ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アブラハムの祝福は私たちのため

 

 「アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:14)

 

 神は、アブラハムに御救いの御計画を立てられました。エデンの園から追放された人は神から遠くに離れており、世界は、大洪水で地を滅ぼされたときに残されたノアとその家族から再スタートされました。

 

 大洪水以前の世には、神の子ら(おそらく天使長ルシファーとともに天を追放された堕天使)がいました。彼らが人(アダムの子孫)の娘を妻として、子どもができ、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった神は、地上に人を造ったことを悔やみ、「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。」と仰せられたのです。

 

 大洪水によって、神の子らも、ネフィリム(巨人)も地上から消し去られ、ノアとノアの家族だけが生き残ったのでした。神は、地上の汚れを水で洗い流されたのです。水できよめられたはずの地に、ノアの息子ハムの子孫に神を神としない不遜な二ムロデが現われました。水では、人の良心まできよめることができませんでした。

 

 人は心一つにして、神の主権に逆らう群れを作りました。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげて、全地の面に散らされることを免れよう。」(創世記11:4)

 神が、箱舟から出て来たノアとノアの家族に、「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人のかたちにお造りになったから。あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。」(創世記9:6,7)と仰せられたからです。

 

 主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られ、仰せられました。

 「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、止められることはない。

 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いに言葉が通じないようにしよう。」(創世記11:5-7)

 

 その時まで、全地は一つのことば、一つの話しことばでした。言葉が通じなくなった彼らは、一つとなることができなくなりました。こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめました。

 

 その町は、「バベル(混乱)」と呼ばれました。主が全地のことばをそこで混乱させ、人々をそこから全面に散らしたからです。

 

 言葉の通じなくなった人々が、それぞれの言葉に分かれ、それぞれの氏族、国語、地方、国ごとに散らされた定住地に住みました。

 

 天地万物を造られた全能の神、まことの神を神とせず、自分たちの作った神々を神と呼んで、地はまことの神に背を向けていました。地には、人間が作った偶像が満ち溢れていました。

 

 「わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)と、ノアとノアの息子たちとに契約を立てられた主の契約ゆえに、神は忍耐をされました。

 

 人類は、神がノアに約束された契約のうちにあります。ノアに立てられた契約ゆえに、神は、罪人のすべてを滅ぼすことを思い止まっておられます。

 

 神は、水から救い出されたノアの息子セムの子孫の中に、テラの子アブラハムを見出され、偶像の神々に仕える世にあって、アブラハムと契約を結ばれました。

 

 神は、悪い世の中で神を信頼する信仰の人アブラハムを見出されたのです。悪魔が人々の良心を汚し、神の栄光を輝かせないように働いていました。しかし、アブラハムの心には、霊なる生けるまことの神を信じ、御救いを神に求める正しい良心がありました。

 

 神はアブラハムの信仰をご覧になられ、アブラハムと契約を結ばれました。それは、世が御救いを受けるための契約でした。アブラハムの子孫に神のひとり子を遣わすための契約でした。

 

 蛇の言葉で騙して人(アダムとエバ)を罪の虜にした悪魔を滅ぼし、罪にとらえられた人の罪を赦して新しい創造を施すための契約でした。

 神のひとり子キリスト(メシア)に望みを置く者たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。(エペソ1:12)

 

 水で世界を滅ぼされた主は、残された者のうちの正しい人アブラハムと契約を結び、神のひとり子イエスをメシアとして、世に遣わしてくださるのです。

 御子イエス・キリストの死によって神と和解させられ、イエス・キリストの復活のいのちによって御救いにあずかる者としてくださるのです。

 

 神は、私たちのために、和解を成り立たせてくださいました。神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による神との和解は、死から復活されたキリストの「生かす御霊」を与え、罪を離れた新しい創造を生むためでした。

 

 アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって、神の契約を持たない異邦人にも及びました。その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

 

 十字架で贖いの子羊の血を流し、死から甦って、神の右に上げられたキリスト・イエスは、御父から約束された聖霊を受けて、復活のキリストの証人たちに、聖霊を注がれました。イエスが弟子たちに約束しておられた「もうひとりの助け主」です。

 

 イエスを信じる者はイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けると、賜物として聖霊を受けるのです。

 

 「あなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。

 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ1:13,14)

 

 神は、死んだ魂に「生かす御霊」をお与えになって、永遠に生きる者、キリストとともに天の御国を受け継ぐ神の子どもとしてくださいます。

 

 実に、神がアブラハムにお与えになった祝福は、私たちにまで及んでいます。アブラハムの祝福は、私たちの罪が赦されて、死んでも甦る「生かす御霊」を受けるためでした。アブラハムの祝福は、地上のすべての民族の御救いのためでした。アブラハムの祝福は、私たちの祝福のためでした。