ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

だれが復活するのか

 

 「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。」(ルカ20:34-36)

 

 当時のイスラエルでは、長男が妻をめとり、子どもがなくて死んだ場合、兄のために弟がその妻をめとり、兄の名前の子孫を残さなければなりませんでした。

 復活があることを否定するサドカイ人たちは、「子を残さずして死んだ者の妻は、復活の際、いったい誰の妻となるのか。兄の妻か弟の妻か。」とイエスに尋ねたときの、イエスのことばです。

 

 復活するときは、もはや肉の存在ではありません。この世で夫であった者も、妻であった者も、次の世では、夫でも妻でもないのです。

 

 この世の子らは、めとったり、とついだりしますが、次の世では、人の子らは御使いのようです。次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と神から認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。完成された人となります。キリストに似た者となり、天の御国に入る神の子どもとなるのです。

 

 十字架で死んで、死から甦られた主キリストと同じようになります。神のひとり子キリストの栄光の輝きをいただく者となるのです。彼らはもう死ぬことがありません。永遠に生きる神の子どもとして、復活します。

 

 それは、イエス・キリストを信じる者(クリスチャン)の信仰によるのでしょうか。イエス・キリストを信じる信仰によるのでしょうか。それとも、クリスチャンがそうなると信じているから、復活するのでしょうか。

 

 イエスは言われました。

 「次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともなく、死ぬことのできない御使いのようであり、復活の子として神の子どもです。」

 

 次の世に入るのにふさわしい人です。死人の中から復活するのにふさわしい、と神に認められた人です。

 

 神の御子イエスは、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、自分を無にして人間と同じようになられ、父なる神に忠実に聞き従い通されました。

 神の御子イエス・キリストをかしらとする神の子どもたちもまた、自分の義に立たず、神を仰ぎ、イエス・キリストのことばのうちを歩む者です。

 

 イエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマをお受けになると、聖霊が留まられ、聖霊とともに父なる神のわざを行ない、生ける神のことばの真実を証されました。イエスは、聖霊とともに歩まれたのです。

 

 神の御子イエスが「人の子」として歩まれたとき、聖霊がともにおられました。イエスは決して、ご自分で判断したり、神の御子としての自分自身の力に頼っていたのではありません。父なる神が天から遣わされた聖霊とともにおられたのです。

 

 父なる神と神の御子イエスと聖霊とは、一つでした。人の子イエスの歩みもまた、聖霊とともにあり、父なる神とともにありました。インマヌエル、神がともにおられたのです。神の子どもは、神がともにおられる者です。

 

 クリスチャンの間では、イエス・キリストを信じる者はみな、復活すると考えられていますが、イエスは、「復活の子は、次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たち。」と限定されました。

 

 人の子イエスが、聖霊とともにあり、神がともにおられたように、イエス・キリストの御救いを受ける者は、聖霊とともにあり、神がともにおられる人なのです。

 

 パウロは言っています。

 「もしイエスを死者の中から甦らせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中から甦らせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。

 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」(ローマ8:11-16)

 

 キリストの御霊は、私たちを奴隷のように酷使される方ではありません。情け容赦なく引き釣り回す恐ろしい支配者ではありません。私たちのうちに住まわれ、私たちに魂の安らぎを与えてくださるへりくだったお方です。

 

 神から、聖霊のバプテスマを授ける権威を与えられた主キリストがお与えになる御霊を受け取って、キリストがお与えになる御霊に導かれる人は、ユダヤ人であっても、異邦人であっても、病人であっても、老人であっても、寝たきりの人であっても、無学な人であっても、社会的弱者であっても、貧しい人であっても、罪深かった人であっても、幼子であっても、だれでも、神の子どもなのです。

 

 御霊に導かれる人は、御霊によって、からだの行ない(肉の欲望)を殺し、御霊によって、神に喜ばれることを望み、イエス・キリストの父なる神を、「アバ、父。」と呼びます。それは、子としてくださる御霊を受けたからです。

 

 御霊は、神の御心に従って、弱い私たちを助け、聖徒のために執り成しをしてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのために執り成してくださいます。(ローマ8:26)

 

 そして、私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださるのです。

 

 聖霊(キリストの御霊)が、神の子どもであることをあかししてくださるので、その人は復活の子とされるのです。

 父なる神が、聖霊(神の御霊)において、次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認めてくださったからです。