ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

安息に向かう

 

 「神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」(へブル4:1)

 

 世界が暴虐に満ちたとき、主である神は、水によって地を滅ぼされました。ノアとその家族は、神が命じられたことばに従って箱舟を造り、水から救い出されました。ノアは、主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼の生贄を献げました。神をなだめる献げ物です。

 

 主はそのなだめのかおりをかがれ、心の中で仰せられました。

 水で地を滅ぼされた神は、こう仰せられたのです。

 「わたしは、決して再び人の罪ゆえにこの地を呪うことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」(創世記8:21,22)

 

 また、主はノアに仰せられました。

 「わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。

 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしは、わたしとあなたがたとの間のわたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。」(創世記9:11,13,15)

 

 生き残った人類は、ノアの箱舟を通して、水の中をくぐり、地の滅びから救い出されました。

 

 神は、水から救い出した人々を、今度は、火をもって裁かれます。

 「実に、主は火をもってさばき、その剣(神のことば)ですべての肉なる者をさばく。主に刺し殺される者は多い。」(イザヤ66:16)

 

 ペテロは言います。

 「天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。

 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どもの裁きと滅びの日まで、保たれているのです。」(ペテロ二3:5-7)

 

 神が「水から現われよ。」と命じて、乾いた地を造られました。

 「神は『天の下の水は一所に集まれ。乾いた所が現われよ。』と仰せられた。するとそのようになった。

 神は、乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。」(創世記1:9)その地の塵から人は造られました。人は自分の造られた根源の水によって滅びました。

 

 しかし、今も続く天と地は、聖霊の火できよめられて神の子どもの新しい創造が施されており、聖霊の火を潜り抜けて造り変えられた人々を救い出されます。そして、神は、この火で、天と地を焼き尽くされます。しかし、それは、神に敵対する悪魔と悪魔に従う不敬虔な者どもの裁きと滅びの日(裁きの日)まで、保たれているのです。

 

 そして、白い御座で最後の裁きが行なわれると、神のみことばは成就します。聖霊のきよめの火によって新しく造り変えられた神の子どもたちは、永遠の安息(天の御国)に入ります。

 神のひとり子イエス・キリストを信じなかった者、御霊に聞き従わなかった者、火のバプテスマを拒んだ者らは、神に背く悪魔と同じ裁きを受け、永遠に燃え盛る火の池に入れられるのです。

 

 神は、人類の中に、天の神に仕える祭司の民族(ユダヤ民族)を造られました。この祭司の国民の存在は、神の怒りをなだめます。神は、ユダヤ民族の存在によって、裁きを思い直し遅らせておられます。

 

 神は、全地を見渡して心の正しいアブラハムを見出されました。偶像崇拝で汚された地にあって、まことの神(天の神)を信じる正しい人です。神は、アブラハムと契約を結ばれ、アブラハムの妻サラにひとり子イサクを与えられました。神は、イサクにあってアブラハムに、契約を受け継ぐ子ヤコブを与えられました。そして、ヤコブにあってアブラハムに、神の国民イスラエルを与えられたのです。イスラエルは、アブラハムの契約と祝福を相続するアブラハムの子孫です。

 

 天の神は、アブラハムとの契約を実現させるために、イサクとヤコブを造られたのです。神の民を生むためです。

 ヤコブとその子らは、四百年間、エジプトの地で奴隷となりました。神が、アブラハムに告げられたとおりです。アブラハムにまだ子がなかったとき、神は、アブラハムの子孫が四百間、外国の地で奴隷となることを告げられました。しかし、神御自身が彼らを奴隷の家から連れ上り、アブラハムに与えたカナンの地(現イスラエル)を彼らに受け継がせると、約束しておられたのです。

 

 神は、モーセを立てて、アブラハムの子孫ヤコブの子ら(イスラエル)を、エジプトから連れ出し、荒野を通って、カナンの地に導き上らせました。

 

 イスラエルは、エジプトの地で、羊の血によってエジプトと区別され、奴隷の家から救い出されました。イスラエルは、エジプトの地を出て、紅海を渡って荒野に入ったのです。

 父祖アブラハム、イサク、ヤコブの契約を相続したユダヤ民族は、民族として、水をくぐって救い出されました。ユダヤ民族は、民族で水のバプテスマを受けたのです。

 

 水のバプテスマを受けたイスラエルは、荒野で、神と契約を結ぶ神の民とされました。イスラエルは、神の律法を受け、神は彼らのうちに祭司を立てられました。

 

 イスラエルは約束の地に入りました。神がダビデ王を与えられたので、ユダヤ民族は、神の国イスラエル王国の国民となりました。

 

 世と分離された神の国イスラエルは、世の国々のようになろうとして、神を怒らせました。バビロン捕囚の苦汁をなめて、神に立ち返ったイスラエルは、彼らのうちから偶像を取り除き、神の律法を守ることに熱心な民となったのです。

 

 偶像を取り除いたイスラエルに、神の約束されたメシア(主キリスト)を待ち望む人々が起こされました。ローマ帝国の統治下で国を失ったイスラエルに、救い主が生まれました。神のひとり子イエス・キリストです。

 

 イエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受け、そして、天から聖霊を受けて父に聞き従い、御霊が導かれる火の試みの中をくぐり抜けて、十字架の死に至り、御霊によって死から甦られました。そして、天に上り、父なる神の御座の右に着座されました。

 

 紅海の水で贖われ、世と分離したイスラエルは、神の国民として、火の試みを受けました。イスラエルは、火の試みの中をくぐり抜けて、1948年に、ユダヤ人の国を先祖の地に得たのです。

 

 この世が終わるときも、ユダヤ民族は火の試みを潜り抜けなければなりません。彼らは、地上に、主キリスト(イスラエルの王の主権を持つ神のひとり子イエス・キリスト)を迎える神の国民です。永遠のイスラエル王国が、神の約束の地に建てられるのです。

 

 火の試みをくぐり抜けて、イスラエルは聖なるものとされます。十字架につけたイエスが主キリストであったことを悟り、イスラエルの王キリスト・イエスを待ち望む、新しい創造の神の国民とされるのです。

 

 イスラエルの王(復活されたキリスト)を地上に迎えると、世界は一変します。悪魔は、主キリストに縛られ、世から取り除かれます。武器は農具に打ち直され、争いのない平和な世界となります。

 

 イエス・キリストを信じる神の民が向かっているのは、キリストが治められる新しい世です。イスラエルの王が、世界を治められます。神の民は、キリストとともに世界の国々を支配します。

 

 天の御国に入る前に、地上のイスラエル王国で、大祝会が祝われるのです。天からイスラエルの王(イエス・キリスト)が来られると、神の民が集められます。ユダヤ人は、神の御心どおりの国民となります。

 バビロンに捕囚されたダニエルは、預言者エレミヤの文書によって、捕囚の期間が七十年であることを知りました。

 神は、神のひとり子キリストが治められる地上のイスラエル王国を千年の期間と定めておられます。

 

 肉体から抜け出した魂が光の中で安息するのではありません。私たちは、飲み食いもできる霊のからだ永遠に生きる新しい霊のからだをいただいて、キリストが治められる神の国に入り、平和を味わい、神の約束の実現を体験するのです。

 

 この新しい世にいるのは、神の民だけではありません。イエス・キリストに忠実でない人々もいます。イスラエルの王を崇める者は、都に入り、いのちの木の実を食べることができます。しかし、都に入れない人々は、平和を味わいながら、永遠の安息を得ることはありません。

 都に入ることが許されない人々にとっても、平和な世です。争いはありません。神の御子キリストが治められる神の世だからです。

 

 神の民は、永遠のいのちを得て、ますます、イスラエルの王に忠実な者となり、キリストと一つ心の者、完全な人となります。彼らは、天の御国に入る神の子どもなのです。

 

 千年王国は、地上に設けられた仮庵です。天の御国に入る人々が完全な人となり、神の子どもとされるのです。

 一方、イエス・キリストの御名を呼びながら、御霊によって新しい創造を受け取っていない人々や、不信仰で不従順なユダヤ人たちは、都に入ることが許されず、泣いて歯ぎしりするのです。

 

 神の子羊の贖いの血によって、罪を過ぎ越され世と区別された人は、水のバプテスマを受けて、罪を悔い改め、神に義とされます。

 神に義とされた人は、キリストの御霊を受け、御霊に導かれ、御霊に聞き従って、火のバプテスマによってきよめられます。

 

 御霊によってきよめられ、新しい創造を受けた人々は、平和な世で、イスラエルの王に忠実な完全な人として完成されます。彼らは、裁きと滅びの日が来ると、天の御国に入り、永遠に安息するのです。

 新しい創造のない人々は、平和な世で、真理の御霊の新しい創造の真実を目撃しますが、彼ら自身は、裁きと滅びの日が来ると、裁きは過ぎ越されず、神の安息(天の御国)に入ることがありません。

 

 神の安息に入るための約束はまだ残っているのです。神のことばを信仰によって結びつけるのに、残された時があります。安息に入る人々がまだ残っているのです。