ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ人と日本人

 

  ノアを大洪水の滅びから救い出した、全能なる神を、ノアの三人の息子のうちのセムの子孫、セム族のアブラムも畏れていました。

 

  世では、人間が作った偶像の神々が崇拝され、人々の心は、ノアが聞き従った目に見えない霊なる全能者から離れていました。

 

  人類の滅びの計画の中で、ノアを選び箱舟を造らせて洪水の滅びから救い出して下さった神に、救われたことを感謝するのではなく、また、救って下さった神を礼拝するのでもなく、ノアの子孫は、人類を滅ばす力のある全能者を恐れ、全能者の裁きに立ち向かって、人類を滅ぼす恐ろしい裁き主なる神の御手から守ってくれる神々を作り出しました。

 

  そのような天地万物を造られた神に対抗する世にあって、アブラムは真の神、全能者を畏れ、礼拝する者でした。

 

  天地万物を造られた神、太初より在る全能者、はじめからあったいのちであり、いのちの根源である神を、アブラムは霊をもって知り、崇める者でした。

 

  神はこのアブラムを選び、人類の救いの計画を立てられました。神はアブラムに新しい名前を与え、「多くの国民の父」を意味するアブラハムと改名されました。

 

  神は、神の契約をアブラハムとアブラハムの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てられました。

 

  神はカナンの地(現イスラエルの地)をアブラハムの所有として与える約束と、神の契約のしるしとして、アブラハムとまたともにいるすべての男子は皆、包皮の肉を切り捨てる割礼を受けなければならない、とされました。

 

  それで、アブラハムの子孫の男子は割礼を受けます。神は、閉経した九十歳の妻サラから、アブラハムの契約を相続するイサクを生み出されました。

 

  神は、父アブラハムの神の契約を相続したイサクから生まれたヤコブに、アブラハムの契約を受け継がせました。そして、アブラムをアブラハムと改名された神が、ヤコブをイスラエルと改名されたのです。

 

  神は、真の神を神としない不信仰な世にあって、神御自身が選ばれたアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の子孫、ヤコブの十二人の息子の子孫を、真の神に仕える神の民イスラエルとされたのです。

 

  神は、真の神を畏れるアブラハムに不妊の妻サラが産んだ子である、神が造られたイサクから生まれたヤコブの子孫を、真の神と契約を結ぶ民、神に仕える民として地上に置かれました。イスラエルは、神御自身の意思で造られた神の民族なのです。

 

  アブラハム、イサク、ヤコブの子孫は、ユダヤ人と呼ばれています。彼らは、全人類に代わって、天地万物を造られ、世界を統べ治めておられる神に仕え、執り成す祭司の国民です。

 

  神がアブラハムに告げられたとおりに、ユダヤ人は、自分達のものではない国で寄留者となり、奴隷とされ、四百年の間、苦しめられました。

 

  その奴隷体験の後で、神が父祖アブラハムに与えたカナンの地、約束の地に向かい、その先祖の眠る地にユダヤ人の国を建国したのでした。

 

  モーセを立てて、イスラエルを奴隷の家エジプトの地から連れ出した神は、他の国々から守るために荒野を通らせました。

 

  その荒野で、モーセに十戒を授けられた神は、この世(エジプト)の奴隷だったユダヤ人を神に仕える民族として任命されたのでした。

 

  神は、ヤコブの子レビの子孫のレビ族を神に仕える部族として立て、アロンの子孫を大祭司として任命されました。

 

  こうして、神はイスラエルのうちに、神の国のひな型を創造されたのでした。

 

  ユダヤ民族が、カナンの地にイスラエル国家を建国して、ダビデ王も立てられました。神は、ダビデの子孫に世界の救い主となるキリストが誕生することを、ダビデに約束されました。

 

  ユダヤ民族は、敵国に囲まれ、救い主を待ち望んでいました。ユダヤ人は救いがユダヤ人から出ることを知って、神を礼拝していました。

 

  神の御子イエスが、神の子羊として、イスラエルの地に来られたのに、モーセの律法を守ることでがんじがらめになっていたユダヤ人は、霊の働きに死んでおり、自分達が思い描いたのではない姿のイエスを、神から遣わされたキリストだと信じることが出来ませんでした。

 

  神の子羊イエスが罪の生贄として、十字架につけられ、墓に入り、三日目に甦ったことで、復活のからだのイエスに会ったイエスの弟子達は、イエスがキリストであることを確信しました。

 

  弟子達は、イエスに命じられたとおりに、十字架にかかられたイエスこそ、生きている者と死んだ者との裁き主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、復活のキリストの証人となったのでした。

 

  神が遣わされたキリストを信じなかったユダヤ民族に怒りを燃やされた、アブラハムの神は、神と契約を結んでいるユダヤ民族を、アブラハムに与えた地から追い出し、世界に散らされました。

 

  天地万物を造られ、生きている者と死んだ者とを裁かれる裁き主に仕えるように、と召されたユダヤ民族は、神を霊的に捉える能力が律法の影に追いやられ、霊的死人となっています。

 

  世界のために、キリストを生み出したユダヤ民族は、世界の救いのために、霊の目が塞がれ、国民の1%もイエスをキリストと信じることが出来ないでいます。

 

  一方、神の契約を知らない日本人に、天地万物を造られた霊なる神、すべての被造物や自然環境のうちに働かれ、風のように存在されるいのちの神の存在を霊によって捉え、感じる精神が置かれています。

 

  しかし、日本人はそれが真の神であることを知りません。いのちの根源である方を畏れながらも、その方が裁き主であり、その裁きのために天から救い主が遣わされていることも知りません。

 

  日本には、創造主であるいのちの神に仕え、祈りをする天皇が置かれています。ユダヤ民族の大祭司が神殿で仕えたような儀式が、日本の地で執り行われています。令和の天皇は、126代目の天皇だそうです。

 

  いのちの救いを求めない日本人は、神を霊で感じ取る能力を持ちながらも、また、平和のために祈る天皇の国民であるのにも関わらず、神が地上に遣わされた救い主キリストに出会うことがありません。聖書を知らないからです。

 

  いのちの神の存在を知る感性を持ちながら、日本の国民の1%もイエス・キリストを信じることが出来ていません。

 

  天地万物を造られた創造主を神としているユダヤ人と日本人なのに、ユダヤ人はアブラハムの神がわからなくなっており、日本人は、アブラハムの神を畏れながらも神の救いの約束を知らされていないのです。

 

  ユダヤ人と日本人が、真理に目覚める時、世界は光に満ち、世界は大きく変わることでしょう。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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