ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

水と火

 

 神は自然界にあるもの、神のことばと神の力によって被造物を治められます。有史以前、神が地球を管理しておられました。

 

 おそらく死んだ星の欠片を呼び寄せて地形を変え、雷を送って山火事を起こし、土地を肥やして森を豊かにされたことでしょう。神は御自身で土地を耕されました。

 人が造られると、人に土地の管理を任されました。人の手の管理が行き届かないと、神は神御自身の御手を伸ばされます。

 

 長い間、人の手によって管理されてきた地球ですが、人の管理は正しいものではありませんでした。神の存在に思いが暗くなった人間は、管理を神から任されていることを忘れてしまいました。人間の手の届かないところは神が管理されましたが、そのことを人間は気づくことがありません。

 

 神から離れ、罪を背負い、自分のことで精いっぱいな人間は、管理者である神の御思いも、まことの管理者の存在もわかりません。

 良心の働く者は少数派です。彼らの存在によって、神は神の良い御計画を取りやめることはありませんでした。神は、人を増やし地に満たされました。

 

 しかし、良心が生き神を恐れる者がたったの八人となったノアの時代に、神は、地球上を水で滅ぼして、最初からやり直すことをされました。

 

 神に逆らう暴虐の世界を滅ぼし、洪水で洗い清めた地球をノアとノアの家族の管理に任されました。

 

 思いを新たにして管理するはずだったノアの家族ですが、しばらくすると、やはり暴虐の子らが現われました。一度きよめられた地ですが、水によっては人の原罪まできよめることができませんでした。ノアに生まれた孫たちから良心を踏みにじる者たちが現われました。

 

 洪水で人間を滅ぼした神を憎み、神に敵対する者が生まれたのです。神を恨むニムロデは、水に強い町を造ろうとしました。そして、人間を滅ぼす神に打ち勝つ者となるために力ある者になろうとし、人々を扇動して天に届く塔(バベルの塔)を建てて、人は神に滅ぼされるような弱いものではないことを見せつけようとしました。

 

 しかし、神は人々の言葉が通じないように一つの言語を多言語にし、神に立ち向かう人々の一致を阻み混乱させられ、ニムロデの計画を中止させられました。

 

 それぞれの言語を持ち多民族となった人間は、一致することなく、それぞれの民族で歴史を紡いできました。

 

 神は、神の御子キリストを遣わされた後には、神の御救いを受け取る人々を顧みておられました。神の御救いを拒む者たちが満ち、世界が悪い者に満ちると、悪い者を火で滅ぼし、土地の管理を神の御手による管理に戻されます。

 

 神は、神の御子キリスト・イエスによってよく管理された世界をスタートさせられるのです。

 人の管理の時代の終わりの時に、神は神の御子キリストの管理の世が始まることを知らせるために、有史以前の神の管理の時代のような神の御手による自然環境の管理をされます。自然災害は、新しい世が訪れる予兆でもあるのです。

 

 「私たちの神は焼き尽くす火です。」(へブル12:29)

 

 「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」(イザヤ33:14)

 

 神は、原罪を持つ人間を火で焼かれます。それは、永遠に燃える火です。神が用意された燃える炉です。この炉から取り出されるものはありません。罪を燃やしても、原罪は残ります。火によって失われることがありません。原罪を燃やせば、新たな罪(怒りと憎しみと呪いと叫び)が生まれ、罪は尽きることがないからです。

 

 金の炉ならば、金粕を取り除くと炉から純金を取り出します。金の炉は永遠に燃える火ではなく、金粕を取り除くためのきよめの火です。

 

 神は、神の御子イエスのために新しい世を用意されます。イスラエルの王である主キリストの治められる平和な世です。また、神は、御子イエスのために、イエスを愛する聖なる民を創造されます。

 

 神が御子イエスのために用意される聖なる民は、聖霊が神の栄光のために創造される民です。

 

 その聖なる民は、水と火によって創造されます。創造するのは、キリストの御霊です。

 

 御霊によって、イエス・キリストを信じる信仰の与えられた人は、イエス・キリストの贖いの血によって罪を赦され、神に義とされます。

 イエスを主キリストであると告白する者は、神に自分の罪を告白し悔い改めの水のバプテスマを受け、神を知らない者の生き方から神に思いを向ける者の歩みを始めます。

 水のバプテスマは、心を神に向かわせ、思いを変える、神への誓いです。

 

 ノアの時代の洪水の後で、人は、神を恐れる生き残った者たちの中に、反逆の子二ムロデを生んだように、水のバプテスマでは、良心をきよめることができません。思いを変え、神に向きを変えても、性質は肉のままだからです。

 

 水は性質を変えるものではありませんが、火は性質を変えて新しいものに変えます。

 

 神は、イエス・キリストの血によって義とされ神に受け入れられる新しい思いの人に、御霊を与えて、火のバプテスマを授けられます。

 

 火は性質を変えるものです。聖霊は、御霊を持つ人を火の炉に導き、肉の思いから御霊の思いを持つ者に造り変えていかれます。この火の炉は、純金を取り出すための聖めの金の炉です。多くの人は、この苦しみと痛みに耐えきれずに、純金になるのをあきらめます。

 

 肉の性質から御霊に性質に造り変えられるにつれ、肉の拘束は解かれ、御霊の自由を味わうようになります。そして、信仰は御霊によって育てられ、揺るがないものとされていきます。

 

 「いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに賞賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロ一1:6-9)

 

 神は、神の御子キリスト・イエスのために、水と火による聖霊の新しい創造を施して、人の子を整えられます。

 ひとり子イエスを愛される父なる神は、イスラエルの王である御子キリスト・イエスのために、聖霊によって新しく創造されたイスラエルの民を用意されます。

 神の聖霊(キリストの御霊)によって造り変えられる聖なる民は、キリストの御霊によって、水と火によるバプテスマを受けて新しく創造されるイスラエルです。