ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

裁き主なる神の命令

 

 「罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことです。

 キリストが現われたのは世の罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。」(ヨハネ第一3:4,5)

 

 不法者は律法に逆らう者です。国の法に逆らう者は捕らえられて、裁判所で国の法によって裁かれます。それは、法を守らない者は、法に逆らい罪を犯したからです。法に従って生きる者が裁かれることはありません。

 

 人には、国の法とは別の法があります。神の国の法です。人は、死後に、この神の法によって裁かれます。

 目に見えない神を恐れる正しい者は、彼の霊が神の法を捉え、良心に従って正しい道を求めます。

 多くの人は、自分は裁かれるような罪を犯していないと思い、自分の良心によって物事を判断し、自分の良いと思われることを大切にします。

 また、他人に隠れたところで好き勝手に生きながら、それが明るみになって自分の言葉や行ないが罰っせられることを恐れている者もいるでしょう。

 しかし、目に見えないものに無頓着で、神をも人をも恐れない者は、自分の欲望に従って生き、自分に罪は無いと主張します。

 

 「子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。

 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。

 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種(神のことばと信仰)がその人のうちに留まっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。(罪に気がつくと悔い改めます。)

 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。

 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。」(ヨハネ第一3:7-11)

 

 義を行なうとは、神の命令に聞き従うことです。

 神の国の法に従うことのできない生まれつきの人間は、実は、生まれながら神の法に逆らう罪人です。罪人は裁かれなければなりません。神の裁きは絶対です。

 

 人間の裁きは冤罪を生み出してしまう不完全なものです。人間は一部始終を正しく知ることができません。嘘や偽りを見逃す不完全なものです。人間の裁きは、法よりも人の思いや感情が優先することがあります。

 しかし、神は霊であって、すべての人の霊を見極めるお方です。霊なる神の御前で、だまし事や嘘偽りは通用しません。

 

 義を行なう者は、神の法を完全に守られるイエス・キリストの御名を信じる者です。神が義とされるキリストのうちに留まる者は、神に裁かれる罪のうちにいません。

 

 「神の命令とは、私たちが神の御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。

 神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。」(ヨハネ第一3:23,24)

 

 裁き主なる神は、世の終わりに死んだ者も生きている者もすべての者を、その行ないに応じて裁かれるお方です。

 この方の裁きは絶対です。裁き主は、神の法に従った者に永遠のいのちを与えて神の国に入れ、神の法に従わない不法者を永遠の火で焼く尽くされます。

 

 この裁き主が、キリスト(救い主)を遣わされました。キリスト(神の子羊イエス)が世に現われたのは、世の罪を取り除くためでした。

 神の子羊イエスは、十字架で罪の贖いの血を流し、神の子羊イエスの血によって罪を取り除かれました。

 すなわち、裁き主なる神は、神の子羊イエスの血による罪の贖いを信じてイエス・キリストの御名を崇める者の罪を赦し、義とされるのです。神は、神の子羊イエスの血によって、世を救われます。

 

 イエス・キリストの御名による義は永遠のものです。神がそのように定められたからです。神の命令とは、神の御子イエス・キリストの御名を信じ、互いに兄弟を愛することです。

  

 神は、イエス・キリストの御名を信じる者たちを、この世に置かれたキリストの兄弟(ユダヤ人)たちによって試されます。

 神の法を守る者は、キリストの兄弟たちを愛します。神の法の下に留まらない者は、自分の思いによって感情をむき出しにします。キリストの兄弟たちを愛さない者は、罪のうちを歩む者です。イエス・キリストの御名を信じながら、神の命令に逆らう者です。

 

 神の命令を守らない者は、不法者であり、罪のうちを歩む者です。そういう者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔は、神に逆らう者、神に敵対する者、神の子を憎む者、そしる者、訴える者なのです。

 

 神の御子イエス・キリストが現われたのは、騙す者である悪魔の策略を踏み砕き、罪人を我に返らせ罪を取り除くためでした。

 神の子(神の御子イエス・キリストの御名を信じるイエスの弟子)が現われたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。

 

 悪魔は、神の民ヤコブの子孫(イスラエル)に噛みつき、争いを引き起こしています。神の子たちは、悪魔のしわざを打ち壊す者です。イスラエルにつきまとう悪魔の仕掛ける争いの中でユダヤ人が守られ神を求めるよう、また、イスラエルを癒しキリストの平安で満ちるように執り成します。

 

 アダムとエバの子カインは兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないが悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。(ヨハネ第一3:12)

 終わりの時代、アブラハムの子(女奴隷ハガルの子孫)が、アブラハムの子孫(アブラハムの妻サラの子孫)を絶滅することをもくろんでいます。

 アブラハムの子孫(イスラエル)が神に受け入れられる相続者であることを妬んだ兄弟たちが、相続者を殺そうとしているのです。

 

 イエス・キリストの兄弟(ユダヤ人)を愛する者は、神から生まれた神の子どもです。イエス・キリストの兄弟を愛さない者は、悪魔から出た者です。イエス・キリストの兄弟を憎む者、訴える者、敵対する者は、神のひとり子イエス・キリストのことばに逆らう者であり、悪魔の子どもです。

 

  神の約束を思い出しましょう。

 バラムはイスラエルを祝福することが主の御心にかなうのを見、言いました。

 「なんと美しいことよ。ヤコブ(ユダヤ民族)よ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。

 あなた(イスラエル)を祝福する者は祝福され、あなたを呪う者は呪われる。」(民数記24:5,9)

 

 神は、キリストの兄弟(ユダヤ人)を世界中の人々の目にさらし世の人々の心にあるものを調べて、神の御心に従いイスラエルを祝福する者(神の子ども)とヤコブに噛みついた悪魔につく者(悪魔の子ども)とに区別されます。また、このことにおいて、イエス・キリストの御名を信じる者たちをも試みておられます。

 

 神の命令は、神のひとり子イエス・キリストの御名を信じることと、兄弟を愛することなのです。

 イスラエルは神がお選びになった神の民であり、私たちの主イエス・キリストはイスラエルの王であることを思い出しましょう。

 イエス・キリストの家はイスラエルです。イスラエルを憎む者が、イスラエルの家の中に入ることはありません。

 

 裁き主は、罪を赦し死と滅びから救うための命令を与えておられるのです。

 イエス・キリストを信じることとキリストの兄弟を愛することは、永遠のいのちを得るための神の命令なのです。