ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真理を知る喜び

 

  イエスから、神は礼拝すべき場所ではなく、礼拝者を求めておられる事を聞かされた、サマリヤの女は驚きました。女は、五人の男と結婚し、今は内縁関係の男と暮らしていて、品行方正なユダヤ人達からは蔑まれる者でしたが、神に対する信仰は持っていました。女は、真理に飢え渇いていました。

 

  「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」とイエスは言われました。今は、礼拝場所はエルサレムだとかゲルジム山だという時ではなく、真の礼拝者達が霊とまことによって父を礼拝する時だ、と言われます。

 

  神に受け入れられる正しい礼拝を知りたかった女は、神が真の礼拝者を求めておられることを聞き、驚いたのです。今までは、神を礼拝する場所(神殿)に行って礼拝することが、人の務めだと思っていました。そうすることが、人の安らぎでもありました。

 

  ユダヤ人達に嫌われているサマリヤ人でしたが、彼女らもまた、イスラエルの神を神とし、ユダヤ教の教えの中を歩んでいたのです。

 

  イエスは言われました。「救いはイスラエルから出ることを知っていて、ユダヤ人は神に向かって礼拝しているが、あなたがたサマリヤ人は、救いがイスラエルから出ることを知らないで礼拝しています。」

 

  サマリヤ人もユダヤ人の信じるイスラエルの神を礼拝していました。彼らにとっても、イスラエルの神は私達の神でした。信じる者の神ではありますが、信じているからと言って、サマリヤに救いが置かれているわけではありません。神が用意されている救いはユダヤ人とともにある、と言うのです。

 

  イスラエルの神の秘め事を知りました。イスラエルの神がメシアを遣わされることを知っていましたが、メシアがユダヤ人から現れることは知らなかったのです。しかも、霊とまことによって礼拝するとは、何でしょうか。

 

  サマリヤの女は、女の夫が五人あったが、今一緒にいるのはあなたの夫ではない、と言い当てたイエスを預言者だと思いました。女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアの来られることを知っています。その方が来られる時には、いっさいのことを私達に知らせてくださるでしょう。」

 

  イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」女は信じた。

 

  女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」それを聞いたサマリア人の多くの者が、女のことばによってイエスを信じ、町を出て、イエスの所にやって来た。そして、自分達のところに滞在してくださるように願った。

 

  イエスは二日間そこに滞在された。さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。そして彼らはその女に言った。「もう私達は、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと知っているのです。」

 

  女は真理を求める正しい人でした。行いは、非難される女でしたが、心のうちには神を求める信仰がありました。イエスは、女の行いを知りながら、女の信仰を認め、女に真理を聞かせたのです。それは父から出たことでした。父は、イエスを通して、サマリヤの女に、隠された真理を明らかにされたのです。

 

  後ろ指さされる女の生き様が、女を日陰に追いやっていました。それで、人目を避けて、人が水を汲みに来ない時間帯に井戸に足を運ぶ生活をしていた女です。イエスのことばを信じた女は、光を見ました。後ろめたい日陰の心に光が灯り、ただ喜びで心を弾ませながら、町に走って行ったのです。

 

  町の人々に見られることも、町の人々の蔑みも、念頭に置いていません。ただただ、希望に満ちていました。救い主が来た。キリストがやって来た。女は救い主を待ち望んでいました。キリストが来られたら、すべてが明らかになる。世の悩みから解放してくださる。キリストは、世の罪を取り除く神の子羊です。罪に縛られ、自分の力では抜け出せない苦悩と罪の呪いから解放してくださるメシアです。メシアがやって来た。

 

  女は喜びに溢れていました。頭の中は、イエスのことでいっぱいです。町に行って、ただただイエスのことを伝えたいのです。イエスを知らせたいのです。

 

  町の人々は、日陰の女の言葉に耳を傾けました。女を見て顔を背けることなく、女の言葉を聞き、女の言葉を信じたのです。サマリア人のうちの多くの者がイエスの所に行って、自分達のところに滞在してください、と申し出たのです。

 

  ユダヤ人がサマリヤの地に訪れるということは、あり得ないことでした。サマリヤ人は、ユダヤ人に蔑まれ嫌われていたのです。イエスは、ユダヤ人であるだけでなく、聖書に書いてあるキリストなのです。女の証言によって、サマリヤ人は、ユダヤ人から出た救い主をお迎えすることが出来たのです。

 

  サマリア人がユダヤ人の地に行くことはかなわないことでした。しかし、ユダヤ人である救い主イエスが、サマリア人の地に来てくださったのです。卑しい女がイエスを招くきっかけとなりました。町の有力者が招いたならば、民衆はおいそれと近づくことは出来ません。しかし、卑しい女とも話しをされるイエスなら、何のためらいもなく、民衆はイエスを取り囲んでイエスの話を聞くことが出来ました。

 

  そして、イエスの話を聞いたサマリヤ人は、イエスのことばによって、イエスが世の救い主だと信じました。イエスを知らせた女のことばによってではなく、自分自身でイエスのことばを聞いてイエスを信じたのです。

 

  イエスは、いっさいのことを知らせてくださるキリストです。キリストは真理を解き明かしてくださる方です。イエスのことばは真理です。

 

  真理を知ることは、人に伝えずにはいられない爆発的な喜びを生み出すのです。

 

  イエスはたとえを話された。「天の御国はパン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトン(39㍑)の粉の中に入れると、全体が膨らんで来ます。」

 

  サマリヤの女の中に真理を知る喜びが満ちました。女は、イエスを伝えずにはいられませんでした。サマリヤの女のうちに神の国が訪れたのです。

 

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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