イエス・キリストの父なる神は、人の目には見えないお方です。イスラエルは、この方を神として、この神とともに歩んでいました。それで、偶像を神とする国々は、口々に言いました。
「彼らの神は、いったいどこにいるのか。」と。
すると、イスラエルは答えます。
「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行なわれる。
彼ら(国々)の偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があっても触れず、足があっても歩けない。喉があっても声をたてることもできない。
これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩編115:3-8)
詩編135:13-18にもあります。
「主よ。あなたの御名はとこしえまで。主よ。あなたの呼び名は代々に及びます。
まことに、主は御自分の民をさばき、そのしもべらを憐れまれます。
異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。
口があっても語れず、
目があっても見えません。
耳があっても聞こえず、
また、その口には息がありません。
これを造る者もこれに信頼する者もみな、これと同じです。」
偶像には、息がありません。神に息を吹き入れられた人よりも劣るのです。神に息を吹き入れられた人は、生きる者です。神の息が抜かれれば、死んだ者です。息のない偶像は死んだ者と同じです。
目に見えないイスラエルの神は、天におられる神で、人に息を吹き入れられた神です。人の息を抜き取られるのも、このお方です。イスラエルを御自分の民として選ばれた神は、すべてのものの主です。
何故ならば、人を造り、人に息を吹き入れられた神は、天におられる神おひとりだけだからです。天におられる唯一の神が、御自身を、「イスラエルの神」と名乗られるのです。
天の神は、生きておられる神です。イスラエルに預言を与え、常にみことばによって、導いて来られました。生きた神は、語られるのです。
作者不明とされる『このことは私から来た』という、文章があります。神学生の頃、誰かからこの文章のコピーを貰いました。それ以来、私を勇気づけてくれた神の語りかけです。
「わたしの子よ、あなたはあなたを苦しめるものはまた、わたしを苦しめることを考えたことがあるか。
わたしの子よ、もしあなたが周囲にたくさん試みを持っているならば、それはわたしから来たということを知ってください。あなたの弱さは、わたしの強さを必要としている。
わたしの子よ、あなたは困難と難しい環境の中にいますか。それはわたしから来たのだ。わたしは環境の主です。あなたの環境や回りの人々は、彼らのやりたいことをすることができません。彼らはわたしの心を行なわなければならない。
わたしの子よ、あなたは金銭的な苦しみのうちにありますか。それを切り抜けることは難しいのですか。それもわたしから来たということを知りなさい。わたしはあなたのお金に責任を持っている。ただわたしはあなたがわたしの方へ来ることを、わたしに頼ることを願っています。わたしの約束が真理であることをあなたに証明したい。
わたしの子よ、あなたは生活の暗闇を体験していますか。それはわたしから出たのです。わたしは苦しみの人として困難を知っている。あなたがわたしの方へ来るように、わたしがそれをそうさせたのです。
わたしの子よ、あなたは自分の友に失望しましたか。それはわたしから来たのです。わたしがあなたの最良の友であることを知るために、あなたは友に失望したのです。
あなたの計画はくつがえりましたか。あなたは悲観し、疲れましたか。それもわたしから来たのです。あなたは自分で計画し、その後で「祝福してください。」と祈った。しかし、わたしはわたし自身で計画したい。そうすれば、わたしはその責任を取ります。
あなたはわたしのために働きたいと願った。しかし、あなたは今、病気だ。それもわたしから来たのです。あなたが忙しかったとき、わたしはあなたに話すことができなかった。しかし、わたしはわたしの秘密を語りたい。あなたは、わたしのそばにいる祈る人となりなさい。たぶんあなたは難しい使命を負わされたかもしれません。それもわたしから来たのです。あなたはわたしに頼ってください。
わたしの子よ、わたしの声を聞きますか。
わたしである。それはわたしから出たのです。しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない。」