ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

柔らかい着物を着た人

 

 「柔らかい着物を着た人なら、王の宮殿にいます。」(マタイ11:8)

 豊かな生活は、王の宮殿にあります。

 

 イエスは、盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音を宣べ伝えるために、人々に仕えられました。

 

 神が遣わされた神の御子は、神に仕え、また、ご自分がお造りになった人に仕えられたのです。

 

 献身的に働いておられるのに、ユダヤ人たちはイエスを尊びません。感謝することもありません。彼らは、イエスがどこから来たのか、知らなかったのです。もし、イエスが天から遣わされた神のひとり子であることを知っていたならば、国挙げてイエスを祝ったでしょう。

 

 イエスは言われました。

 「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子(イエス)には枕する所もありません。」

 

 神は、狐には敵から身を守り安心して眠る穴を備えておられます。また、空の鳥には羽を休めて眠る巣を与えられます。しかし、神に遣わされている人の子(イエス)には、安らぐ寝床を用意されませんでした。

 

 イエスはいつも、いのちを狙われています。ベツレヘムで生まれた時もそうでした。宣教の間も、虎視眈々と祭司長や律法学者やパリサイ人が罠にかけようと狙っています。祭司長や民の長老たちは、大祭司カヤパの家の庭に集まり、イエスを騙して捕らえ、殺そうと相談しました。

 

 父なる神は、御子イエスの枕する所を与えられませんでした。地上に、神の子羊イエスの心安らぐ場所を用意されなかったのです。御子が安らぐ場所は、父だけです。イエスは、父とともに歩まれました。

 

 イエスは永遠のいのちを与えるために、天から遣わされた、罪の生贄の子羊です。神が用意された神の子羊なのです。子羊イエスは、罪を犯すことなく、神に従い通されました。ご自分を喜ばせるために生きたのではありません。父を喜ばせるために従い、父の栄光が現わされることを喜んだのです。

 

 黙示録18章には、バチカンのことと思われる記述があります。地上の王たちが、ローマ教皇の権威を利用して世界を惑わしています。また、地上の商人たちは、バチカンの極度の贅沢によって富を得ています。バチカンには、世界中の財宝金銀宝石、高価な絵画や芸術品が収集されています。

 

 彼らは、柔らかい着物を着た人々です。世界の富を手中に収めています。そこは神の宮ではなくて、王の宮殿のようです。

 

 黙示録17:4-6に、ヨハネが驚いたことが書かれています。

 「この女(バチカンの信仰)は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。

 その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。』という名であった。

 そして、私(ヨハネ)はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」

 

 金銭や富に目がくらむと、真理が見えなくなります。彼らには、お金で永遠のいのちを売っていた(免罪符)時代があります。

 彼らの宮殿には、多くの像が立ち並びます。墓から復活されたキリストを仰ぐのではなくて、十字架で血を流しているイエスの像を眺めています。イエスの母とされるマリアの像に権威を与えています。

 

 何もかもが、イエスの教えからずれているのです。イエスは、「金持ちが天の御国に入るのは難しい」と言っておられます。

 

 パウロは言っています。

 「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

 信仰の闘いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前で立派な告白をしました。」(テモテⅠ 6:9,10)

 

 ヤコブは言っています。

 「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。

 あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝を蓄えました。

 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。

 あなたがたは、地上で贅沢に暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。

 あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。」」(ヤコブ5:1-6)

 

 二千年前、ヨハネは、二千年後の、イエス・キリストの御名を呼ぶ教会の姿を見て、非常に驚きました。聖書の真理を教える神の家は、強盗の巣となっていたからです。

 

 イエスは言っておられます。

 「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:13)

 

 旧統一教会の韓国の白亜の館の一帯の映像を見たとき、バチカンと重なり、聖書のみことばを思い起こしました。