ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ人とともにあったクリスチャン

 

 十一月三日の、東京大手町であった、チョーズン・ピープル・ミニストリーズのセミナー『イスラエルと日本を救う福音の力』に行ってきました。

 とても、心温まる温かいセミナーでした。大阪でもセミナーが開催されるようです。

 

 十五年以上前には、イスラエルを祝福する教会はほとんどありませんでした。信者さんの中でイスラエルに礎を持つ聖書の福音を聞く人が起こっても、教会は無関心でした。

 教会の牧師が、福音におけるイスラエルの重要性に目が開かれても、長老たちの反対にあい、教会内で語ることが許されませんでした。

 

 ほんの一部の教会で教えられているだけでした。しかし、今では、六百件以上の教会でイスラエルのための祈り会がもたれ、イスラエルの正しい理解が日本の教会に浸透しつつあります。

 

 長い間、教会の歴史の中で、イスラエル、ユダヤ人の選びのことは封印されて来ました。教会は、ユダヤ人がイエス・キリストを十字架につけて殺したと考えて来ました。ユダヤ人はキリスト殺しの罪深い民族として、教会に敵意を持たれて来たのです。そして、キリストの復讐として、教会はユダヤ人たちを迫害することを大義としていたのです。それは、教会が、ユダヤ人迫害を神のための奉仕だとしていたからです。

 

 ユダヤ人たちがイスラエルの国から諸国に散らされ自国を失ったのは、神の御子キリストを殺した極悪人だから、ユダヤ人は神に捨てられたのだと考えました。

 神の契約はキリストを信じる者に移り、新約聖書に書かれた「イスラエル」はキリスト教会をさし、「ユダヤ人」はクリスチャンをさすと、教会指導者たちの私的解釈により歪められて教会に浸透したので、羊たちクリスチャンは悪魔の蒔いた毒草を食べて育ちました。

 

 旧約聖書の至る所に出て来る、神のユダヤ人に対する愛と、イスラエルの祝福の約束に、異邦人のキリスト者は妬みを持ったのです。

 養子の異邦人が、実子のユダヤ人を妬み、実子を神の家から追い出し、実子の相続するアブラハムの祝福を我が物とし、神の家を乗っ取ったということでしょうか。

 神に祝福されたユダヤ人の祝福は自分たちがふさわしいとし、聖書の契約と祝福は、神の御子イエス・キリストの御名を呼ぶクリスチャンのものだと確信したのでした。

 

 長い間、クリスチャンは騙されて来ました。

 キリストを迎えたイスラエルが、神の御子イエスを信じず盲目となったように、キリストを迎えた異邦人クリスチャンは、神の契約を持つ聖書の民イスラエルに対して盲目となりました。

 

 聖書に書かれたユダヤ人をクリスチャンのことと解釈し、イスラエルをキリスト教会のことと解釈する、「置換神学」のキリスト教会が、キリスト教と呼ばれる宗教となっていったのです。

 

 しかし、聖書の神は、時を越えて、聖書の民イスラエルに約束されたとおり、ユダヤ人の先祖の地(現イスラエル)にユダヤ人の国家を建てられました。

 置換神学に騙されていたキリスト教会にこの事実が受け止められて、次第に、聖書に書かれているユダヤ人はクリスチャンではなく、文字通りユダヤ人のことであり、聖書に書かれているイスラエルはキリスト教会ではなく、文字通りユダヤ人の集合体の国を表わすということに、目が開かれ始めました。

 

 イスラエル国家建国(1948年)の出来事は、ユダヤ人の信仰の回復(神はイスラエルを覚えておられユダヤ人のために約束―聖書の預言―を成就してくださる)でもあり、キリスト教会の目覚めでもあったのです。しかし、ユダヤ人もイスラエルも認めたくない毒麦(悪しき霊のクリスチャン)たちは、目覚めた良い麦(神の霊のクリスチャン)たちを教会から締め出しました。

 

 しかし、ユダヤ人の国の回復とともに、新約聖書の民の一部の人は、聖書を正しく解釈しようと取り組みました。聖書を私的解釈した先人たちの教えの間違いに気づき、信仰の土台にイスラエルと、神のユダヤ人への変わらぬ愛、ユダヤ人の祝福があることに至ったのでした。

 

 旧約聖書を学ばないキリスト教会は、イスラエルの祭司の国民の務めを見落としていました。

 神は、神の祭司の国民イスラエルに、罪の贖いの生贄を屠るようにと、神の子羊イエス(神のひとり子キリスト)を遣わされました。

 神の子羊イエスは、祭司の国民イスラエルに屠られなければならなかったのです。キリストは贖いの血を流すために、神に遣わされました。神は、罪の贖いの血を得るために、神のひとり子に肉体を造られて、血の流れるからだをお与えになられました。

 

 神に受け入れられる罪の贖いの子羊は、祭司の手によって屠られなければなりません。祭司以外の者が屠った物は、神は受け入れられません。受け入れられないどころか、神に聖別されていない者が神の領域に入り神の聖を汚したとして、ただちに息絶えます。そして、聖なる神の怒りによって地上に呪いが下ってしまいます。

 

 神は、地上に祝福をもたらすために、神の祭司の国民イスラエルに、神の子羊イエスを屠らせなさいました。神は、聖別された祭司の国民イスラエルから、とこしえの贖いの血(子羊イエスの血)をお受け取りになられたのです。

 

 イスラエルが、神の御子イエスを十字架につけて神の子羊の罪の贖いの血を流したのは、神の御計画のうちにあったのです。

 ユダヤ人をキリスト殺しで訴え迫害するクリスチャンたちこそ、神の御計画に立ち向かい、神に反逆する大罪者なのです。

 

 神の子羊イエスを殺したことで、神はユダヤ人から国を取り上げて、諸国に散らされたのでしょうか。

 いいえ、十字架で死んだイエスが墓から甦られたキリストとなって現われたのに、イエス・キリストを信じなかったからです。

 死から甦って永遠に生きるキリストは、イスラエルのメシアです。神は、十字架のイエスを死から復活させることで、ユダヤ人たちに、彼らが十字架につけたナザレのイエスは神の御子であったと、公に証されたのです。それなのに、ユダヤ人は、キリストを殺してしまったことを認めたくなくて、信じませんでした。

 

 ユダヤ人の罪は、神が遣わすと昔から語って来られたキリストを迎えながら、イエスを神の御子と信じなかったことです。

 バプテスマのヨハネの悔い改めのバプテスマ(水のバプテスマ)を受けていながら、キリストを迎える備えをしていなかったのです。

 

 キリストを信じないイスラエルは、世界にキリストの福音を届け世界の祝福の基となるはずのイスラエル(神の民)にふさわしくないものとなったのです。キリストを信じないイスラエルは、神の役に立たない悪いものとなり、神の怒りを買ったのでした。

 

 今回のセミナーで、クリスチャンの迫害にあって教会から追い出されキリスト教会から離れたメシアニック・ジューたちが、神によって何十万人と隠されていたことを教えられました。

 イエス・キリストの教えは、クリスチャンたちが受け継いできたと思っていましたが、なんと、神は、地球上に、使徒たちの教えを受け継ぐメシアニック・ジュー(旧約聖書に礎を置いたイエス・キリストを信じるユダヤ人)の群れを残しておられたのでした。

 

 神は残りの者をいつも残されます。少数派ですが、真実なしもべたちです。ユダヤ人が諸国に離散しユダヤ人が追い出されたパレスチナの地にも少数のユダヤ人が住み続けていました。キリスト信仰にもユダヤ人が残されていたのでした。

 

 一人の講師が、セミナーに集う会衆に質問されました。

 「この一週間か数日の間に、ユダヤ人とお話ししたことのある人、手を挙げてください。」

 思ったよりも多くの人が手を上げました。私は、「へぇ、すごいな。」と思いました。

 

 「この一週間か数日の間に、ユダヤ人の書いた本を読んだことのある人、手を挙げてください。」

 半数くらいの人が手を挙げたようです。私はまたまた、驚きました。

 

 すると、その講師は言われました。「皆さん、この一週間、祈ることも、聖書を読むこともしなかったのですか?イエス・キリストはユダヤ人です。祈った人は、ユダヤ人のイエスに祈ったのです。聖書を読んだ人は、ユダヤ人たちが書いた本を読んだのです。」

 そう言われて、「ああ、そういうことか。」と納得しました。

 

 意識していませんでしたが、確かに私たちは、ユダヤ人の書いた本(聖書)に救いを求め、ユダヤ人として来られた神の御子イエス・キリストの御名によって救いを求めてお祈りしているのです。

 

 私たちの心は、常にユダヤ人とともにあり、イスラエルの歴史とともにあったのです。私たちは知らずに、ユダヤ人の助けを受け、恩恵をこおむっていたのでした。

 

 イスラエルの正しい理解、ユダヤ人の聖書的理解をする現在のクリスチャンたちは、知識に基づいて、ユダヤ人を愛し、イスラエルを祝福する者に変えられてきました。

 

 意識しても、意識しなくても、キリストのうちにある者は、アブラハムの子孫イスラエル(アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫イスラエル)によって、祝福されているのです。