ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

新しい人の子

 

  すべての人は、女から生まれたアダムの子です。生まれながらの罪人です。

 

  人は生まれた時は汚れの無い良いものであったが、この世で生きるうちに煩悩が現れ汚れて悪いものになってしまう。人は本来、神に似た良いものである、と説く教えもあるでしょう。

 

  しかし、聖書では、人は最初の人アダムの罪により、生まれながらの罪人である、といいます。

  聖書でいう罪とは、真のいのちである神から外れていること、的外れな在り様を罪と言います。

 

  存在するすべてのものは、神が創造された被造物であり、天には、創造主と被造物しかいません。ひとりの神がすべてのものを創造され、生み出されたのです。

  被造物は、神によって生まれ存在しているのです。神はすべてのものの存在の目的と原因である方、いのちの根源であるお方なのです。

 

  被造物は、いのちの源、存在の根源であるお方を知っていました。神に治められ、調和と平和がありました。

 

  天は、平和に満ちていました。天使長のルシファーが神のひとり子に妬みを持つと、様子が変わりました。天使長は、神に仕え、神に従い天使を治めるものでした。御子は、神の懐にいました。

 

  良き働きをしていたルシファーは、神の愛のうちにいて安息している御子に嫉妬して、御子よりも高い者でありたいと思うようになりました。実際、天を治めるために働いているのはルシファーでした。

 

  御子には神格がありました。どんなに神に熱心に仕え、天を治めていても、ルシファーには神格はありません。すべての天使らがルシファーの権威の下で、ルシファーに仕えています。ルシファーは天使の統治者としての権威があるものなのに、御子に仕えなければなりません。

 

  ルシファーは、御子を妬み、神に反逆しました。ルシファーは、神の権威に仕えるものでしたが、神の御子に仕えることには快く思っていませんでした。

 

  ルシファーは、天の秩序を乱しました。天は、神の聖と義と愛が満ち満ちた、調和と平和の世界です。父なる神と子なる神と聖霊の義と愛が支配する聖なる場所です。三位一体の神に平和があるように、平和を乱すものの存在があってはならない場所です。

 

  天は、平和の神が治める世界です。主権者は、神です。神は、父なる神であり、子なる神であり、聖霊なのです。神は、すべてのものの上におられる方であり、すべてのものは、神に仕えるのです。

 

  天使たちを治め神に仕える天使長が自ら、天の秩序に逆らいました。権威が与えられている天使長の反逆は、ルシファーひとりの反逆に留まりません。ルシファーに治められている天使らも巻き込んでしまいます。

 

  創造主であり絶対的主権者である神、万物の存在の根源である神は、神のことばにより、全き調和のうちに、天を保っておられました。

 

  全き天に歪みが生じました。神は、全き調和に生じた異物を取り除かなければなりません。全き聖である神の中では、異物は消滅します。しかし、神は、天使長ルシファーとそれに従う天使たちが消滅することを望まれませんでした。

 

  神は天使長ルシファーとルシファーに従う天使たちのために、闇を創造して、光から追放しました。彼らは、天から堕ちました。神のひとり子に敵対し、御子よりも高いものになろうとした彼らは、神のことばに敵対する者、反逆者となって、闇に落ちたのです。

 

  闇に落ちたルシファーと天使は、悪魔と悪霊になりました。彼らは、永遠に神に反逆する者であり、永遠に神の御子に敵対する者です。

 

  

  神は、神のことば(神のひとり子)によって、人を造られました。神の似姿に造られた人は、御子の楽しみであり、神の喜びでした。人は、神のことばとともにありました。

 

  御子に敵対する悪魔は、人を悪魔の言葉と結び、神のことばから引き離しました。神のことばから外れた人は、いのちの神から外れ、死ぬ者となりました。

 

  人は、被造物を支配する者として造られたのに、神との交わりが断たれ、神の知恵と知識を失いました。いのちの支配を失った人は、死に支配される者となりました。

 

  まことのいのちの光を失い、霊の目は閉ざされて、暗闇ではっきりと捉えられない影の中をさまよう者となりました。

 

  神から離れた者達の生きる世は、実体の隠された束の間の現象の世界です。永遠ではありません。時間があり、朽ちてしまう、はかない世界です。

 

  人は生まれた時から、目に映る現象が現実世界だと信じて、世をはかなみながら、限られた生命を、与えられた肉体の中で生きます。人は、悪魔の偽りに騙されたまま、悪魔に支配されます。悪魔は、人が生きる苦しみの本当の意味に気づかないように、彼らを盲目にし、思いに覆いを掛けます。

 

  人は、病気になること、年月が経てば劣化して老いること、そして、死ぬことは誰かが決めた摂理だと信じ込まされ、抗うことの出来ない、人の歩む道だと思います。逃れたくても、誰も逃れられない定めだと悟ります。

 

  それらは、偽りです。いのちは死ぬものではなく、永遠に生きるものです。神は、偽りに騙され悪魔の奴隷となった人を、いのちは永遠である、という真理を知らせ、真理に導くために、人を生きる苦しみの世に置いておられるのです。

 

  人を滅ぼすつもりならば、とっくに滅ぼしておられます。神は、人に真理を教え、人生の苦しみの中で真理に出会うように、また、もとの霊的な存在に回復し、本性に立ち返って神のことばのうちにあるものとするために、実体(目に見えないもの、神)を隠して、目に見える現象(永遠でないもの)の世界で、魂に、選択の余地を残しておられるのです。

  この世の人生は、死んだ霊と魂を生き返らせて、永遠の滅びから救い出す、という神のご計画によって存在しているのです。いのちの敗者復活の貴重な機会なのです。

 

  神のことばと結びつく力は、信仰だけです。神は、地上に、神のことば(御子)を遣わし、キリストの御霊の信仰を与えて、信仰によって新しい人の子を創造をされるのです。

 

  はじめからあったいのちに帰る魂としてくださいます。キリストによって永遠のいのちが与えられ、真理の御霊によって、目に見えないものこそが真理であることを悟るのです。

 

  神に信仰が与えられた、新しい人の子は、もはや、アダムの子ではありません。キリストの血によって聖められ、御霊によって新しく生まれた、新しい創造であり、新しい人の子です。

 

  新しく創造された人は、全き人の子であるキリストのからだの一部であり、キリストに似た者となります。

 

  アダムの子は、アダムのからだの一部であり、アダムに似た者で、神のことばから外れ、神がわからず、肉の思いのまま死に向かって生きます。

 

  新しい人の子は、神の子羊イエスとともに永遠に生きる者、キリストとともに神の国を相続する神の子となるのです。