ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の法って何?

 

  初めに、神が天と地を創造した。

 

  天と地が造られる前から、天地万物を創造する存在があった、ということです。それは神です。この全知全能の神は、永遠の昔からおられました。この方は、いのちの根源であり、すべてのものは、この方から生まれたのでした。

 

  「わたしはある」と名乗られる神は、御自身自ら存在されるお方です。存在するエネルギーそのものであり、すべてのものにいのちを与える、いのちそのものであり、ほかの何者の助けも必要とされず、自ら存在し続けるお方です。

 

  知識と感情と意思を持つ全知全能の神です。神に感情があると聞いて、「神って人間みたいだね」という声を聞くことがありますが、神が御自分に似せて人を造られたのです。

 

  キリストと呼ばれる御子も聖霊も、また、御使いも神から生まれました。神から出ていないものは、何一つとして無いのです。神は永遠の昔から存在しておられ、これから後も永遠に存在されるお方です。

 

  神のうちに矛盾はなく、真実で、調和があります。すべてのものは、ひとつ神によって存在しています。すべてがひとつ神なのです。

 

  神は真理であり、神のことばも真理であり、神から出たキリストも御霊も真理です。真理は、不動のもので、揺らぐことも、変わることもありません。偏りがなく、普遍的なものです。父なる神と神の御国と永遠のいのちは、真理です。

 

  神の法は真理です。真理とは神です。神の御意志です。全き義と全き聖と全き愛の神と一つであることが神の法です。

 

  大天使ルシファーは、心の中で言いました。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山に座ろう。密雲の頂きに上り、いと高き方のようになろう。」

 

  ルシファーは神と等しくなろうとして、神の調和を乱す者、神の権威に逆らう者、神に敵対する者となって、神の法に違反しました。

 

  それで、天から落とされました。ルシファーはサタンとなったのです。神の法から出た者は、よみに落とされ、穴の底に落とされます。

 

  神が御子のために造られたアダムは、神と一つ、御子と一つの者でした。神の法の中にあったのです。塵から造った人に、神は、決め事を与えられました。エデンの園にある善悪の木の実を食べてはいけない、というものでした。

 

  神は、その決め事に戒めのことばも添えられました。「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 

  神の法を犯す者は、天では生きられないのです。

 

  ユダヤ教の大祭司は、贖罪日に契約の箱が安置されていた至聖所に入りました。神が臨在される至聖所は、年に一度、大祭司のみ入ることが許されていました。

 

  大祭司が至聖所に入る時は、腰に紐を結び、衣の裾には鈴が付いていたと聞いたことがあります。至聖所に大祭司以外の人が入ることは出来ません。直ちに死んでしまうからです。

 

  それで、至聖所の外では、他の祭司が大祭司の腰に結ばれた紐の先を持って待機します。鈴が鳴っている間は、大祭司が生きています。しかし、至聖所の中に異変を感じた時は、その紐を引っ張って大祭司の体を至聖所から引っ張り出すのです。

 

  大祭司が神の御前に出るために整った状態で無い場合は、このようなことが起こるのでした。大祭司しか入ることが出来ない地上の至聖所は、天そのものでした。神の法の中にいる者しか生きられないのです。

 

  天の礼拝が黙示録に書かれています。神の御座の回りに目で満ちた四つの生き物がおり、昼も夜も絶え間なく叫び続けています。

 

  「聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」

 

  また、二十四人の長老が御座に着いておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言います。

 

  「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたの御心ゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

 

  天では、御座に着いておられる神に、栄光、誉れ、感謝を献げているのです。

 

  これが、神の法です。

 

  天から追放された者達が生きる地上に、神の御子が人となって下られました。神が世を救う神の子羊イエスを遣わされたのでした。

 

  地上は、神の法の外にある無法世界です。天の法はありません。死んで、滅びる世界です。

 

  地上でも、神とともに歩み、神の法の中に入ったエノクとエリヤは、生きたまま天に上げられました。神を畏れるノアとアブラムは、信仰によって義とされました。しかし、それ以外の人々は神を見出すことが出来ません。

 

  神は、御子のために造った人を惜しみ、彼らを神の法に入れて、永遠に生きる者とするために、キリストを送られたのです。

 

  塵から造った人が、自力で神の法を知り、守り、天に帰ることが適わないことは御存じでした。

 

  神が地上に立てられた神の法とは、十字架で生贄となった神の子羊イエスが、人の罪の身代わりになって死なれたこと、イエスを神が遣わされたキリスト(救世主)であり、わが主であると告白する者は、神の子どもとされる特権が与えられること、また、キリストを信じる者に御霊が住まわれ、御霊とともに歩む者は死んでも甦り、復活のからだを受けて永遠に神の御国で生きることです。

 

  地上で、イエス・キリストを信じ、御霊により霊によって新しく生まれ変わる者は、神の法の中に入るのです。全き人とされるのです。

 

  地上で神の法に服した者は、天の御国に入っても死にません。永遠に生き続けるのです。この神の法は、天の法でもあるのです。

 

  神の法を守れずに、善悪の木の実を食べて死んだ人に、「神の御子イエス・キリストを信じ、御霊を受けよ。そうすれば、生きる」と新しい法を与え、エデンの園を回復されるのです。

 

  神が地上に遣わされた御子イエスは、世の罪を取り除く神の子羊であり、聖霊のバプテスマを授けるキリストであり、神が地上の人々に与えられた、神の法なのです。

 

  神の法に入った者は、天の御国で永遠に生きるのです。