ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

あなたの信仰があなたを直したのです

 

  十二年の間長血を患っている女がいた。この女は多くの医者からひどい目に合わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何の甲斐も無く、かえって悪くなる一方であった。

 

  彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの着物に触った。(お着物に触ることでも出来れば、きっと直る)と考えていたからである。

 

  すると、すぐに、血の源が枯れて、ひどい痛みが直ったことを、体に感じた。

 

  イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「誰がわたしの着物に触ったのですか」といわれた。

 

  そこで弟子達はイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『誰がわたしに触ったのか』とおっしゃるのですか。」

 

  イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

 

  イエスは、彼女を見ていわれた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、健やかでいなさい。」

 

  この女は、自分の病気を治そうと願い、高い治療費を惜しみなく支払って治療を続けますが、症状は変わりません。良いと言われている医者の所に行っても同じことです。何人の医者に診て貰っても同じことです。治す見込みがないのに、治療費をとっていたのでしょうか。

 

  挙句の果てに、お金はすっからかんです。もう、医者にかかることは出来ません。それでも、病気の回復を諦めたわけではありません。

 

  女の心はお金にあったわけではありません。全財産を投げ打ってでも、病気から解放されたかったのです。女の心は医者への恨み言でいっぱいだったわけではありません。

 

  良い医者を見抜けなかった自分に落胆したのでしょうか。虚しいものにより頼んだ自分を嘆いたのでしょうか。女の思いはただ一つ。病気が直ることでした。

 

  お金が無く、医者に診て貰えなくなった女は、毎日どうしたら病気が直るだろうかと思い悩んでいたのでしょう。

 

  そんな時、大預言者かも知れない、神の人なのか、と言われている、イエスが来られたのです。悪霊を追い出し、多くの奇跡を行っている人です。

 

  この方なら、きっと直してくださるに違いないと思ったのでしょう。しかも、この方のお着物に触る事でも出来れば、きっと直る、と考えたのです。人から得られる望みは皆無となった女は、イエスの力を信じ、イエスに望みを置いて、イエスの後ろから、イエスの衣のふさに触ったのでした。

 

  イエスの衣のふさに触った時、女は体の痛みがなくなり、病気が直ったことを体感したのです。イエスも、自分のうちから力が外に出て行くのを感じたのでした。

 

  イエスが直したのではなく、女の信じ求める心がイエスのうちにある神の力を貰い受けたのです。イエスの意識の外で起こったことでした。

 

  女は、イエスとともにおられる神の力を信じたのです。イエスの父なる神の力を信じたのです。

 

  イエスはいわれました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」娘とは、あなたは神の子である、ということをいっておられるのではないのかと思います。この女は、父の娘なのです。神の力を信じ、父なる神にすがる娘なのです。

 

  女は、本能的にイエスが、ユダヤ人が信じている神に遣わされた方であることを悟ったのでしょう。アブラハムと契約を結ばれた全能の主、天地万物を造られた創造主に信仰を持つ人だったのです。

 

  イエスが地上に来られた時、イスラエルは、モーセと契約を結ばれた神を信じていました。モーセに与えられた律法の中に神を見ていたのです。それで、律法を通してでなければ、神を理解出来ない民となっていました。霊で、神を捉えることが出来なくなっていたのです。

 

  それで、律法学者や祭司らは、律法を通してイエスを見ていました。律法で霊の目が塞がれた彼らには、霊的存在の神を知ることはなく、イエスの霊的働きが理解出来ませんでした。

 

  「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊と真によって礼拝しなければなりません」とのイエスのことばは、律法学者や祭司らには、異国のことばを聞くようであったことでしょう。全く理解出来ないたわごとに思ったことでしょう。しかし、サマリヤの女は理解しました。

 

  ユダヤ人が神の契約を受け継ぐことは無い者として、忌み嫌っていたサマリヤ人が理解したのです。サマリヤの女は言いました。「私は、キリストと呼ばれるメシアの来られることを知っています。その方が来られるときには、一切の事を私達に知らせてくださるでしょう。」

 

  ユダヤ人から囲いの外の人々と思われていたサマリヤ人のほうが、キリストが来たら、真理を教え、すべての事が明らかになる事を信じていたのです。

 

  イエスはサマリヤの女にいわれました。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」イエスは、ユダヤ人に自分から自分がキリストであることを話されることはありませんでした。しかし、サマリヤの女には、はっきりといわれました。自分がキリストと呼ばれるメシアであることを。

 

  律法学者や祭司らは、先祖が守って来た律法の教えとは異なる新しい教えとして、イエスを信じませんでした。彼らには、霊なる神を知ることが出来なかったのです。

 

  イエスは、霊によって神を知るサマリヤの女に、神の奥義を明かされました。「真の礼拝者達が霊と真によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」

 

  イエスは、父なる神が崇められることを願っておられました。長血を患った女もサマリヤの女も、神を霊なるお方として信じており、父なる神を信じていたのです。この信仰によって、神から遣わされたキリストはイエスのことである、と悟ることが出来たのです。

 

  神を霊なる方として信じますか。その人に、神は御自身を現されるのです。創造主を信じ、宇宙を司られる偉大な神に信仰を持つ者は、イエスによって神のもとに帰る正しい霊に回復されるのです。

 

  救い主キリストは、モーセの神ではなくて、アブラハムの神の子として来られたのです。割礼のある者も割礼のない者も救うためです。

 

  アブラハムの信仰が必要です。天と地を造られた神、いと高き神を仰ぐ信仰が必要です。