ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ民族が存在しなければ

 

 神は、アブラハムと契約を結ばれました。カナンの地を与えることと、アブラハムの子イサクの子孫がそれを受け継ぐこと。そして、イサクと神の契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とすることを約束されました。

 

 神は、仰せられました。「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」(創世記18:18,19)

 

 神には、ご計画がありました。アブラハムの子孫に、御自分のひとり子を、「人の子」として遣わすことでした。彼を人類の罪のための生贄の子羊とすることです。神の子羊イエスの贖いのわざは、すでに神の計画のうちにありました。その計画を実現する者として、アブラハムの子孫を選ばれたのです。

 

 アブラハムを選び出した神は、アブラハムの不妊の妻サラにイサクを与えられました。その時、すでにサラは閉経していました。妊娠の望みの全くないサラに神の霊が臨んで、イサクを産んだのです。アブラハムの契約と祝福を受け継ぐ子(イサク)は、神が用意されました。

 

 神は、イサクの妻の胎にあるときから、双子の弟が兄に仕えることを定めておられました。それで、弟ヤコブが、アブラハムの契約と祝福を相続しました。神が決められたことでした。人から出たことではありません。

 

 ヤコブの子らの時代に、飢饉が起こり、ヤコブとヤコブの子らはエジプトで養われました。ヤコブが亡くなると、ヤコブの子らは神が与えるとアブラハムに約束されたカナンの地(現イスラエル)にある先祖の墓に葬りました。その墓地には、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアが葬られています。

 

 エジプトの大臣であったヤコブの子ヨセフが亡くなり、ヨセフのことを知らない世代の王が立つと、ヤコブの十二人の子の子孫は、エジプトの奴隷となりました。エジプトの在留異国人であった彼らは、奴隷とされたのです。

 

 契約を結んだ神は、アブラハムの契約を受け継ぐ子孫が、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられることを、アブラハムに告げておられました。このことが起こるのは、カナンの地がアブラハムの所有であることのしるしでした。

 

 アブラハムに告げられていたお告げ通り、ヤコブとヤコブの子孫は自分のものではないエジプトの地で四百年間、奴隷として苦しめられました。

 

 四百年の時が経つと、アブラハムに告げられた通り、ヤコブの子孫が仕えたエジプトの国民を、神が裁き、その後、彼らは多くの財産を持って、エジプトから出て来て、神がアブラハムに与えたカナンの地に戻ったのです。

 

 アブラハムが受けた神の契約の割礼のしるしは、アブラハムの子孫にも受け継がれました。彼らは、割礼のしるしを持つ民です。

 

 神は、モーセを通してヤコブの子孫に、神の民として守るべき律法を与え、神に仕える民族とされました。それが、ユダヤ民族です。ユダヤ民族は、エジプトから出て、アブラハムに約束された地、カナン(イスラエル)に入り、定住し、イスラエル国家となりました。

 

 神に仕えるために、神が造られた民族です。彼らは、生まれた時から神に聖別されており、神の祭司の国民となるように定められていたのです。ユダヤ民族の王は主であり、ユダヤ民族の神は全能の神です。神は、彼らに特別な計画を持っておられました。

 

 神に仕えるための国民です。もし、他の国々のようになろうとするならば、神の計画から外れることです。神は、彼らを契約の地から追い払われます。彼らが悔い改めて神に立ち返り、神の契約のように神に仕える民となるならば、神は、彼らにアブラハムに約束された契約の地を相続させられるのです。

 

 イスラエルに住むユダヤ人に、神は、地のすべての国々の祝福となる、神の子羊イエスを遣わされました。神がアブラハムを選ばれたのは、実に、神の子羊イエスを世に与えるためでした。イスラエルは、神がキリストを遣わすために造られた民族です。

 

 神は、ユダヤ民族に神のことばを与え、啓示を与え、預言を与え、しるしを与えておられます。『聖書』は、ユダヤ民族に与えられたものでした。ユダヤ民族が存在しなければ、人類は聖書を得ることができませんでした。

 

 ユダヤ人が割礼を拒み、律法を嫌い、安息日を守らなければ、神の契約は成就しません。神から離れ、偶像に走り、さ迷った時代もありました。しかし、ユダヤ人は、彼らの先祖の神に立ち返り、割礼も、安息日も、律法も、食物規定も、しきたりも守り続けて、今日があるのです。

 

 ユダヤ民族が存在しなければ、聖書もなく、キリストも遣わされず、救いも永遠のいのちもありませんでした。イエス・キリストの福音は、ユダヤ人から始まり、世界の国々に広まっています。ユダヤ民族が受けた聖書もキリストも、異邦人を照らす啓示の光であり、御民イスラエルの光栄なのです。

 

 イエスは、ユダヤ人たちに言われました。「『讃えるべきかな。主の名によって来られる方。』とあなたがたが言う時の至るまでは、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」

 

 キリストの再臨は、ユダヤ人たちがイエスを神の遣わされたキリストとして知り、主イエスを讃え、イエス・キリストを待ち望む時の至るまでは来られないようです。

 

 人類の中で、真の全能の神のことば(聖書)を受けたのも、神の贖いの子羊イエスを受けたのも、ユダヤ民族です。そしてまた、天から来られるイスラエルの王(復活のキリスト)を地上に迎えるのも、ユダヤ民族です。ユダヤ民族に、イエスが主キリストであると悟るときが訪れます。

 

 ユダヤ民族が地上に存在しなくなれば、神の計画は成就しません。神と契約を結んだアブラハム、イサク、ヤコブの子孫、ユダヤ民族が、神のご計画を実現させる、地上に置かれた神の民です。

 

 悪魔は、ユダヤ民族を地上から消し去ろう、絶滅しようと働いて来ました。しかし、神御自身が、みことばの成就のために、ユダヤ民族を守られるのです。