ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のしるし

 

 「異邦人の道を見習うな。天のしるしにおののくな。異邦人がそれらにおののいても。国々の民のならわしはむなしいからだ。

 それは、林から切り出された木、木工が、なたで造った者にすぎない。

 それは、銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。

 それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。

 そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。」(エレミヤ書10:2-5)

 

 天のしるしが今後、もっと激しくなるでしょう。しかし、神を知る者、神に知られている者は、神を知らない者のように、おののいてはなりません。そのことが起こることは、聖書に書かれています。幾人もの預言者たちが語っていたことです。二千年前、イスラエルの地を歩まれた神の御子イエスも言っておられます。

 

 「日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。

 そのとき、人々は、人の子(天に帰られたイエス・キリスト)が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:25-28)

 

 神を知る者は、神のしるしについて聞かされているので、備えなければなりません。まだまだその日は来ない。自分の生きているうちには起こらないだろうと、この世につかっているときではありません。

 

 イエスは言っておられます。

 「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに望むことのないように、よく気をつけていなさい。

 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことから逃れ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:34-36)

 

 これらの苦難は、全地に住むすべての人に臨むのです。イエス・キリストを呼び求める者達の上にも等しく起こるのです。

 

 人の優しさにほっとし、心が和む時代ではなくなります。人を求める時代は終わります。地の生き方では天に帰れません。天に引き上げて下さる神に思いを向ける時代です。

 

 それは、ひとりひとりの魂に与えられた課題です。今の時代は、信仰の真価が試されるときです。心の中心にキリストがいるのか、御霊が住んでおられるのかが問われる時代です。

 

 イエスは、手に箕を持ってご自分の脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされるのです。(ルカ3:17)

 

 イエスに向かって、「主よ。主よ。」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるイエス・キリストの父の御心を行なう者が入るのです。(マタイ7:21)

 

 キリストへの信仰を告白しながら、世の人と同じ生き方をしているならば、それは御霊によって生まれた者でしょうか。神に受け入れられる信仰は、御霊に教えられ、御霊に導かれるものなのです。この世に同調し、この世の知恵に頼り、この世の称賛を求めるならば、それは、神から生まれた者ではありません。

 

 神は、キリストの教会を揺さぶり、脱穀されます。実のある者の魂は天の御国に入るために肉に死にます。死んでも、魂は永遠に生きるのです。実のないもみ殻は、世の人々と同じ運命となります。御霊を持たない彼らは、輝くともしび(神のみことば)の中で、この世のしばらくの間、その光を楽しんだだけです。

 

 神は、イスラエルの国土を囲んで、終わりのしるしを置いておられるように思います。

 北には、アナトリア地方に、黙示録の七つの教会が置かれています。この地方から、キリストのからだ(七つの御霊の教会)を踏みにじろうとする、反キリストが出現するのでしょう。

 南には、聖書でこの世のひな型とされる、イスラエルの奴隷の家エジプトに、スフィンクスと三つのピラミッドがあります。ユダの獅子イエス・キリストは、すでに、竜(悪魔)と、十本の角と七つの頭の獣(偽キリスト)と、子羊のような二本の角の獣(偽預言者)に勝利しておられることのしるしのように思います。

 東には、最初の権力者ニムロデが建て始めたバベルの塔があったであろうとする地があります。この所に、悪魔の権威を持つ偽キリストが、バビロン帝国のように強いイスラム帝国を築くのでしょう。

 西には、古代ローマ帝国のポンペイの遺跡があります。世の終わりの裁きは、天からの火で焼き尽くす、と聖書に書かれています。ポンペイは、終わりの時に、偽キリストと偽キリストが支配する十の国(復興するバビロン帝国)の十人の王たちによって、神が憎んでおられるバチカンを火で焼き尽くす、というしるしとして見ることができます。

 

 霊の目を開けば、地上に散りばめられている、神のしるしを見ることができると思います。

 神を知る者は、しるしに心を留めるのではなくて、神を畏れ、やがて起ころうとしているすべてのことから逃れ、イエス・キリストの前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていることです。