ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルの根に支えられるキリストの木

 

  「もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。

 

 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。

 

 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神の慈しみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは、厳しさです。あなたの上にあるのは、神の慈しみです。ただし、あなたがその慈しみの中に留まっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

 

 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

 

 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。」(ローマ11:17-24)

 

 オリーブの木には、栽培種のものと、野生種のものとがあるようです。アダムの子(人類)は、神の養分を受けない野生種のオリーブの木です。

 神は、神を畏れるアブラハムを見出し、彼の信仰を義とされました。ノアの信仰の義とは、異なります。ノアの時代、神は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になりました。ノアは、世の人々の暴虐を見て、心を痛めていました。彼は正しく生きる者でした。ノアは、正しく生きる者として、主の心にかなっていました。

 

 神は、正しい人であるノアとノアの家族を残して、世界を滅ぼされました。暴虐に満ちた世を水(洪水)で贖われたのです。ノアとノアの家族は、アダムから生まれた者の中で生き残った者たちでした。神は、罪を洗い清めた世で、彼らから、人類の歴史を再スタートされたのです。

 

 アブラハムは神を畏れる信仰の人でした。アダムとエバをそそのかし罪に陥れた蛇に、「彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」と言われた神のご計画のために、神が選んだ人です。

 

 神が、「彼は、蛇(悪魔)の支配を打ち砕き、蛇が彼のかかとにかみつく。」と言われた「彼(キリスト)」を生むために、神が契約を結んだのが、アブラハムだったのです。アブラハムは、神のことばを信じ、神の契約を受け入れました。

 

 アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められたのです。(創世記15:6)アブラハムは、信仰によって義とされました。

 

 アブラハムと契約を結ばれた主は、その契約と祝福を、アブラハムと妻サラのひとり子イサクと、イサクの子ヤコブに受け継がせられました。そして、ヤコブに「イスラエル」という新しい呼び名を与えられました。ヤコブとヤコブの十二人の息子(ユダヤ民族の十二人の族長)の子孫は、「イスラエル」と呼ばれ、アブラハムの契約と祝福を相続したのです。

 

 神は、イスラエルからキリストを生むことを定めておられました。イスラエルは、人類の中で、神のひとり子(神の子羊イエス)を地上にお迎えする民族です。神の御子を迎える民族としてイスラエルには神の掟が与えられて、それを守って来ました。神が人類に立てられた、神の祭司の国民です。神に仕えるために造られた民族です。イスラエルがキリストを生むことは、人類の贖いと救いのためです。イスラエルに与えられた祝福は、全人類の祝福となるのです。

 

 イスラエルに生まれたキリストは、全人類の救い主です。天から地上に遣わされた神の御子です。まさに、唯一無二の救世主です。。このキリストが、アダムとエバを陥れて人類を罪の縄目で縛り永遠の死と滅びに連行する、蛇のかしら(悪魔)と悪魔の支配を打ち砕く、勝利者なのです。

 

 キリストは、死に勝利して甦ったナザレのイエスであり、、永遠に生きるメシアです。蛇は、キリストのかかとにかみつきました。キリストのからだのかかと(ヤコブ)は、ユダヤ民族です。悪魔にかみつかれたユダヤ民族は、ナザレのイエスを呪い、キリストを十字架にかけて殺しました。

 

 キリストのからだはひとつです。また、キリストのオリーブの木もひとつです。キリストとともに、神に仕える群れのことです。オリーブの木の根もひとつです。イエス・キリストを生んだ、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐヤコブの血肉の子孫(ユダヤ民族)です。

 

 野生種のオリーブの木は、偶像の神々に仕える者たちです。栽培種のオリーブの木は、神がねんごろに育てたイスラエルです。キリストを迎える民として、神御自身が造り、養い育てた栽培種の木です。栽培種のオリーブの木からは、永遠に生きるまことの神に献げる上質なオリーブの実がとれます。

 

 神は、栽培種のオリーブの木を御自分の民とされます。神の御国に入る、まことのオリーブの木です。

 

 ユダヤ民族は、神に仕える民です。しかし、神を知りません。それで、神が遣わされたキリストを呪って死に至らせました。キリストを失った彼らは、実を結ばない枝となったのです。イスラエルは、神から養分をいただいていました。しかし、自ら、神の養分(神の御子)を侮り、退けたのです。

 実を結ばない枝は折られました。そして、ユダヤ民族に根を持つ栽培種のオリーブの木に、キリストを主とする、もともと野生種のオリーブだった異邦人の枝が、栽培種の枝に混じってつがれました。彼らは、栽培種のオリーブの根の豊かな養分をともに受けます。根が聖いので、枝も聖くなり、良い実を結びます。

 

 契約を持つユダヤ人が不信仰によって折られ、神の契約の外にいた異邦人が信仰によってつぎ合わされました。もし台木の枝を惜しまれなかったとすれば、野生種の枝も惜しまれないでしょう。ここに、神の慈しみと厳しさがあります。ユダヤ人であろうと、異邦人であろうと、神の慈しみに留まっていなければ、切り落とされてしまうのです。

 

 野生種のオリーブの木から切り取られ、もとの野生種の性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、折られた栽培種の枝は、もっとたやすく自分の台木につがれるのです。

 

 栽培種のオリーブの木の根は、神が造られたイスラエルです。アブラハムの契約と、モーセと預言者とダビデに与えられた契約を受けた民です。栽培種のオリーブの木は、イスラエルに与えられた律法と、預言と、詩編を完成されたナザレのイエスです。契約を成就されたキリストです。

 

 栽培種であるイスラエルに与えられた神のことばを具現化したキリスト・イエスのオリーブの木につながることで、良い実を結ぶ者とされます。良い実を結ぶ枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、異邦人が根を支えているのではなく、根が異邦人を支えているのです。