキリストの御霊を与えて、その人の心に天の律法を書き記し、御霊によって歩む者に造り変えられます。

 

 モーセの律法を人間の知恵と努力で守る肉のイスラエルは、イエス・キリストの死と、贖いの血と、死からの復活によって、永遠に生きる霊のイスラエルに生まれ変わらなければなりません。

 

 神は、霊のイスラエルに、もうひとりの助け主真理の御霊をお与えくださっています。イエス・キリストを主と告白する新しいイスラエルは、キリストの御霊を受けて、永遠のいのちを受けるのです。

 

 主キリストを待ち望んでいた肉のイスラエルは、心におおいが掛けられてナザレのイエスが神の遣わされた主キリストであることを信じることができませんでした。

 しかし、彼らも十字架の主イエス・キリストに心を向けるなら、彼らの心に掛かっているおおいは取り除かれて、神の御子イエス・キリストを信じる霊のイスラエルとなるのです。

 

 霊のイスラエルは、肉のイスラエルの間違いを見て、正されなければなりません。肉のイスラエルは、神のことばが信仰に結びついていませんでした。

 神の御子イエス・キリストを信じた霊のイスラエルは、神のことばのうちを歩みましょう。

 

 神が遣わされた主キリストの御霊を受ける者は、神のことばを守る者です。

 アダムの罪によって、神のことばから外れて不義となった肉のままの人では、永遠のいのちを受けることができません。

 イエスのことばを信じてキリストの御霊を受ける者は、神のことばの中に入る者です。

 

 イエスは、父なる神が、もうひとりの助け主を遣わされることを言われました。キリストの御霊を受けることは、神のことばの中に入り、神と正しい関係に入ることです。

 

 神の御子キリストを世に与えられた神は、イエス・キリストを信じる者にキリストの御霊を授けてくださいます。

 主の御霊は、主と同じかたちに造り変え、永遠のいのちを得させてくださるのです。