ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊によるバプテスマ

 

 バプテスマのヨハネは、水のバプテスマを授けました。

 「この人は預言者イザヤによって、『荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意し、主の通られる道を真っすぐにせよ。」』と言われたその人である。」(マタイ3:3)と聖書に書かれています。

 

 不妊の妻エリサベツを持つ祭司のザカリヤに御使いが現われて言いました。

 「怖がることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。

 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、葡萄酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。

 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカ13-17)

 

 ヨハネは母の胎に入れられる前から、神の召命を与えられていました。ヨハネは、イスラエルに主キリストの訪れを知らせ、イスラエルの神がイスラエルに遣わされた主キリスト、神の子羊イエスに思いを向けさせ、イスラエルを神に立ち返らせるために生まれたのでした。

 ヨハネは、神の御子イエスの前に現われて、神が遣わされた主キリストを迎えるために整えられた民を、主イエスのために用意する役割を持っていました。

 

 ヨハネは母エリサベツの胎の中にあったとき、イエスをその胎に宿す処女マリアがエリサベツに挨拶すると、エリサベツは聖霊に満たされました。そして、エリサベツの胎内でヨハネが喜びおどったことを告げ、イエスを胎内に宿すマリアのことを、「私の主の母」と呼んだのです。

 

 母の胎内にいるときから、ヨハネは主キリストを知り、主キリストの誕生(人となって来られた神の御子、救い主キリストがイスラエルに遣わされたこと)をからだいっぱいに喜び楽しんだのです。ヨハネは聖霊に満たされていました。ヨハネの名前も神御自身がつけられました。

 

 神の御救いの御計画は、神によって運ばれています。そして、神御自身によって完成するのです。

 

 神の契約を受けたアブラハムは、不妊の妻サラが閉経した後に、神が約束されたアブラハムと妻サラの子イサクを生みました。神がイサクと名づけられました。

 イサクは神に祈り求めて不妊の妻リベカにエサウとヤコブを生みました。神は、ヤコブと契約を結び、ヤコブの名をイスラエルに改名されました。

 イスラエルは十二人の息子を生み、神と契約を結ぶイスラエル(ユダヤ民族)となりました。神はイスラエルにダビデ王を立てられ、彼に永遠の国の王となるダビデの子を与えると約束されました。

 神は、神のひとり子に肉体を造り、ダビデ王の子孫ヨセフの許嫁の妻マリアの胎に、人の子として宿らされました。ダビデ王に約束した、永遠の国の王となるダビデの子(主キリスト)です。

 

 神の御子イエスは、聖霊によって人の子として生まれ、神によってイエスと名づけられました。

 

 神は、イエスの前にバプテスマのヨハネを遣わされました。神の御子イエスの前ぶれをし、神が遣わされた主キリストに会うために、悔い改めて神に立ち返るイスラエルに、水のバプテスマを授けるためです。

 

 バプテスマのヨハネは、御霊が鳩のように天から下られて、水から上がったイエスの上に留まられるのを見ました。その御霊によって、バプテスマのヨハネは、イエスが聖霊のバプテスマを授ける主キリストであることを知り、イエスが神の御子であることを証言しました。

 

 神が遣わされた神の子羊イエスの贖いの血によって、イスラエルの罪は赦されました。十字架で死んだイエスは、イエスのことばどおり、三日目に墓から甦られました。復活の栄光のからだで甦り、弟子たちに現われ、使徒たちの見ている間に天に上っていかれました。

 

 天に上ったイエス・キリストは、神の御座の右に着座されました。神の子羊イエスの贖いの血によって罪の赦しを成し遂げられた主キリストは、悪魔を足台とする時まで天に留められています。

 

 主キリストは父なる神に願い、神は、もうひとりの助け主を弟子たちに遣わされました。主キリストは罪の贖いと復活により栄光を取られたので、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を行使されました。

 

 弟子たちは、イエスが言っておられた「もうひとりの助け主」聖霊を受けました。父なる神が、御子イエスを信じる者に与えると約束された聖霊(キリストの御霊)です。

 

 神は、御子イエスを信じた者たちからイエスを取り去って孤児にはされません。真理を教えながら、その道を明らかにしないまま主イエスを天に帰らせてしまわれたのではありません。神は、御子イエスに代わって、もうひとりの助け主を彼らのもとに遣わされました。真理の御霊です。神が遣わされた御霊は、真理を教え、イエスのおられる天に上る道を導かれる助け主です。

 この助け主によって、イエス・キリストのもとに辿り着くことができます。

 

 バプテスマのヨハネは、神から離れていたイスラエルの心を神に向けさせ、主キリストを信じる新しい心を得させるために、悔い改めの水のバプテスマを授けました。

 

 主イエスは、神の子羊イエスの贖いの血によって罪赦された人々に、イエスのことばを思い起こさせて、真理を教え、イエス・キリストのおられる天まで導き上らせるために、良心をきよめてイエスを愛し従う者とするまことのいのちを与える聖霊のバプテスマを授けられました。

 

 神が遣わされた聖霊は、イエスの十字架でともに肉に死んで、霊によって新しく生まれた人々に、聖めの火のバプテスマを授けられます。キリストの霊が、彼らとともにいて、肉に死ぬことと御霊によって生きることを学ばせ導かれます。

 

 「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父が可愛がる子を叱るように、主は愛する者を叱る。」(箴言3:11,12)

 

 「あなたがたは、罪人たちの反抗(辱しめを与え十字架の死まで追いやった反抗)を忍ばれたイエスのことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。

 『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』

 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、本当の子ではないのです。」(へブル12:3-8)

 

 神は神の子どもとして受け入れるすべての子に、むちを加えられるのです。肉なる者は、霊なる者に造り変えられなければイエスのおられる天の御国に入ることができないからです。

 

 「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちを御自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

 ですから、弱った手と衰えたひざとを、真っすぐにしなさい。あなたがたの足のためには、真っすぐな道を作りなさい。」(へブル12:10-13)

 

 神の子どもとされる道は、狭い道です。この世の道ではなく、天に続く道です。信仰の道です。聖霊がともにいてその信仰を助けてくださいます。

 

 「主よ。なんと幸せなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたの御教えを教えられる、その人は。

 わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜るからです。(詩篇94:12,13)

 

 聖霊が与える火は聖めるための火です。滅ぼすためではありません。かえって、神に受け入れられる者とするために、金かすを取り除いて純金を取り出し、聖なる神の子どもに造り変えるためなのです。