ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創造主 救世主 裁き主

 

  初めに、神が天と地を創造した。

 

  初めにということは、何も無かった時にということです。

 

  神とは、御父なる神と、御子なる神と、聖霊なる神の三位一体の神のことです。

 

  御子なる神は、御父なる神に造られたものの根源であり、天地創造の始まる以前、ルシファー(後に悪魔となった天使)が従順に神に仕えており、深淵もまだ無く水のみなぎる源も無かった時、神がまだ地も最初の塵も造られなかった時に生まれていました。

 

  御子は、神が天地を創造されたとき、神の傍らで共に創造したのです。天地万物は、御子のために造られたのでした。

 

  御子のために造られた人、アダムは、神のことばである御子を軽んじて、善悪の木の実を食べてはならない、との命令を破りました。

 

  神のことばよりもエバを選び、神の御声よりも妻の声にしたがったアダムは、神のことばである御子を退けて、神に敵対する悪魔の言葉である蛇を信じたのです。蛇を信じて、悪魔の食べ物の善悪の木の実を食べて霊的死人となり、霊的存在から肉的存在に堕ちたのでした。そして、霊的世界から追放されたのです。

 

  御子は神とともに創造した人を失って、悲しみました。神は、御子のために、人を死と滅びの呪いから救い出すことを定められたのです。

 

  神は、死と滅びに定められた肉的な人を、死から復活させて、永遠のいのちと復活のからだで霊的な人に造り変え、御子とともに神の国を相続する新しい人を創造することを決めました。

 

  人に永遠のいのちを得させるためには、神と等しい聖さのある聖い者としなければなりません。人の不義の汚れを除いて、汚れた悪魔の手から買い戻さなければなりません。

 

  また、罪の呪いが完全に解けた永遠のいのちの魂に、神の国に入る霊のからだを用意しなければなりません。

 

  神は、地上を見下ろし、その御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっているアブラムを見出されました。神は、アブラムと契約を結ばれました。

 

  アブラムは神からアブラハム(多くの国民の父)という、新しい名前をいただき、契約のしるしの割礼を受けました。

 

  神は、アブラハムの子イサクの子孫にカナンの地(現イスラエルの地)を与え、その子孫に神の御子キリストを遣わすことを約束されました。

 

  神は、イサクの子ヤコブを選び、ヤコブにイスラエルという新しい名前を与えました。ヤコブの十二人の息子とその子孫を祝福し、神に仕えるイスラエル民族としました。

 

  神は、ヤコブの十二人の息子からレビを選び、ユダヤ民族を神に仕える民として教育する役目と、ユダヤ民族の代表として、神の御前に出て神に仕える任務を与えました。

 

  アブラハムと契約を結ぶ神は、イサクの子孫から、イスラエル民族を造られたのでした。イスラエル民族は、神が御子を遣わすために造られた神の民でした。

 

  神はユダヤ民族のユダ族からダビデ王を立てられました。ダビデは神を愛する神のしもべでした。神はダビデに約束されました。ダビデの子孫から、国々の希望となる栄光の王、神の御子キリストが生まれる、と約束されたのです。

 

  神は、イスラエルの地に神の王国を建てる計画です。神が遣わされる御子キリストを王とする国です。神が選んだエルサレムから全世界を統治する平和の王です。

 

 

  御父なる神は、御子に肉体を造り、神の民ユダヤ民族の女から生まれる人の子として、また、神の子羊として、地上に遣わされました。

 

  御子イエスには、地上での任務がありました。アダムの不義により、死の呪いに捕らえられて滅びゆく人の魂を、悪魔から買い戻すことです。悪魔によって汚れた魂を洗い清め、神のもとに帰る魂とし、永遠のいのちを与えることです。

 

  神の子羊イエスは、神に受け入れられる全き生贄として十字架にかかり、人類の罪を贖う子羊の血が流されました。

 

  神の子羊イエスの血は、人々の罪を洗い清め、罪を帳消しにする力がありました。神が認められ、受け入れられる唯一の血、贖いの効力を持つ血、神の赦しと永遠のいのちの契約の血でした。

 

  イエスはこの神の子羊イエスの血によって、悪魔に捕らえられていた魂を、悪魔から買い戻したのです。神が買い戻した魂は、神のものです。悪魔は、神が買い戻された魂に所有権はありません。

 

  聖霊なる神は、神の子羊イエスを死者の中から復活させました。復活したイエスは霊のからだで弟子達に現れ、ご自分が永遠に生きる神の御子であり、世の罪を取り除く神の子羊キリストであることを証されたのです。

 

  キリストは、ご自分が御父のもとに帰ると、御父が地上に聖霊を遣わされることを約束しました。そして、キリストを信じる者に御霊が与えられること、また、御霊とともにいる者は、イエスが復活のからだで甦ったように、肉体を失っても霊のからだが与えられて、神の国を相続する神の子となることを約束されました。

 

  また、キリストは、再びイスラエルの地に来られることを約束されました。復活したキリスト、永遠に生きるイスラエルの王として、都エルサレムから世界を治められます。神の民を集め、神の民を救うために来られるのです。

 

  イスラエルの王(キリスト)が治める王国で神の民が整い、神の国が完成すると、神は白い御座に着かれます。

 

  最後の裁きです。天地万物を創造された創造主は、救世主(キリスト)とともに裁きの座に着かれます。御父なる神も御子なる神も、裁きの座に着く裁き主なのです。

 

  裁き主は、神が用意された救いの道に従って裁かれます。神が遣わされた救世主を信じたか、イエスを主キリストと信じて従ったのか、御霊とともに歩んで復活のからだを得ているのか、が裁きを決定します。

 

  神の裁きは、神の義(神が天から地に遣わした贖いの神の子羊による救い。神の子羊イエスが主キリストであると信じる者に、永遠のいのちと復活のからだを与え、彼の名前は「いのちの書」に記す)によって裁かれ、いのちの書に名前の記されていない者は、悪魔に用意された永遠の火の池に落とされます。

 

  「いのちの書」に名前の記された者は、神の御国に入り、御子とともに神の御国を相続する、神の子となるのです。

 

  創造主も救世主も裁き主も、同一の神です。

 

  すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るのです。

 

  神はいわれます。

  「わたしは初めであり、わたしは終わりです。わたしのほかに神はない。わたし、このわたしが主であって、わたしのほかに救い主はいない。」

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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