神に、ソドムとゴモラの叫びが届きました。
神は、ソドムが実際行なっているかどうかを知りたい、と思われました。そこで、主(おそらく、受肉前の神のひとり子)は、主に届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見るために、地上に下って来られました。
「アブラハムは、主の前に立ち、近づいて申し上げた。
『あなたは本当に、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもあり得ないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。』
主は答えられた。『もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。』」(創世記18:23-26)
アブラハムが人数を減らしつつ幾度も主に懸け合うと、とうとう、主は、十人の正しい者がいれば、ソドムの町全部を赦し、ソドムの町を滅ぼすまい、と仰せられました。
しかし、アブラハムの甥のロトの家族四人のほかに、神を恐れる正しい人はいませんでした。
「主は、ソドムとゴモラの町の上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。」(創世記19:24,25)
「翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。
アブラハムがソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見降ろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。」(創世記19:27,28)
神がソドムとゴモラのある低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムに約束されたことを覚えておられたので、アブラハムの甥のロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムの甥のロトをその破壊の中から逃れさせられました。
アブラハムの執り成しの祈りは聞かれました。
神のしもべに執り成された人は、神に覚えられます。神は、神のしもべを覚えておられるからです。
このように、神を信じるキリスト者の祈りは、神に覚えられます。キリスト者の祈りは聞かれ、神は、御使いを送って働かれます。
執り成された人が、神にへりくだる正しい者ならば、執り成し手の祈りのごとく、さばきから逃れることができます。しかし、いくらキリスト者に祈られていても、執り成された当の本人の心が神にない場合は、ほかの罪人たちと同じようにさばかれます。
神は、アブラハムが主に訴えた祈りを覚えておられます。
「正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもあり得ないことです。
全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
神は、アブラハムの子孫イスラエルをも、覚えておられます。神が、契約を結び、神の民としたユダヤ民族です。
神は公義の主です。神の民イスラエルだからという理由で、憐れみ、祝福されるのではありません。
モーセは、イスラエルに、神のことばを告げて言いました。
「あなた(イスラエル)が、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら(神を目の前に置いて歩むなら)、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、御自身の聖なる民として立ててくださる。
地上の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地(カナンの地、現イスラエル)で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。」(申命記28:9-11)
イスラエルが、イスラエルの神、主の御声によく聞き従い、モーセが、イスラエルに命じた主のすべての命令を守り行なうなら、イスラエルの神、主は、地のすべての国々の上にイスラエルを高くあげられます。
「もし、あなた(イスラエル)が、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私(モーセ)が、きょう、命じる主のすべての命令と掟とを守り行なわないなら、呪いがあなたに臨み、あなたは呪われる。」(申命記28:15)と、モーセは、呪いについても語っていました。
イスラエルが背信極まり、不義(イスラエルの神にへりくだらず、神の民の用を成さない)で満ちると、神は、このようなことをされます。
「あなたのうちの在留異国人は、あなたの上にますます高く上って行き、あなたはますます低く下って行く。」(申命記28:43)
今は、イエス・キリストを信じるユダヤ人たちの信仰によって、神の御厚意を受けています。
もし、自分自身が、イエスを神の御子キリストだと信じられなくても、イエスを神の御子キリストと信じているユダヤ人(メシアニック・ジューやユダヤ人ビリーバー)たちを、イスラエルの民、同胞のユダヤ人として迎え入れて、兄弟関係を保つならば、神は、イスラエルを祝福されるでしょう。
イスラエルの国も、イスラエル民族も、「イスラエルの神」の名がつけられているのです。
イスラエルの先祖の時代、ユダヤ民族が奴隷の家エジプトから救い出されたのを聞いたカナンの地の住民たちは、恐れました。イスラエルの神が、イスラエルにカナンの地を与えておられることで、恐怖に襲われました。
また、近隣諸国も、イスラエルとともに神がおられることを知り、神への恐れがありました。
イスラエルの中で、ユダヤ教徒とキリストを信じるユダヤ人との間に分断があるならば、イスラエルの神は、祝福したくても、祝福できません。ユダヤ教徒が譲歩して、キリストを信じるユダヤ人を血肉の兄弟として受け入れて疎外しなければ、平和の君、イスラエルの主が来て住まわれます。
イスラエルは、世界の祝福の基なのです。イスラエルのうちに平和があるならば、世界に平和が訪れます。
神が、イスラエルのために立ち上がってくださるのです。
イスラエルの神が、悪い者を打ち、復讐してくださいます。
イスラエルの神は、まことの生ける神を恐れる正しい者に、報いてくださる神です。
イスラエルの王ダビデは言いました。
「まことに、正しい者(まことの神を恐れる者)には報いがある。
まことに、さばく神が、地におられる。」(詩篇58:11)
イスラエルは、神が造られた神の民です。イスラエルが、イスラエル民族を造られた主に忠実であるならば、神が喜んで祝福してくださるのです。
神は、悪い者を火で滅ぼす御計画をお持ちです。
今の世は、悪い者ばかりではありません。イスラエルの神(全能の神)に仕えるユダヤ人たちがいます。まことの生ける神を知るユダヤ人(メシアニック・ジューとユダヤ人ビリーバー)たちがいます。そして、世界には、イエスを主キリストと告白するキリスト者たちがいます。
神は、先祖ゆえに愛しておられるユダヤ人、先祖たちの祈りが積まれているイスラエルの存在ゆえに、世界の罪を見ても、滅ぼすことをせずに赦して来られました。
ユダヤ人の存在が地にある限り、地の滅びは決行されません。
神は、神の民を、悪い者とともに滅ぼすことはされません。救い出してくださるのです。彼らの魂は、悪い者とともに死に下るのではなく、約束の地(永遠の神の国)へと引き上げられるのです。
神が立ち上がられるとき、神は御心を成し遂げられます。
神は憐れみによって、世を愛されました。ユダヤ人ではない人々(異邦人)の中で、神を恐れる正しい者を探し出しておられます。正しい者が悪い者とともに滅ぶことがないようにするためです。
神を知らない世の人々は、イスラエルによる救い(ユダヤ人から出たキリストの御救い)を悟らず、イスラエルが悪の元凶のように思っています。
神がこの世が保たれているのは、イスラエル(神の民)が地上に存在しているおかげであることを悟りません。
地上の者はすべて、生まれながら死と滅びに定められているのです。世の終わりを信じても信じなくても、やがて、天と地は滅び、すべての人は死後に裁きを受けるのです。
神は、滅ぶ人々の中にあって救いの契約を与えたアブラハムゆえに、アブラハムの子孫イスラエルを民族的に救われます。イスラエルは、世の人々(ほかの民族)とは違います。ユダヤ民族は、神から救いの契約を受けた民族なのです。
地上のすべての民族は、イスラエルによって祝福されます。イスラエルが地上にある限り、天と地は滅びません。そして、イスラエルを祝福する者を神が祝福されるのです。
永遠の死と裁きが定められた人々の間にイスラエルを造り、神の御子イエスを遣わして、私たちに希望と御救い、永遠のいのちを得させてくださるのは、イスラエルの王イエス・キリストなのです。
イスラエルの主であるイエス・キリストを愛する者、また、神に聞き従う者がいる限り、憐れみの神は正しい者を悪い者といっしょに滅ぼすことはありません。