ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリスト者はユダヤ人に高ぶってはならない

 

 

 「もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」(ローマ11:17,18)

 

 神の前には、神に仕えるオリーブの木があります。オリーブの木には二種類あります。神御自身が植えて育てられた栽培種のオリーブの木と、自然のままに育つ野生のオリーブの木です。

 

 オリーブの木は、神を崇め、神に仕えて、良い心を養い良い行ないの実を結ぶ木です。

 栽培種のオリーブの木は、生けるまことの神と契約を結ぶアブラハムの子孫ユダヤ民族(イスラエル)の木です。神が地上に植えられ栽培された、イスラエルの契約の木です。全能の神を礼拝する信仰の木です。

 野生種のオリーブの木は、すべての民族のうちに自生する、地から出た野生の木です。心の安らぎを求める人間が目に見える偶像を作って心の拠り所とし、災いを免れるためまた救われるために良い行ないを心掛けてこの世の神々の教えを慕い、偽りの神々に礼拝をささげる宗教の木です。

 

 神が受け入れられる信仰の木は、栽培種であるオリーブの木です。そのほかのオリーブの木は、どんなに熱心に仕え、良い行ないを心掛けても、裁き主であられるまことの神に受け入れられることはありません。神と契約を結ぶ根がないからです。

 

 神の契約のない、この世の根のオリーブの木は、どんなに多くの実を結んでも、契約の外のものです。神は、神と契約を結ぶ信仰の木(栽培種のオリーブの木)がよく実ったとき、栽培種のオリーブの木を天の御国に植えらます。永遠の救いは、神の契約のうちにあるからです。

 

 神と契約を結ぶ民族が一つだけあります。

 神と契約を結んだアブラハムの子孫です。アブラハムは目に見えない神を目に見えるようにして信じ、生けるまことの神に望みを置く信仰の人でした。

 神は、アブラハムと結ばれた契約をイサクに受け継がせ、ヤコブに相続されられました。神は、ヤコブの子らと契約を結び、生ける神に仕える神の民イスラエルとされ、御自身をイスラエルの神と名乗られました。

 

 イスラエルは、創造主であられ裁き主であられる神、創造の初めであり終わりである方、全知全能の神と契約を結ぶ、唯一の民族です。

 神は、イスラエルによって、終わりを創造されます。栽培種のオリーブの木(イスラエル)のうちに生ける神を礼拝する者たちを集め、世を滅ぼされます。

 

 神が天地万物を造られたのは、実に、生けるまことの神を礼拝する真実な礼拝者を神の子どもに造り変えて、神のひとり子のために、神のひとり子を愛する真実な兄弟と神のひとり子とひとつ心のひとり子の妻を創造するためでした。

 

 野生種のオリーブの木の枝は、野生種のオリーブの実を結びます。それは、偽りの神々にささげられるものです。

 栽培種のオリーブの木の枝は、栽培種のオリーブの実を結びます。それは、永遠に生きておられるまことの生ける神にささげられるものです。

 

 神は、栽培種のオリーブの木の枝が実を結ばないのをご覧になって、その枝を折り、野生種のオリーブの木の枝を栽培種の枝に混じってつがれます。

 

 神は、野生種のオリーブの木に、神の御姿を人の姿で来られた神のひとり子(イエス・キリスト)を現わされます。真理(神の御子)は、目に見えない神を慕い求める信仰を持つ人々に見出されました。イエス・キリストは、彼らの主となられました。

 栽培種のオリーブの木(まことの神に仕えるイスラエル)に遣わされたキリストを信じる彼らは、野生種のオリーブの木の枝から栽培種のオリーブの木につがれた枝となります。

 

 キリストを信じる彼らのつがれた栽培種のオリーブの木の根は、イスラエルにあります。神との契約を持つイスラエルです。

 イスラエルは、ユダヤ人から救い主キリストが現われることを知っていて、キリストの現われを待ち望む信仰の民族です。

 

 栽培種のオリーブの木につがれた野生種のオリーブの木の枝は、キリストを待ち望む民族に属していなかったのに、神の御恵みによって、世に来られた神のひとり子キリスト・イエスを信じる信仰を得ました。

 キリスト・イエスは、栽培種のオリーブの木イスラエルの信仰によって、また、イスラエルと契約を結ばれた神御自身の忠実によって、世に来られたのです。

 

 キリストを待ち望んだイスラエルが、神が遣わされた神のひとり子キリスト・イエスを信じなかったために、神の御恵みが野生のオリーブの木の枝に及んだのです。

 実は、栽培種のオリーブの木の枝に実が実っていない時代(不信仰な時代)にキリストは来られました。それで、実を結ばない枝の刈込みをなさいました。

 

 イエスはパリサイ人やユダヤ人に言われました。

 「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」(ヨハネ9:39)

 イエスは、実を結ばない栽培種の木の枝を切り落とし、実を結ぶ野生種の木の枝をつがれることを言われました。

 

 真理(神)の言葉を受け、光を見ているはずの聖書の民イスラエルの目がキリストに対して盲目となり、イスラエルの神を知らない者(ほかの民族)の目がイエス・キリストの栄光を見て神を信じるのです。

 

 「またイザヤは大胆にこう言っています。

 『わたし(神)は、わたしを求めない者に見いだされ、わたしを尋ねない者に自分を現わした。』」(ローマ10:20)

 神は、神と契約を結ぶ不信仰なイスラエル、すなわち、目に見えない霊なる神から遠く離れた律法の民イスラエルではなく、神と契約を結んでいないほかの民族の人々に神のひとり子キリスト・イエスの御救いの栄光を現わされました。彼らに、救い主キリストを信じる信仰があったからです。

 

 「モーセはこう言っています。

 『わたし(神)は、民でない者(異邦人)のことで、あなたがた(ユダヤ人)の妬みを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。』」(ローマ10:19)

 キリストが遣わされる約束を知っていたイスラエルは、約束の外にいる異邦人が先に神の国(神の平安)に入ることで、神が、イスラエルに妬みを起こさせられます。

 また、神は、聖書の契約をおろそかにする無知な国民(モーセのようなもうひとりの預言者〈キリスト〉に聞き従わなければならない、という律法に聞き従わないユダヤ人)のことで、キリストを信じる者に、ユダヤ人を怒らせるのです。

 

 栽培種のオリーブの木の枝のユダヤ人も、栽培種のオリーブの木につがれた枝のキリスト者も、栽培種のオリーブの木の根の豊かな養分をともに受けています。

 栽培種のオリーブの木の根はアブラハムの契約であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神、イスラエルの神の約束、神の契約によって立っています。

 

 神の契約の外にいた野生種の枝は、誇ってはなりません。枝が根を支えているのではなく、根が枝を支えて実を結ばせているのです。

 

 キリスト者が、アブラハムの契約を相続するイスラエルに与えられた神の契約を支えているのではなく、アブラハムの契約を受け継いだイスラエルの契約が、キリスト者の信仰を支えているのです。アブラハムの契約を受け継ぐイスラエルがいなければ、キリスト者の信仰はむなしいものとなります。

 

 キリスト・イエスはイスラエルの王ダビデの子であり、御救いはイスラエルとともにあるのです。神の御救いの御計画は、イスラエルから移ることなく、また、神が選ばれたエルサレムからも移ることがありません。

 

 神の御子イエス・キリストに敵対するイスラエルであっても、選びによれば、先祖たちのゆえに、神に愛されている者なのです。

 

 「わたし(神)はあなたがた(イスラエル)のために立てている計画をよく知っているからだ。(決して忘れない。)―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

 わたしはあなたがたに見つけられる。」(エレミヤ29:11-14)

 これが、神がイスラエルに約束された誓いです。

 

 神は、エデンの園でアダムとエバの前で蛇に仰せられたことばを、イスラエルにあって成就されるのです。

 神は、イスラエルに律法、預言者、詩篇をお与えになり、神の時に、神のひとり子イエスを遣わされました。神の子羊イエス・キリストは、聖書のことばの成就であり、ユダヤ人たちにイスラエル国家をお与えになったのも、聖書のことばの成就です。

 神の誓いは永遠の誓いであって、先祖たちが眠っても、代々にわたり、イスラエルに受け継がれるものです。

 

 キリストの出現も、イスラエル国家再建も、ユダヤ人の信仰の実であり、再び、主イエス・キリストが地上に来られるのも、イスラエルの信仰の実です。

 御救いの根底には、神とイスラエルの契約があり、イスラエルの信仰があるのです。

 

 栽培種のオリーブの木の根は、イスラエルの契約にあり、イスラエルの信仰によって立てられています。

 イスラエルの信仰にキリスト信仰の礎が置かれ、礎の石イエス・キリストの上に神の国が建てられるのです。

 

 野生種のオリーブの木から栽培種のオリーブの木につがれた枝の私たちは、イスラエルに与えられた神のことば(聖書)によって養われています。つまり、私たちの信仰を育ててくれる養分をイスラエルからいただいているのです。

 

 実を結ばない栽培種のオリーブの木の枝(ユダヤ人)が不信仰によって折られたならば、実を結ばない(不信仰な)野生種の枝も折られるでしょう。

 

 「高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、野生種の枝をも惜しまれないでしょう。

 あなたがたが神の慈しみの中に留まっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」(ローマ11:20-22)

 

 「もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

 神の御子イエス・キリストに敵対するユダヤ人であっても、もし不信仰を続けなければ、台木につぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。」(ローマ11:24,23)