モーセから神の律法を受けた民イスラエルは、律法によって義とされることを信じました。しかし、律法によって救われるとは考えていません。律法に従うことで神に義とされる聖なる民であることが、神の契約のしるしである割礼を持つ民イスラエルの光栄です。
律法に厳格である先には何があるのでしょう。救いのためには何をしたらよいのでしょうか。イスラエルが望みを置くモーセは、イスラエルが守るべき律法の中に、ほかのすべての掟と定めとをおおう、一つの究極の律法を与えていました。
使徒3:22,23にこのように書かれています。
「モーセはこう言いました。
『神である主は、あなたがた(イスラエル)のために、私(モーセ)のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たち(ユダヤ人)の中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について述べました。」
イエスの弟子ペテロ(使徒ペテロ)は、申命記18:15のみことばを引用したのです。
死から復活されたイエスは、イエスの死と復活の約束を理解せず、心の鈍い人たちに、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分に書いてある事がらを解き明かされました。
実は、生前イエスは、ご自分の死と復活について、弟子たちに語っておられました。
「イエスは、十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。
『さあ、これから、わたしたち(イエス一行)はエルサレムに向かって行きます。人の子(世の罪を取り除くために人の子の姿となり、罪の贖いの神の子羊として来られた神のひとり子)は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼ら(祭司長たち)は、人の子(神の子羊イエス)を死刑に定め、そして、異邦人(ローマ帝国)に引き渡します。
すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子(メシアである主キリスト)は、三日の後に、甦ります。』」(マルコ10:33,34)
イエスは弟子たちに、モーセが荒野で上げた青銅の蛇のしるしによって、イエスの十字架の死を、また、三日三晩大魚の腹の中にいた預言者ヨナのしるしによって、三日目に死から甦るキリストを知らせておられました。
「モーセが荒野で蛇(青銅の蛇)を上げたように、人の子(主キリスト)もまた上げられなければなりません。
それは、(十字架につけられたイエスが救い主であることを)信じる者がみな、人の子(キリスト)にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14,15)
「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(キリスト)も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:40)
イエスがこれから起こることを知らせておられたのに、弟子たちはそれを理解することができませんでした。それゆえ、イエスが甦られたと話す女たちのことばを信じませんでした。
「するとイエスは言われた。
『ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光(復活と昇天と神の御座の右に着座し、聖霊のバプテスマを授けるキリスト)に入るはずではなかったのですか。』」(ルカ24:25,26)
ユダヤ人の律法は、神が遣わされた神の御子イエス・キリストを信じ、キリストに聞き従うことで完成します。主キリストに聞き従う者は、神の子羊イエスの死によって律法の違反の罪が赦免され、すべての律法を守る義なる者に数えられて、永遠のいのちを得させられるのです。
しかし、多くのユダヤ人は、モーセの命じた、聞き従わなければならない神の御子キリスト(神の子羊イエス・キリスト)にそむき、神の御救いの約束から外れイスラエルの中から滅し絶やされました。
神の律法に忠実な民であることを自負するユダヤ人が、罪の贖いの神の子羊の血を受けておらず、律法の違反の罪を抱えたままです。神が、イスラエルに約束された御救いは、罪を贖う主キリストによるものであり、律法では実現しません。
神の御子キリストの血によって、すべての律法は完成されます。また、主キリスト・イエスによって、御救いは成就するのです。
それでは、モーセの与えた究極の律法(神の御子キリストを信じ、イエスのことばに従う)を守ったキリスト教会はどうでしょうか。
神の子羊イエスの血により、罪は贖われました。神に義とされるのです。神の律法を知らなかった異邦人が、また、神の契約のなかった無割礼の異邦人が、神の御子イエス・キリストを信じて、神に義とされました。そして、神の子どもとされる特権を受けるのです。
神を知り、神に覚えられていたユダヤ人たちが、神の御子イエス・キリストを信じないことで、不義とされ、御救いから外され、そして、神から遠くに離れていた異邦人が、神の御子イエス・キリストを信じることで、義とされ、神の子どもとされる約束を受けるのです。
この約束には、もう一つの約束が伴いました。天に引き上げられた神の御子キリストが授ける聖霊のバプテスマを受けることです。
聖霊は、神が「御子キリスト」を地上からを引き上げた後に、神が地上に遣わされた「もうひとりの助け主」です。キリストの弟子たちを天の御国に続く「いのちの道」へと導く真理の御霊です。
人の子イエスが地上におられる時は、弟子たちはイエスとともにいて、イエスから教えを受けていました。
イエスが死に、復活して天に上られると、聖霊が注がれて、御霊を宿す者とされました。キリストの御霊がひとりひとりの弟子のうちに宿られて、イエスのことばを思い起こさせ、また、真理を教え、イエスと歩んでいた時のように、主がともにおられる歩みをするのです。
イエスがともにおられた時は、弟子は自分の外にイエスを見ていましたが、聖霊を受けると、イエスを自分のうちに体験します。
聖霊を受けると、永遠のいのちのものの見方に変えられていきます。朽ちて行くこの世の知識ではなく、永遠に残る天の御国の知識を聞く者とされるからです。彼らの心の中心には、神がおられます。
神の霊を心の王座に迎えた彼らは、御霊が新しく創造される人の子(新しい人)に造り変えられ、彼らは天の御国に入る神の子どもとされるのです。
さて、黙示録には、終わりの時代に必ず起こることが書かれています。
世の終わりの前兆と、神の家の裁きと、異邦人の時の完成。
反キリストが立つまでの世界の流れと、第三次世界大戦。
エルサレムの第三神殿の建設とふたりの預言者(証人)。
エルサレムの大洪水と神に敵対する反キリストの世界支配による闇と、反キリストの像の試みと人間(天に属する神の子どもには決してなれない地上に属する人間)の数字「666」の刻印の試みから救い出されるユダヤ人と残されたキリスト者の魂の刈り取り。そして、世の裁き。
ハルマゲドンの戦い(神の御子キリストと悪魔の戦い)によるキリストの勝利と、反キリストの終焉。
悪魔が千年間縛られることと、神の御子イエス・キリストが世界を治める千年王国(地上の神の国)と、神の国の完成。神の国の完成とは、天の御国に入る七つの御霊の教会が完成されることです。
千年の後、縛られていた悪魔が解き放たれ、悪魔に従う者(御霊の教会以外の者)は、すべて焼き尽くされます。
大きな白い御座による、神の裁き。最後の裁きと呼ばれる裁きであり、裁きの座には、(神の子羊イエスの父である)神と神の御子(神の子羊キリスト・イエス)が着座しておられます。
神の子どもたち(七つの御霊の教会)は天の御国に入って永遠の安息にはいり、人間は悪魔と悪霊どものために設けられた永遠の火の池に投げ込まれます。
黙示録には、七つの御霊の教会のことが書かれています。天の御国に入る教会のことです。ユダヤ教でもなく、キリスト教でもなく、神の御霊が創造される御霊の教会(とこしえのイスラエル)です。
ユダヤ教の中にいるユダヤ人たちは、彼らの律法をおおう「神の御子キリスト」によって救われます。
キリスト教の中にいるクリスチャンたちは、聖書のことばをおおう「生かす御霊」によって救われます。神の国は、ことばにはなく、(聖霊の)力にあるのです。
御霊の教会は、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)だけではなく、キリスト教の聖書(旧約聖書と新約聖書)だけではなく、世界中のそれぞれの民族、それぞれの言語で語られたすべての真理のことばをおおいます。神道、仏教、そのほかの民族の神々が啓示された真理のことば(神示)をおおいます。
神は世界におひとりだけです。聖書以外にも、神は、神の霊によってそれぞれの民族に、それぞれの言語による啓示のことばや預言のことばを与えておられることでしょう。
そして、霊なる神を恐れる真実な心の魂に、聖書に書かれた聖霊(キリストの御霊)によって、真理を悟らせ、聖霊に聞き従う信仰をお与えになるのでしょう。現在、彼らは、それがキリストの御霊であることを悟らずに、霊なる方に教えられています。
聖書のみことばに聞き従う習慣の人のほうが、霊なる聖霊の導きを受け取るのが苦手なのかも知れません。
御救いは、キリストが授けられる聖霊によるのです。それゆえ、黙示録には、キリスト教会ではなく、御霊の教会が天の御国に入る教会として書かれているのでしょう。
ご自分の民であるユダヤ人やクリスチャンに親切にした人々も招かれます。神は人の心をご覧になられる主です。
罪に嘆く取税人の友となられ、社会からつまはじきにされている遊女の信仰を受け取られ、悪霊のえじきになっている人々を解放されたイエス・キリストの御霊が、罪人たちを御霊の教会に招かれるのです。
イエスは言われます。
「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:32)
天地万物の創造主であり、裁き主であられる唯一のとこしえの神は仰せられます。
「わたし(神)は誠実を喜ぶが、生贄(神への献げ物や犠牲)は喜ばない。
(神をなだめる)全焼の生贄より、むしろ神を知る(神の交わりの中に入る)ことを喜ぶ。」(ホセア6:6)
使徒ヨハネは言います。
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(ヨハネ第一1:3)
神の国は、御父、御子イエス・キリスト、聖霊との交わりを持つ神の国民の国なのです。御霊による霊的な交わりの中でそれぞれが整えられて、キリストをかしらとするキリストのからだを完成します。この交わりにより、御救いが完成されるのです。