ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本に与えられた神の教材

 

  天皇家の方は、皇族の品格をお持ちです。私の父も母も敬っていました。母は昭和天皇のご兄弟の宮家、平成の天皇のご兄弟の宮家の事も特別な方々として敬愛していました。ですから、私にとって、皇族とは、やっぱり特別な感じがしていました。

 

  浩宮様も紀宮様も天皇家の気品を感じさせるものがあります。その中で、礼宮様は何か異なるものを感じていました。

 

  ご結婚されて、秋篠宮になられても、秋篠宮家は何か今までの宮家とは違いました。うまく表現が出来ないけれども、もやもやしたものが残ります。

 

  秋篠宮家のお子様の誕生の記憶が無いくらいに、私の心に無かった宮家でしたが、お子様が大きくなるにつれ、やっぱり違うと、思いました。何が原因なんだろうと思いました。

 

  ある時、秋篠宮様は、皇族にお生まれになる方では無くて、平民として生まれる魂の方なのだ、と思った途端、合点がいきました。

 

  胎教がそうだったのではないのかと思いました。浩宮様も紀宮様も、胎児の時から、天皇家の人として、国民を愛し、皇室の務めを担っていかれるようにと、丁寧に祈り込まれているように思います。

 

  サムエルの母ハンナが子が無かった頃、主に子を求め、「万軍の主よ。もし子を与えて下さるなら、私はその子の一生を主にお献げ致します」と祈って、サムエルを授かりました。

 

  ハンナは、「主は私がお願いした通り、私の願いを叶えて下さいました。それで私もまた、この子を主にお渡しします。この子は、一生涯、主に渡された者です。」と言って、祭司エリのもとへ連れて行きました。それで、幼いサムエルは、祭司エリのもとで主に仕えた、という聖書の記事が思い起こされます。

 

  浩宮様も紀宮様も、神に献げられた者として、天皇家にお生まれになったのです。天皇を立てられ、存続させておられる神に仕える人として、国民の意識とは異なる意識を持ってお育ちになられました。

 

  礼宮様は胎教で天皇家で生まれる子としての祈りがされていない気がします。母の愛着が、神に献げる事を妨げ、国民と同じ平民の心のままで、育ち生まれたのだと思います。

 

  平民の魂の人が、皇族として生きていくことは、自分の本心を偽る事であり、精神的にも苦しいものがあるのでは、と思いました。覚悟の無いまま責務を負わなければならないのです。

 

  秋篠宮家の内親王方を見ても、良家のお嬢様というのは分かるけれども、皇室の方という品格は、私の中では受け取れませんでした。天皇家のお孫さんというよりも、紀子様のご実家の川嶋家のお孫さんだな、と思って見ていました。

 

  真子様のご結婚が報じられた時、国民が「おめでとう」と湧いているのをニュースで観て、本当にそうなのかなぁ、と思ったものです。その後、小室さんの家の問題が出て来て、一時中断されました。ご結婚前にこの問題が分かって良かった、と思いました。

 

  しかし、変わらず結婚計画が続いているのを、何かおかしい、と思いました。私の中では、(夢見る坊やと愚かな娘)という思いが浮かびました。

 

  皇族を敬愛する一人が、日本人が昔から大切にして来た皇室に泥を塗り、日本人の尊厳を踏みにじるとして、小室さんは、不遜だと言って怒っていました。その人が言った一言が、私のうちのもやもやを払拭してくれました。

 

  クリスチャンでは無い彼女は言いました。「神様が、秋篠宮家の本当の姿を国民に明らかにするために、小室さんを使っておられるのですよ。」

 

  確かにこのご結婚を通して、今まで以上に秋篠宮家が注目されました。

 

  昭和天皇に反対されていた、礼宮様と紀子様のご結婚でしたが、昭和天皇が亡くなられて喪が空けるのを待たずして、紀子様のお父様が推し進めて納采の儀(結納)が執り行われた事を知りました。

 

  美智子様や雅子様は、皇室の学びをして、教育を受けてから、皇室に入られたのに、紀子様はあわただしく秋篠宮家となられた印象がありますが、そういう事だったのか、と知りました。

 

  美智子様のご実家も雅子様のご実家も、天皇家とは身分が違いすぎます、とご辞退しておられました。美智子様も雅子様もお手伝いさんがいるような裕福な良家のお嬢様で、平民と言えども一般国民の手に届かない生活をしておられた方々が、天皇家とは身分が違います、と畏れ多い思いを抱いておられました。

 

  それに比べ、紀子様のご実家も小室さんのご実家も、皇室の尊厳を尊ばない自由気ままな行動が見受けられます。この事は、国民を傷つけました。皇室なんか失くしてしまえ、という怒りの感情まで芽生えました。日本国民の大切にして来たものを汚し、日本人の心をも悪いものにする力が働きました。

 

  美智子様と雅子様は、正門から皇室に入られたのに、紀子様は、塀を乗り越えて、皇族に入り込んだ印象ですし、小室さんは、塀を破って皇族に潜り込んだ印象です。

 

  平民の魂の秋篠宮様が皇族になりたい紀子様を引き寄せ、平民の魂の秋篠宮様を父とし、皇族として国民の上に権威を持ちたい(皇族は権威を持って国民を支配するような存在ではないのですが)紀子様を母とする真子様が、皇族を夢見る小室さんを引き寄せたように思います。

 

  この人々には、日本国民を愛する心は無いのでしょう。皇室すべてが悪いのではなく、霊的に見て、皇族の囲いの外にいるような秋篠宮家に問題があるのです。

 

  神が退けておられる人が天皇にしか与えられていない神の権威の座に立つならば、神が怒りによって国難に見舞われ、国民に災いが下る事は明らかです。悠仁様の小学校で起きた五十代の男の事件をニュースで知った時、国民感情の予兆を感じ,日本国民に罪を犯させないで下さい、と祈りました。それで、秋篠宮様は、神に退けられ、お子様は国民に退けられるのだなぁ、と感じました。

 

  宮内庁は、自分達が失業者とならないために、ひたすら隠してきたのですが、確かに小室さんの存在によって、隠されていたものは明るみに出て来ています。日本国民が問題を問題として認識出来た事は良かったと思います。

 

  内親王の婚約者として、皇族扱いされていた小室さんは、皇族を離れた真子さんと結婚して、もとの平民に戻り、平民となった真子さんが、皇族の立場から平民に降りて、小室真子さんになりました。「皇族として生きていく覚悟はありません」と言い放たれた真子様は、平民であっても足踏みするであろう、小室親子の生活水準で生きる覚悟はあるんだ、と驚きました。

 

  悪いものを見ていると、怒りや憎しみで、国民の心はすさんでいきます。令和の天皇ご一家を見て、心から邪悪なものを捨てて行きましょう。日本国民まで悪いものになってしまってはいけないと思います。

 

  これらの事は、日本国民の心が偽りを見抜き、正しいものを求めるための教材だったと思います。

 

  真子様が騙されているのでは、と心配した国民でしたが、実は、真子さんではなく、私達国民が騙されていたのだなぁ、と思いました。

 

  これからは、見分ける国民になっていきましょう。神は、すべてをご覧になっておられます。国民の痛みをご存知です。憎しみや落胆を選ぶのではなくて、日本国民に救いを与えようと待っておられるいのちの神、光に目を向けましょう。