ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスが道であり真理でありいのちです

 

  イエスは弟子達にいわれました。

  「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰ひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

  道とは、最終ゴールである天の神のもとに帰るための道です。イエスが地上に来られるまでは、存在しなかった道です。イエスが歩まれた足跡が道となって現れたのです。

 

  父なる神を愛し、父のことばに従い、父の御思いの中を歩む道です。父とは誰でしょう。神の御子イエスを世に遣わされた父なる神です。永遠の昔からともにおられた天の父であり、すべての被造物を生み出された創造主、天の神のことです。

 

  父のことを知らせ、御国の知識に至らせる、御霊の働きの道です。人々の心を創造主である父なる神に向けさせて、彼らの意識が神に置かれ、心が神と結び合わされて神の霊によって生きる、天に属する新しい生き方を現わす道です。

 

  世は神を知りません。新しい生き方を望んでもいません。この世で成功し、この世で幸せであることを願うばかりです。人間の知恵と叡智を誉れとし、誇りとします。世は、天の神を必要としないのです。

 

  世は、天の神を憎んでいます。神の義を憎んでいるのです。聖なることを快く思いません。光を憎む闇の子らは、天の神のもとに帰ることよりも、神のいない新しい天と地を作ることに希望を持ちます。

 

  悪魔は、神の被造物を間借りする者なのに、神よりも高くなりたいと思っています。自分が神だとして、人間に崇められることを計画し、多くの人間を悪魔の民、奴隷として手に入れています。それで、闇の子らは悪魔を礼拝しています。彼らの神は悪魔なのです。

 

  世は、イエスを憎んでおり、イエスの教えを守りイエスに結び付く人を憎みます。彼が、この世のものではないからです。イエスの歩まれた道は、義のために世の人々に憎まれ迫害され、世に捨てられる道です。

 

  イエスの足跡を歩むと、人々の誤解や中傷、蔑みや嘲りを体験します。しかし、主イエスもその道を歩まれたのです。

 

  ひとりの律法学者が来てイエスに言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」

  すると、イエスは彼に言われた。

  「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

 

  天から来られたイエスには、地上に安心して過ごす場所はありませんでした。天に帰る人々にとっても然りです。天のものは地のものと混じり合っていますが、団結することはないからです。

 

  神の国は光であって、全き愛と全き聖と全き義です。天から来られたイエスも罪のない聖なる方であり、神の義を持つお方、慈愛に満ちたお方でした。イエスの性質は、天の性質です。

 

  世は、闇(神に敵対する悪魔)に支配される地の性質です。罪汚れは彼らの楽しみです。貪欲、盗み、嘘つき、不品行、魔術、偶像、嘲り、争い、虐げ、殺人は、彼らの生きる力です。彼らにとって、真理は愚かなことです。真理は、この世で生きる希望を失った者達の吹き溜まりです。

 

  この世を憂う人々は、真実な光を求めます。真理を求める人に、真理はこの世で生きる意味を教えます。真理を生きることを望む人に、神の霊は臨まれます。

 

  神の霊は、イエスが神の子キリストであることを知るように導かれます。御霊によらなければ、「イエスは主です」(イエスが唯一の神、私の主です)と告白することが出来ないからです。

 

  「イエスが主です」との告白は、真理なのです。イエスは、天の神の御子であり、永遠に生きておられる神格者であり、永遠に変わらない真理なのです。イエスは、何によっても揺るがされず、永遠に存在する神のことばです。イエスのことばは、何一つ地に落ちることがありません。

 

  天の神は永遠に生きる方。イエスも永遠に生きる方です。命を生み出された、いのちの根源であるからです。いのちの神が、すべての被造物を造られました。この方によらないで、造られたものは何一つありません。命あるものも神に造られ、命を入れられたのです。

 

  命は、天の神のいのちから離れてあるわけではありません。いのちの神の意思が離れる時に、その命は土に返るのです。

 

  イエスは、十二人の弟子達に言われました。

  「からだを殺しても、魂を殺せない人達などを恐れてはなりません。そんなものより、魂もからだも、ともにゲヘナ(永遠に燃え盛る火の池)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

  二羽の雀は1アサリオン(300円位)で売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

  だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれたものです。」

 

  生まれることも、死ぬことも、神の許しなしには、起こらないと言われました。闇の世でも、主権は神にあるのです。神の許可があって、悪魔のわざが許されるようです。悪魔は、神の許しなしで働くことは出来ません。

 

  神の目的は滅ぼすためでしょうか。いいえ、神を恐れ、神に立ち返る機会を与えておられるのです。そのことが起こるのを許される神には、神のご意思もあるのです。終わりの時代には、神の御前に立つための備えがされます。

 

  神の民の目を覚ますこと、神の御心を知り、神の命令を守ること。神は、いのちを与えるために、あらゆることを用いて働きかけるのです。破壊者悪魔は破壊し滅ぼすために働きます。しかし、神は永遠のいのちを与え救うために、悪魔の働きを許されるのです。

 

  世は命を追い求めます。この世にいる時間が増すことを願います。肉体の命を惜しんでいるのです。

 

  しかし、イエスはいのちです。天で生きるいのちです。復活のからだをいただく永遠のいのちです。イエスを持つ人々は、肉体の命ではなく、天に帰る永遠のいのちが与えられるのです。

 

  神は、永遠のいのちを与えるために、御子イエスを地上に遣わされたのです。「わたしが道であり、真理であり、いのちです」と証言されるイエスとともに生きる人は、肉の世の滅びから救われ、御霊によって新しく創造されます。

 

  御霊によって生まれた人は、イエスの十字架の贖いが天に帰る道であり、真理の御霊によって教えられ導かれて、魂の救いの喜びと平安、永遠のいのちを受けて、神の御国を目指しイエスの信仰によって生きるのです。

 

  この世の罪の奴隷であった時は、義について自由に振舞い、死に至っていました。しかし、イエスを信じた今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。

 

  神は、死を望んではおられません。神は、終わりの時代に、世の患難から救い出されて、主キリスト・イエスにある永遠のいのちを受けることを願っておられるのです。

 

 

    著書 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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