ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人の子によって完成される人

 

 最初の人アダムとエバは、置かれたエデンの園で、神に背き、罪を犯しました。

 神は、アダムを罪に陥れた蛇に仰せられました。

 「わたしは、おまえ(悪魔の子)と女(人)との間に、また、おまえの子孫と女の子孫(人の子)との間に、敵意を置く。彼(人の子キリスト)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(悪魔の子)は、彼のかかと(キリストのからだのかかと、すなわち、イスラエル)に噛みつく。」(創世記3:15)

 

 神は、「悪魔の子」と「人」を敵対関係とし、悪魔の子のすえと人のすえとの間に敵意を置く、と言われました。

 神は、人のすえに、悪魔の子の父(悪魔)を踏み砕く人の子(神のひとり子キリスト)を遣わすことを仰せられたのです。神のひとり子を女から生まれる「人の子」とし、悪魔を踏み砕くのです。すると、悪魔の子らは、人の子(神の御子キリスト)を生んだイスラエル(神の選びの民)に噛みつき、イスラエルの信仰を踏み荒らします。

 

 創世記1:31には、「(すべてのものを支配させるために人を造られた後に)神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。こうして夕があり、朝があった。第六日。」とあります。

 

 第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられました。

 神が、お造りになった人を置いたエデンの園は、平和で心地よい世界だったのでしょう。

 

 天使長に従い、天使長とともに天から落ちた堕天使が多くいます。悪魔に従う悪霊どもではありません。

 土の塵から造られた人が、悪魔の誘惑にそそのかされて罪に落ちることは、神の想定内のことだったでしょう。

 

 人を塵から造られたことも、神のひとり子を救い主として人の子のかたちにすることも、そして、このようにご自分の栄光を捨てて救ってくださる神の御子の愛を現わすことで、神の赦しと愛を示すことも、神の御計画にあったのかも知れません。

 

 土の塵から造られた人をそのまま、天の御国に入れることは考えにくいので、土から取られた人のからだを、永遠に生きる霊のからだにするための救いの道が、人の犯すであろう罪の向こうに、すでに用意されていたのかも知れません。

 それゆえ、人の罪は、神の御救いのための必然であったかも知れません。

 

 キリストが地上に再臨されて、エルサレムに王座を設けて世界を統べ治められる千年王国について、預言者ゼカリヤはこのように言っています。

 「その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。」(ゼカリヤ14:6,7)

 

 黙示録22:1-5では、千年王国の都の様子が書かれています。

 「御使いはまた、私(ヨハネ)に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神(父なる神)と子羊(神の御子キリスト・イエス)との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民を癒した。

 もはや、呪われるものは何もない。神と子羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。

 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」

 

 「都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。私(ヨハネ)は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、子羊とが都の神殿だからである。

 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、子羊が都のあかりだからである。」(黙示録21:21-23)

 

 千年王国は、ただ一つの日であって、主に知られています。すなわち、主御自身が都に御座を設けて、統べ治められる世界なのです。

 

 「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(ペテロ第ニ3:8)

 

 アダムから、アダムの子セツの子孫のレメクまでの千年間。

 レメクの子ノアから、アブラムまでの千年間。

 アブラハムから、カナンの地のアブラハムの子孫(イスラエル)までの千年間。

 ダビデ王から、女の子孫「人の子」神の御子イエスまでの千年間。

 神の子羊イエス・キリストの贖いとイスラエルの離散。悪魔の試みをくぐるキリスト教会の千年間。

 イスラエルの回復と御霊による新しい創造(御霊の教会)の千年間。

 イスラエルの王(神の子羊イエス・キリスト)と御霊の創造による新しいイスラエル(神の子ども)が支配する千年王国の千年間。

 

 ユダヤ暦(アダムからの年数を表わす暦らしいです。)では、2023年9月15日の日没から、ユダヤ暦5784年が始まったそうです。

 ユダヤ教のラビたちの間では、何かの二百年を加えるか加えないかの議論がされているそうです。私は、個人的に二百年を加えて考えています。二百年を加えると、今年は5984年となります。

 

 千年をただ一つの日(一日)として捉えると、6000年は六日。千年王国の1000年は一日。

 

 人の六日間は、第一日は堕罪と死、第二日は水の洗い、第三日は女の子孫イスラエルが起こされ、第四日はイスラエルから生まれた「人の子」神のひとり子イエスが地上に来られ、第五日は神の子羊イエスの罪の贖いの死と死(悪魔)に勝利した神の子羊キリスト・イエス、そして、第六日に神が遣わされた人の子イエス(メシア)を信じる者にキリストの御霊による新しい創造がなされます。

 

 土の塵から造られた人は、世の罪を取り除く神の子羊(罪の贖いの神の子羊となられた女の子孫「人の子となられた神のひとり子キリスト」)によって悪魔が踏み砕かれて罪の縄目から解放され、神がイエス・キリストの御名によってお与えになる生かす御霊(キリストの御霊)によって新しい創造を受けて、神の子どもに造り変えられます。

 

 土の塵から造られた人は、キリストが授ける生かす御霊を受け、御霊の新しい創造を受けて、信仰によって肉から霊に、肉の思いから御霊の思いに造り変えられ、神とキリストを愛し、己の心から神の御心に従う者とされ、神の子どもに造り変えられて完成するのです。

 

 人はみな、エバを騙した蛇に神が仰せられた女の子孫「人の子」(人となられた神のひとり子キリスト)によって御救いを受け、神の愛を知り、神のみもとに帰る神の子どもとされるのです。

 

 神は、ひとり子とともに造られた「人」が、そのひとり子の血(人の子イエスの血)と御霊により新しい創造を施されて、罪贖われた人が「神の子ども」として完成するのをご覧になっておられます。

 

 人の子イエス・キリストの血と、生かす御霊によって造り変えられ、父なる神に、永遠のいのちをいただいた神の子どもたちは、神の子羊キリストが統べ治められる千年王国でともに王となるのです。