ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神が与えられる愛

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためでした。御子はご自分で来られたのではなく、父なる神に遣わされたのでした。

 

 申命記19:15に、「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。」とあります。

 

 また、パリサイ人の「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」との言葉に対して、イエスは言っておられます。

 「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。

 わたしはだれをもさばきません。しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくからです。

 あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについてあかしされます。」(ヨハネ8:13-18)

 

 ユダヤ人たちの律法では、ふたりの証言によって立証されることが書かれています。パリサイ人は、イエスの証言はイエスひとりの証言であって、立証されるものではなく、真実ではない、と言いました。

 

 イエスを遣わした方がおられることをパリサイ人たちは信じようとしません。しかし、イエスは父なる神のもとにおられた神のひとり子であられ、父なる神がひとり子(イエス)のために肉体を造り、人の子としてイスラエルに遣わされたのです。そして、神に命じられた贖いのわざ(十字架で罪の生贄の子羊として死に、神の子羊イエスの贖いの血を携えて天の聖所に入る)を成し遂げるために、天からイスラエルに遣わされていたのです。

 人間の目には、イエスひとりに見えますが、イエスとともに聖霊(水のバプテスマのヨハネからバプテスマを受けたとき、聖霊が天から鳩のように下られイエスの上に留まられました)がおられ、父なる神が証言してくださるのです。

 

 ですから、イエスの証言は真実なのです。イエス自身が自分の証人であり、また、父なる神がイエスを天から遣わしたキリストであることをあかしされるのです。

 

 そして、もしイエスがさばかれるならば、そのさばきは正しいのです。なぜなら、イエスひとりのさばきではなく、父なる神もともにさばいておられるからです。

 

 神は、世を愛されました。それは、世の営みを楽しまれたからではなく、世にいる魂を慈しまれ、この魂を世の罪と滅びから救い出し、神のひとり子とともに、天の御国を相続させることを願われたからです。

 

 神は、世にいる地に属する魂に天を知らせ、天に属する者に造り変えることを願われました。そして、神は、そのひとり子をイスラエルに遣わされたのです。まことの父、父なる神について、天の御国について、永遠のいのちについて、ユダヤ人たちに明かされました。ユダヤ人たちは、イエスから、天上のことばを聞いたのです。

 

 イエスのことばを聞いて、神の御子キリストを信じる者は、いのちを得て主イエス・キリストとともに、天の御国を相続するのです。

 

 神が、イエス・キリストにおいてあかしされたこと、イエスは神の御子であること、神がイスラエルに約束しておられたキリスト(メシア)であることです。イエスのことばもイエスのわざ(癒しや悪霊追い出しや死人を生き返らせることなど)も父なる神のものです。イエスを信じる者は、イエスを遣わされた父なる神を信じる者です。

 

 神の御子イエスを信じる者は、神のあかし(イエスは神の御子キリストである)を持っています。神のあかしを信じない者は、神を信じない者であり、神を偽り者とするのです。

 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。(ヨハネⅠ 5:10,11)

 

 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。罪を犯していないというなら、私たちは神を偽り者とするのです。(ヨハネⅠ 1:7、8,10)

 

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。

 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネⅠ 4:9,10)

 

 愛は神から出ています。御父(父なる神)が御子イエス(子なる神)を世の救い主(主キリスト)として遣わされたのです。

 御子を持つ者は永遠のいのちを持っており、神の御子を持たない者は永遠のいのちを持っていません。

 

 神の望みは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つことです。

 

 神は、御子を信じる者に、御霊を与えてくださいました。御霊は、イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊のバプテスマです。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。御霊によって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかるのです。

 

 神は神の御子キリストにある者を義と認め、義と認めた人々には御霊を与え神の栄光をお与えになりました。

 

 「私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)

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