ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真理は自由にする

 

 「イエスはユダヤ人たちに言われた。

 『あなたがた(ユダヤ人)が来た(生まれた)のは下(肉の欲求)からであり、わたし(イエス)が来たのは上(天の神の創造による)からです。あなたがたはこの世の者(地に属する人間)であり、わたしはこの世の者ではありません(イエスは、イスラエルの神が神の子羊イエスの肉体を造られ、肉体を持つ「人の子」となった天の神のひとり子です。)。

 それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたし(神の御子イエス・キリスト)のことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。(神が、罪の報酬の「死」を取り除くために、世の罪を取り除く罪の贖いの子羊イエスを遣わされたのに、罪の贖いの血を流す神の子羊イエスすなわち「主キリスト」を信じなければ、罪の贖いを受け取ることなく罪の残ったまま、自分の罪の中で死ぬのです。』

 そこで、彼ら(ユダヤ人)はイエスに言った。『あなたはだれですか。』

 イエスは言われた。『それ(神の子羊イエスは世の罪を取り除く救い主(主キリスト)である。)は初めからわたし(イエス)があなたがた(ユダヤ人)に話そうとしていることです。わたしには、あなたがたについて言うべきこと、裁くべきことがたくさんあります。しかし、わたし(イエス・キリスト)を遣わした方(イスラエルの神)は真実であって、わたしはその方(イエスの父であられる天の神)から聞いたこと(真理)をそのまま世に告げるのです。』

 彼ら(ユダヤ人)は、(神の御子)イエスが父(イエスをイスラエルに遣わされたイスラエルの神は、実はイエスの父)のことを語っておられることを悟らなかった。」(ヨハネ8:23-27)

 

 律法の奴隷となっていたユダヤ人たち(祭司長や律法学者たち)の思いは暗くなっていました。しきたりや伝統や人間の教えによって、真理(神が本当に伝えたい御思い)に覆いが掛かっています。                                                                                                                                                                             

 モーセが、消えうせるもの(栄光の輝き)の最後をイスラエルの人々に見せないように、顔に覆いを掛けた(なぜならば、神と会見したモーセの顔からは神の栄光の輝き―モーセの顔の肌は光を放った―が放たれていて、イスラエルの人々は恐れて、モーセに近づけなかったが、モーセが呼び寄せたのでイスラエル人全部が近寄って来て、主から命じられたことを告げ、その後、主と話すために行くまで、モーセは自分の顔に覆いを掛けていた)ようなことはしません。

 

 「しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約(ユダヤ人の聖書、すなわち旧約聖書)が朗読されるときに、(モーセのときと)同じ覆いが掛けられたままで、取り除けられていません。(生ける神を見えなくさせる覆いが主キリストにあって取り除かれることが、ユダヤ人たちにまだ啓示されていなかったからです。)

 なぜなら、それ(その覆い)は(罪と律法の違反の呪いを取り除いてくださる)キリストによって取り除かれるものだからです。

 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼ら(ユダヤ人)の心には覆いが掛かっているのです。(彼らはモーセが見た神の栄光を、モーセを通して見るだけで、実際にはだれも神御自身の栄光を見ていなかったのです。モーセを通してぼんやりと知っていただけです。)

 しかし、人が主(ユダヤ人たちの肉眼で見ることのできる姿で現われた神のひとり子イエス・キリスト)に向くなら、その覆いは取り除かれるのです。(ぼんやりと聞き知っていたものを、自分自身ではっきりと知るようになるのです。)」(コリント第二3:14-16)

 

 「神は私たち(ユダヤ人)に、新しい契約(神の子羊を屠って罪の贖いがなされ、生かす御霊を受けて、キリストの御霊に仕える契約)に仕える者となる資格を下さいました。(神の律法に忠実なイスラエルは、神から祭司の国民としての資格を受けました。そして、世の罪を取り除く神の子羊〈イエス・キリスト〉の血を流して神に罪の赦しを受け、キリストの御霊に仕える者とされたのです。御霊による新しい契約は、永遠のいのちを得させるいのちの契約です。)

 (新しい契約は)文字(モーセの律法)に仕える者(律法の奴隷)ではなく、御霊に仕える者(聖霊の宮)です。

 (石に刻まれた文字による教えと命令は、違反者を罪に定める死の務めであって)文字は殺し、御霊(神の子羊イエス・キリストの血によって罪を赦して義とし、永遠のいのちを得させる生かす御霊)は生かすからです。」(コリント第二3:6)

 

 「罪に定める務め(モーセの律法)に栄光があるのなら、義とする務め(神の子羊イエスの罪の贖いの血)には、なおさら、栄光があふれるのです。」(コリント第二3:9)

 

 「イエスは(ユダヤ人たちに)言われた。

 『あなたがた(ユダヤ人)が人の子(神の子羊イエス)を上げてしまうと(モーセが荒野で蛇を上げたように〈神に逆らう者たちが毒蛇に噛まれて死んだが、モーセが旗ざおに上げた青銅の蛇を仰ぎ見る者は生きた〉、人の子〈神の御子イエス・キリスト〉もまた〈罪の贖いのために十字架に〉上げられなければなりません。それは、〈神の子羊イエスを〉信じる者がみな、人の子〈十字架に掛かられた神の御子イエス〉にあって〈十字架で私たちの罪を贖ってくださったイエス・キリストを「主キリスト」と告白して信じる者が永遠のいのちを持つためです。〉)、その時、あなたがたは、わたし(イエス)が何であるか(聖書の預言者たちの預言の成就のキリスト、すなわち、天から下って来た人の子キリストであること)、また、わたし(イエス)がわたし自身からは何事もせず、ただ父(神の御子イエスの父であるイスラエルの神)がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。

 わたし(イエス)を遣わした方(イスラエルの神)はわたしとともにおられます。わたし(イエス)をひとり残されることはありません。(イエスは神〈創造主であられるイスラエルの神〉が私たち〈イスラエル〉とともにおられる証であり、また、父なる神に忠実な神の御子です。)わたしがいつも、その(神の)御心にかなうことを行なうからです。』

 イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。

 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。

 『もしあなたがたが、わたし(神の御子イエス・キリスト)のことばに留まるなら、あなたがたは本当にわたし(キリスト)の弟子です。

 そして、あなたがたは真理(神)を知り、真理(神の御霊)はあなたがたを自由にします。(もはや、律法の違反による裁きを恐れる律法の奴隷ではありません。キリストの贖いの血と御霊による、神の御救いの御計画を知るあなたがたは、罪赦されて義とせられ、キリストの生かす御霊を受けて、永遠のいのちを得させられるのです。もはや、罪の報酬の死と裁きと滅びに怯える囚人ではありません。キリストが罪の奴隷から解放してくださり、御霊があなたがたのうちに宿り、自由を得させてくださるのです。」(ヨハネ8:28-32)

 

 律法の奴隷、宗教の奴隷であった時は、いつも恐れが伴いました。しかし、神が神の御子イエス・キリストを信じる者に約束されたもうひとりの助け主、真理の御霊を受けるならば、恐れから解放してくださいます。

 

 「主は御霊(神の霊)です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

 私たちはみな、顔の覆いを取り除けられて(真理を悟って)、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたち(神の子ども)に姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント第二3:17、18)

 

 神は終わりの時代に、神の契約の無かった異邦人の私たちにも、神の御子イエス・キリストにあって、真理の御霊を授けてくださり、死と滅びをもたらす偽りのもの、地に属するこの世のもの、人間の教えの手かせ足かせから解放してくださいます。

 御霊は、私たちにイエスのことばを思い起こさせてくださり、また、真理を教え、真理を悟らせてくださるからです。

 

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろなはかりごとを判別することができます。」(へブル4:12)

 私たちは、この神のことばを受けたのです。神のことばと御霊の働きによって、不純な物が取り除かれて、縛られていた霊は解放され、御国の自由を味わうのです。

 

 ペテロは言います。

 「あなたがたが新しく生まれた(肉ではなく御霊によって生きる者とされた)のは、朽ちる種(人間の言葉)からではなく、朽ちない種(神の御子イエス・キリストのことば)からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(ペテロ第一1:23)