ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスがメシア―ペテロの証言―

 

  ペテロはイエスから、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」と言われた通り、ペテロは、ユダヤ人を恐れ、イエスの仲間であることを否定しました。「そんな人は知らない」と呪いをかけて誓い始めたのです。

 

  ペテロはイエスに言っていました。「たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」しかし、ペテロには一緒に死ぬ勇気はありませんでした。

 

  しかし、聖霊を受けたペテロには、聖霊の力があります。大胆にイエスを証言する者とされたのです。

 

  聖霊を受けたペテロは、ユダヤ人に声を張り上げて証言しました。

  「イスラエルの人達。この言葉を聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、証の奇跡を行われました。それらの事によって、神はあなたがたに、この方(神から遣わされたメシア)の証をされたのです。これは、あなたがた自身がご承知の事です。

  あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者(神の敵対者悪魔)の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、甦らせました。この方が死につながれていることなど、あり得ないからです。

  ダビデはこの方について、こう言っています。『あなたは私の魂をハデス(火の池)に捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからです。あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』

  ダビデは死んで葬られ、その墓は今日まで私達の所にあります。彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。それでのちの事を予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。

  神はこのイエスを甦らせました。私達は皆、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

  ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

  ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 

  イエスは、ダビデの約千年後にダビデの子孫として生まれています。神はダビデに、千年後に現れる、人の子イエスを知らされたのです。

  ダビデは、ダビデの子孫に永遠に堅く立つ王が生まれることを、神に約束されていました。ダビデは、その子孫を見て、「私の主」と呼んでいるのです。ダビデは知っていたのです。

  彼が永遠に生きるメシアであることを。そして、ダビデの魂を滅び朽ち果てぬように、ハデスに捨て置かず、いのちの道を知らせ、神の恵みによって救い、喜びで満たしてくださることを。

 

  ダビデはメシアが世に現れたのを見ていません。メシアが世に現れるのは、千年もあとのことです。しかし、ダビデは、神のご計画を知っていました。ダビデ自身が天に上ったわけではないのに、『主(創造主)は私の主(神の子羊イエス)に言われた。わたしがあなたの敵(悪魔)をあなたの足台とする(神の民ユダヤ人が皆、イエスを主と告白する)まではわたしの右の座に着いていなさい』と詩編に書いているのです。

 

  神は、イエスを甦らせ、それによって、ユダヤ人にその約束を果たされました。神がイエスを死者の中から甦らせて、もはや朽ちることのない方とされたことは、「わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがた(ユダヤ民族)に与える」と約束されたことの成就でした。

 

  神は、ダビデに約束された子孫(イエス・キリスト)によって、神に敬虔な者達を滅びから救い出し、いのちを与え、永遠に生きる者とされるのです。

 

  ユダヤ人は、敵から救い出してくださるメシアを待っていました。ユダヤ人は復活の希望を持っていました。ユダヤ人は、メシアによるこの世の回復を待っています。

 

  約二千年前、ユダヤ人の羊飼い達が、「今日ダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」と御使いのお告げを受けました。この時生まれた救い主と呼ばれる赤子が、十字架につけられた神の子羊イエスなのです。

 

  彼は、『ユダヤ人の王』の罪状書きで処刑され、贖いの血を流されましたが、死から甦り、今は神の右の座に着いておられます。ダビデは、死から復活して昇天された栄光のキリストが神の右の座に着くことを知らされていたのです。

 

  ダビデが詩編に書き記しているように、キリストは神の右の座におられます。殉教の際、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て、こう言っています。「見なさい。天が開けて、人の子(主イエス)が神の右に立っておられるのが見えます。」

 

  ペテロとヨハネは、ユダヤ人を教え、イエスの復活を例にあげて死者の復活を宣べ伝えた。また、大祭司、民の指導者達、長老の前で、ペテロは聖霊に満たされて語った。「病人が何によって癒されたかについて、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。病気が直ったのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から甦らせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」

 

  彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いた。

 

  「『あなたがた家を建てる者達に捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方(イエス・キリスト)のことです。

  この方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私達が救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」  

 

  神の家を建てるために立てられている民の指導者達が拒絶し、キリストと認めなかったナザレ人イエスが、実は、天から遣わされた御国の礎であったことを証言しました。神のみことばを教える立場の指導者達に捨てられた石が、永遠に堅く立つ神の家の礎の石となったのです。

 

  この礎の石は、罪人を世から救い、永遠のいのちを与え、永遠に生きる者達の住まいを天に用意し天に導き入れてくださる、救世主イエスキリストなのです。

 

 

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