ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルの神は全地の神

 

 天地万物を造られた全知全能の神が、アブラハムを選ばれました。

 天の神は、ノアの時代に、ノアに箱舟を造るように命じ、箱舟に入ったものを、地上を滅ぼす大洪水から救い出された、被造物の主権者です。天地万物を統べ治められる、絶対的主権者です。永遠の昔からおられ、永遠に生きられる主です。

 

 神には、ひとり子がいました。御使いとは異なる神の御子です。神が天地万物を造られる以前から、天では、神に敵対する悪魔(堕天使)と神を慕う堕天使との間に争いがありました。

 

 悪魔は、神のひとり子を妬み、神に反逆して天から追放された天使長です。天使長のもとにいた天使たちもともに落ちました。光から闇に移ったのです。闇の中(宇宙)では、悪魔につく堕天使たちと天から落ちたことを悔いる堕天使たちとの間に格闘が繰り広げられていました。

 

 神は、悔いる堕天使の救いのために光を造り、地球を造られました。地球は、闇の中から救い、いのちを得させる、いのちの星です。

 神は、天への入り口のエデンの園を設け、そこに、天の光にふさわしく神にへりくだった聖なる者が食べる「いのちの実(永遠に生きるための実)のなる木」と、しみ(不純)傷(追放の痛み)しわ(高ぶり)のある、闇を持つ者が食べる「善悪を知る知識の実(賢くなって自立する実)のなる木」を生えさせました。

 そして、そのエデンの園に、管理者である人(アダムとエバ)を造り、置かれました。

 

 神は、神のひとり子に歯向かう者らを滅ぼし、神のひとり子に従順な者を永遠に生かされます。

 

 悪魔は、神のひとり子を妬みそしる、神の御子の敵対者であり、神の反逆者です。

 悪魔は蛇に言葉を授けて、神が神のひとり子のために造りエデンの園の管理をまかせた人を騙し、闇に引き込みました。堕天使長は、自分に仕えた天使たちのみならず、神が神の御子のために造られた人をも、神から奪いました。

 

 憐れみの神は、神のひとり子のために、御子の愛する「人」がいのちの木に至るための道(御救い)を御計画されました。

 闇に落ちた女(エバ)の生む子孫(女の子孫)に、神のひとり子を遣わすことです。神は、人の救いを神の霊によって人のうちから起こされます。

 

 神の御計画は着々と進められました。

 神は、アダムに、アダムに似たアダムのかたちどおりの子セツを生みました。

 地球にいた神の子(おそらく堕天使)と人の娘との間にできた人間によって、地上は汚れ、神に不遜な人間の地は、暴虐に満ちました。

 

 セツの子孫にノアが生まれました。

 神は、ノアと契約を結び、箱舟を造らせなさいました。そして、地上に大雨を降らせて、地上の生きもののすべてを滅ぼされました。箱舟に入ったノアの家族を洪水から救い出して、箱舟の中に入って生き残ったものから世界を再スタートされました。

 

 神は、ノアの子セムの子孫のアブラハムと契約を結ばれました。神は、水の滅びから救い出すためにノアと契約を結ばれたように、次に定めた火の滅びから救い出すために、アブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。

 

 神は、アブラハムの子孫に神のひとり子を遣わすことを定められました。

 そして、神はアブラハムと契約を結び、契約を結ぶアブラハムとアブラハムの家の男子の肉体に割礼のしるしを要求されました。

 

 神は、アブラハムの契約をその子イサクに受け継がせ、イサクの子ヤコブに相続させられました。

 

 神は、ヤコブの家をエジプトに下らせ、四百年の間、エジプトの奴隷として主人に聞き従う者に造り変えられ(のちに神の奴隷とするため)、カナンの地の住民がすべて悪い者となり滅びの子となった時に、エジプトから連れ出されました。

 

 エジプトの地で増え広がったヤコブの家は、一つの民族(ユダヤ民族)となっていました。七十人で下ったヤコブの家は、エジプトを出る時には、成人男子だけでも、六十万人という大きな群れとなっていたのです。

 

 神は、ユダヤ民族を奴隷の家エジプトから救い出し、荒野に連れ出されました。そして、ユダヤ民族は、神の民としての誓いをし、神と契約を結びました。

 神は、契約を結ぶユダヤ民族を、ヤコブにお与えになった新しい名で『イスラエル(神と人と戦って勝った者)』と呼ばれました。

 

 アブラハム、イサク、ヤコブの子孫は、イスラエル民族と呼ばれ、神は、イスラエル民族と契約を結び、神の律法を与え、律法を守る神の祭司の国民とされました。

 神は、彼らにイスラエルの国をお与えになり、地上に置かれた神の祭司の国民とされました。神は、アブラハムにお与えになった契約に忠実であられ、アブラハムに与えると仰せられたカナンの地にアブラハムの子孫イスラエルを導き入れて、イスラエル国家を建国されたのです。

 

 神は御自身を、『イスラエルの神』と仰せらました。天地万物を造られた全能の神が、一つの民族の神となられたのです。

 イスラエルは、全地を治める絶対的主権者であられ永遠に生きておられる全能の神が、御自分の民として造られた民族であり、国であり、国民です。

 

 イスラエルが、全能の神をイスラエル民族の神としたのではありません。

 全能の神みずからが、御自身でアブラハムを選び、不妊の女サラにイサクを造り、ヤコブの子ら(ユダヤ民族)と契約を結び、神の民イスラエルを造られたのです。

 神のひとり子を遣わすためです。イスラエルは、神のひとり子を迎え、神が遣わされた神の子羊イエスを十字架で屠る祭司の国民なのです。キリストは、神の祭司の国民から生まれ、神の祭司の国民の手によって、罪の贖いの血を流されました。

 

 カナンの地を選ばれたのは、神御自身でした。アブラハムが選んだのではありません。神は、神のひとり子イエスのために、カナンの地を選び、エルサレムを神の御住まいとして選ばれました。神は、御子イエスをイスラエル国民の王とされるのです。そして、御自身が選ばれたエルサレムに、イスラエルの神の御座とイスラエルの王の王座を設けられるのです。

 

 イスラエルは、人間の欲によって生まれたものではありません。

 神が選ばれたアブラハムは、へりくだって神に聞き従う、神の目にかなった正しい人でした。アブラハムは、目に見えないけれども確かに生きておられる霊なるまことの神を信じる信仰の人でした。

 

 アブラハムの子イサクは、その誕生が神に予告され、神が仰せられたとおり、閉経後の九十歳の妻サラが身ごもって産んだ、奇蹟の子です。

 イサクの子ヤコブは、兄エサウと戦い、神と戦って勝ち取り、イサクがアブラハムから受け継いだ神の契約と祝福を相続しました。ヤコブは、神の契約と祝福の価値を悟る、信仰の人でした。

 

 アブラハムには、妻サラの子イサクのほかに、二人のそばめに七人の子どもがいましたが、神は、奇蹟によって生まれたイサクに、アブラハムの信仰を受け継がせられました。

 イサクには、双子の男の子がいましたが、神は、神の祝福を切に求めて、兄エサウとまた神と戦って勝ち取った弟のヤコブ(信仰の勇者イスラエル)に相続させられました。

 アブラハムの信仰は、神の奇跡と神への真実な信仰によって、実体の伴う約束の成就へと成長したのです。

 

 神は、イスラエル国家を築き、まことの神を恐れるユダヤ人の中に、神のひとり子を遣わされました。ユダヤ人の処女マリアが、ダビデの町ベツレヘムで産んだイエスです。神は、ひとり子に肉体を造り、人の子(女の子孫)として地上に遣わされました。

 

 神は、神の霊によって、処女マリアの胎内に神のひとり子イエスを宿らせられたのでした。

 イスラエル(ヤコブ)の父イサクが奇蹟によって生まれた子ならば、イエスもまた、奇蹟によって生まれた子でした。九十歳の死んだも同然の老婆から生まれ、男を知らない処女から生まれました。イスラエルは、神の奇跡によって造られた民族でした。イスラエルが生んだキリスト、神の御子イエスは、神の奇跡の子なのです。

 

 イスラエルは人間の欲求や、肉の力によってできたのではありません。絶対的主権者であられる神が、御計画をもってあらかじめ定め、初めから神の霊によって造られているのです。そして、神の霊によって造られたイスラエルから、世の罪を取り除き死と滅びから救い出し永遠のいのちを得させる救世主イエス・キリストが現われました。

 神の約束どおり、救世主はユダヤ人から出たのです。

 

 神は地上に、神のものを置かれました。それが、イスラエルであり、神のキリスト(神の御子イエス・キリスト)です。

 

 この世の者は、悟ることができません。神の霊によらなければ、悟ることができないからです。信仰がなくては、天のものを知ることはできません。

 世の多くの人は進化論を信じており、神が創造されたと聞けば、おとぎ話のようなことを信じるなんて知識のない無知な人のすることだと嘲笑うことでしょう。

 

 イスラエルの神が、天地万物を造られた創造主であられ、人の魂の値打ちをはかる方、永遠のいのちを得させる方であり永遠の死と滅びを宣言される方、すなわち裁き主であることをだれが信じるでしょう。

 

 全地に、まことの神の祭司の国民がイスラエルただ一つであるように、神を信じ、御救いを受ける人々は少数派です。

 神を恐れる正しい人は多くはありません。世の人々は、彼らを理解することができません。

 

 「彼ら(世の人々)は、あなたがた(神を恐れる正しい人々)が自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。

 彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにも裁こうとしている方(神)に対し、申し開きをしなければなりません。」(ペテロ第一4:4,5)

 

 イスラエルが悪いものとなっても、神は捨てられません。神がみずから造られた神の民なのです。神は、イスラエルの神であられ、世界の神々の上に立たれる全地の神なのです。

 

 神は、モーセに現われた時、こう仰せられました。

 「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(出エジプト3:6)

 

 神は、「イスラエルの神」と呼ばれることを、恥とはされません。

 イスラエルには、神が残しておられる忠実な信仰者たちがいるのです。

 

 神は、背信のイスラエルを世界の諸国に散らし、諸外国で苦しみを味わわせ、無割礼の異邦人を蔑む彼らの歪んだ選民意識を砕いて低い者とされ、キリストの福音を世界に知らせるしもべとされます。

 

 イスラエルの神は、イスラエルに、とこしえのイスラエルの王をお与えになり、彼によって世界を平和に統べ治められます。そのとき、患難をくぐり抜けて生き残った人々は、イスラエルに神がおられ、エルサレムにいのちの主がおられることを知るのです。

 

 「多くの民が来て言う。

 『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主は御自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。』

 それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:3)

 

 「主(イスラエルの神)は、国々の間をさばき、多くの国々の民に判決を下す。

 彼らはその剣(武器)を鋤(農具)に、その槍(争い)をかま(平和)に打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ2:4)

 

 その時、神に逆らっていた人々も聖書のことば(キリストが治められる新しい平和な世界)の実現を見て、イスラエルの神が全地の神であることを知るでしょう。