ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真の知識

 

 「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(コロサイ3:9,10)

 

 真の知識とは何でしょう。

 人類は、救いに至る知識を求めて、宗教や哲学を作り出して来ました。死に定められている人は、どうにかして死から逃れたいのです。長寿を望んでいるのでしょうか。いいえ、死ぬことから救い出されたいのです。死の恐怖を味わいたくないのです。死から解放されたいのです。

 

 なぜ、人は死に定められているのでしょうか。それは、神に命じられたことばを破り、「食べてはならない。」と言われた善悪を知る知識の木の実を食べたからです。

 善悪を知る知識の木の実は、神の支配を憎み、神に逆らい、自分を神とする食べ物です。悪魔の言葉は善悪を知る知識の木の実です。蛇の語る悪魔の言葉を聞いた人は、悪魔の言葉に誘惑されました。そして、実際に善悪を知る知識の木の実を食べることで、死を受け取ったのです。

 

 人は、悪魔の言葉を聞いて心揺さぶられても、退けるならば、死を受けることはありませんでした。しかし、人は、聞くだけに止めず、悪魔の言葉をみずから行なったのです。

 

 人は行ないによって違反しました。罪ある者となったのです。人は、神のことばを破りました。神のことばのうちにあった人は、神に敵対する悪魔の言葉のうちに入りました。人はみずから神のことばから外れたのです。「それを食べたら必ず死ぬ。」との神の警告を軽んじました。

 

 「それを食べたら必ず死ぬ。」との神のことばを退け、「それを食べても決して死なない。」という悪魔の言葉にすがりました。

 

 善悪を知る知識の木の実を食べた人は、天から追放された悪魔のように、エデンの園から追放されました。神のいのちを失ったのです。

 

 エデンの園にいた人は、善しか知りませんでした。神のことばのうちにいた人の知識は神御自身でした。人はみずから善悪を知る者ではありませんでした。神はすべてを知るお方です。神のうちにいれば、悪はありません。闇はありません。善悪を判断する必要はありませんでした。

 

 神から外れて、人は悪を知り、闇を知る者となったのです。正しく言えば、神のことばから外れて、悪い者となり、闇の子となったのです。神に背き、自分を神とする悪魔の性質を受け継ぐ罪の子となり、悪魔の奴隷となったのです。

 

 アダムとエバの子はみな、悪魔の奴隷です。悪魔に囚われた闇の子です。しかし、神は人を、このように造られてはいませんでした。神のことばのうちにある者として造られたのです。神に聞き、神とともにある者、神の交わりの中で安息する平和の子として造られていました。

 

 神に反逆し神よりも高い者になろうと企む悪魔は、無秩序と争いと不和をもたらす闇の子です。神のことば(神のひとり子)とともにある人は、平和をもたらす光の子として造られていました。

 

 堕罪の人から生まれた人はみな、罪ある者です。だれひとり、死から甦る義なる者はいません。罪がもたらした死の呪いに勝利する者はいません。悪魔の支配から救われる者はいません。

 

 しかし、神のひとり子が、悪魔を打ち破り悪魔に捕らわれた罪人を救い出すために、人の子の姿で来てくださいました。神の民イスラエルに生まれたイエス・キリストです。

 

 イエス・キリストは、ご自分の血で罪の呪いを打ち砕いてくださいました。だれひとり死に勝利する者のいなかった世に、神のひとり子は罪のない神の子羊として来られました。罪のない神の御子イエスが、罪人の身代わりとなって罪の呪いを受け、死を打ち砕いて甦られたのです。イエス・キリストは、死に勝利された神のひとり子です。

 

 天から遣わされた罪の贖いの神の子羊イエスを信じることは、ひとり子を遣わされた神を信じることです。子を信じることで、父なる神に栄光が帰されます。神の御子イエスの贖いの血を感謝して受けることは、キリストを世に遣わされた神の御恵みをほめたたえることです。イエス・キリストにおいて、神の御救いは完成されます。

 

 罪と死を滅ぼし、悪魔と死に勝利を取られた神の御子イエス・キリストは、父から栄光を受けられます。そして、神は、イエス・キリストを信じる人に、真の知識に至らせるもうひとりの助け主、真理の御霊を授けられるのです。

 

 罪の中にあった人は、善悪を知る知識の木の実を食べていました。神から離れ神がわからなくなった人は、人間の教えの中に真理を捜していました。神から離れたところに真理はありません。なぜなら、神御自身が真理だからです。神から離れたもののうちに真理はありません。神以外のものは偽りです。人は偽りの中で、真理を見出そうと明け暮れています。

 

 神のひとり子は、偽り者が支配する闇を打ち破ってくださいました。そして、真理の御霊を遣わして、真の知識(神に聞き従うこと)を得させてくださるのです。天地万物を造られた天の神が、唯一の主です。天の神を主として、心と行ないが主のことばと一つであることが、永遠のいのちです。

 キリストの御霊は私たちを、父なる神に完全に聞き従われた御子イエスの歩みへと導いてくださいます。

 

 イエスは善悪を知る知識の木の実を食べる者ではありません。自分で判断せず、父に命じられるままに聞き従われたのです。イエスは、真の知識の人でした。

 イエスが真の知識ではなく、真の知識であられる父なる神に聞き従われたのです。イエスは、ご自身を主としておられませんでした。神の御子であり、神格者であるにも関わらず、ご自分を主とせず、父なる神を主として父なる神にへりくだり、父に完全に聞き従われたのです。父なる神の名を呼び、主なる父に忠実に従われたのです。

 

 イエス・キリストの御名によるバプテスマを受ける者は、御霊によって、イエスが味わわれた真の知識を味わうのです。なぜならば、善悪を知る知識の木の実の呪いは、キリストの十字架によって打ち砕かれ、イエス・キリストを信じる私たちは、真の知識を受ける御恵みにあずかったからです。

 

 

「思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目を覚まして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。」(コリント一15:33,34)

 

 死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者の復活がないのなら、「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」ということになるのです。

 神についての正しい知識を持っていない人は、この世の人たちと同じ古い人のままです。

 

 イエス・キリストにある者は、善悪を知る知識の木の実の呪いから解放されたのです。自分の判断を見限り、イエス・キリストの御霊に聞く者とされました。御霊が真理の御霊(真の知識)であることを知っているからです。

 

 真の知識のうちに愛があります。善悪を知る知識のうちには、憎しみと偏見、高ぶりと蔑みがあります。しかし、真の知識(神御自身)のうちには、愛と赦しがあるのです。

 

 パウロは祈っています。

 「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れがあらわされますように。」(ピリピ1:9-11)

 

 神は、御自身を裏切った罪人に、惜しげもなくひとり子を与えられました。そして、ひとり子イエス・キリストを信じる者に、惜しげもなく真理の御霊を与えられます。御霊は、闇の世にいる私たちに、真理の光と啓示の光を与え、光の子に造り変えてくださるのです。

 

 私たちは、善悪を知る知識の実を食べた古い人をその行ないとともに脱ぎ捨てて、御霊によって、新しい人(死から甦られた神の御子キリスト)を着るのです。

 死が定められたアダムではなく、死から生まれた第二のアダム(神の御子イエス・キリスト)、新しい人に生まれ変わるのです。

 

 新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。神は、御子のかたちと同じ姿に造り変え、ひとりの新しい人を完成されるのです。

 

 「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(コリント二4:16)

 私たちは、心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着たからです。

 

 主イエス・キリストにある者は、御霊に導かれて御霊に聞き従い、神を知る者となるのです。真の知識は、神の霊(御霊)によって与えられるのです。