ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ヨナ書に隠された奥義

 

 預言者ヨナは、仕えているイスラエルの神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの都市ニネベに行って、悔い改めの福音を宣べ伝えるように命じられました。

 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼ら(ニネベの人々)の悪(罪)がわたし(イスラエルの神)の前に上って来たからだ。」(ヨナ1:2)

 

 その頃、イスラエルは、王も民衆も神に逆らい乱れていました。預言者が神のことばを語っても、王もだれも聞こうとはしません。預言者たちが神のことばを語っているのに、イスラエルは、神から顔を背けていました。

 

 契約の民イスラエルの不従順のゆえに、契約の外にあった異邦人が神の憐れみを受け、彼らに神のことばが臨みました。

 

 イスラエルのために立てられた預言者が、なぜ敵国のわざわいを止めなければならないでしょうか。神のこの命令に従うことに、ヨナの心が納得できません。ヨナの肉が拒みます。敵国を助けるなんて、同胞を裏切るようなものです。また、ユダヤ人のヨナ自身の心は立ち騒ぎ、痛みます。敵国が滅ぶことを望むのは当然ではないでしょうか。

 

 しかし、主は言われます。

 「わたし(神)は、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(ヨナ4:11)

 

 「その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主(イスラエルの神)に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハへレスと言われる。

 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らが虐げられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼ら(エジプト人)を救い出す救い主を送られる。

 そのようにして主はエジプト人に御自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、生贄と献げ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。

 主はエジプト人を打ち、打って彼らを癒される。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒される。

 その日、エジプトからアッシリアへの大路ができ、アッシリア人はエジプトに、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人とともに主に仕える。

 その日、イスラエルはエジプトとアッシリアと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。

 万軍の主は祝福して言われる。

 『わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリア、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。』」(イザヤ19:18-25)

 

 すべてのものは、おひとりの神によって造られました。その神は、御自身を「イスラエルの神」と名乗られます。

 

 詩篇の作者は神に感謝を献げます。

  「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。

 知れ。主(イスラエルの神)こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇100:1-3)

 

 神が造られたすべてのものは、神のものです。すべてのものを造られた神はイスラエルの神です。

 私たちが主にへりくだるならば、主は私たちを養い、緑の牧場で憩わせてくださいます。

 

 「あなたがた(契約のない異邦人)は、以前は神の民(イスラエル)ではなかったのに、今は(神の御子キリスト・イエスにあって)神の民であり、以前は憐れみを受けない者であったのに、今は憐れみを受けた者です。」(ペテロ第一2:10)

 

 神は、イスラエルに仰せられます。

 「エドム人(ユダヤ民族の父ヤコブの兄エサウの子孫)を忌み嫌ってはならない。あなたの親類だからである。エジプト人を忌み嫌ってはならない。あなたはその国で、在留異国人であったからである。」(申命記23:7)

 

 神は、すべての民族を憐れまれます。神は、イスラエルから金粕(かなかす)を取り除き、聖なる神の民とするために、エジプトやアッシリアを立てられました。エジプトやアッシリアは神によって動かされ、神の御心を成し遂げたのです。

 「主はエジプトの川々の果てにいるあのはえ、アッシリアの地にいるあの蜂に合図される。すると、彼らはやって来て、みな、険しい谷、岩の割れ目、すべてのいばらの茂み、すべての牧場に巣くう。」(イザヤ7:18,19)

 

 敵を起こしイスラエルに歯向かわせるのも、敵と和合させるのも、神によります。

 

 イスラエルの預言者ヨナは、ニネベに行き、その町に入ると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言いました。

 すると、ニネベの人々は、王から家畜に至るまで、断食をして、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と暴虐な行ないとを悔い改めました。ニネベの人々は神を信じたのです。

 

 神は、ニネベの人々が悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になり、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされませんでした。

 

 神は情け深く憐れみ深い神であられ、怒るのに遅く、恵み豊かであり、わざわいを思い直す正義のお方なのです。

 

 神の命令から身を避けて、神の命じられたニネベとは違うタルシシュ行きの船に乗ったヨナは、海に投げ出されました。神が送られた大魚にヨナはのまれて、大魚の腹の中に三日三晩いて、暗闇の中でノアが悔い改め神を崇めると、主は、大魚にヨナを陸に吐き出させられました。

 ヨナは、嫌々ながらもニネベの人々に神のことばを語り、それを聞いたニネベの人々は神を信じて悔い改め、わざわいを逃れました。

 

 イエスは十字架で罪の贖いの血を流し、墓に入って三日目に墓から甦られました。

 天に上られたイエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを授けられ御霊を受けたイエスの弟子たちは、イエスがなさらなかった宣教(契約のない異邦人への宣教)をしました。

 

 神に選ばれた契約の民ユダヤ人は、神の掟を守る民です。偶像の神々を拝み生けるまことの神の掟に対して好き勝手に生きる契約のない異邦人によって、汚れてはならないと異邦人との関わりを持つことを避けて来た聖なる民です。世のものと神のものとに何の関わりがあるのでしょう。

 

 しかし、復活されたイエスは弟子たちに命じられました。

 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ16:15-18)

 

 イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを受けた弟子たちは、宗教的なユダヤ人(熱心なユダヤ教徒)のところ、また、南ユダに属するユダヤ人(ユダ族とベニヤミン族)のところ、そして、ユダヤ人から除外された北イスラエルに属するユダヤ人(異邦人と混血になったユダヤ人)のところ、およびイスラエルから遠く離れた異邦人のところに行って、あらゆる国の人々を弟子とするために神の御子イエス・キリストを証しました。

 

 御霊を受けた弟子たちは、主イエスのことばに聞き従いました。

 「わたし(イエス)には天においても、地においても、いっさいの権威が(父から)与えられています。

 それゆえ、あなたがた(イエスの弟子たち)は行って、あらゆる国の人々を弟子(イエスを信じてイエスに従う者)としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがた(キリストの弟子たち)に命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがた(ユダヤ人の弟子たち)とともにいます。」(マタイ28:18-20)

 

 イエスは、ユダヤ人の弟子たちに、全世界に出て行って、あらゆる国の人々に、福音を宣べ伝えるように命じられました。

 キリストのバプテスマ(聖霊のバプテスマ)が授けられた弟子たちは、イエスのことばを守りました。そして、聖霊に満たされた新しい人の創造のために、彼らは神に仕えて聖霊のバプテスマを授けました。

 

 預言者ヨナは、イスラエルの敵のところに行って、イスラエルの神のことばを宣べ伝えました。ヨナの意思ではありません。神の御意志なのです。イスラエル人のヨナはイスラエルの神に忠実でした。

 当時、イスラエルの心は神の預言者を憎み、神のことばを退けました。しかし、イスラエルの敵ニネベの人々は、イスラエルの神のことばを聞き、神を信じ、熱心に悔い改めました。

 

 神に選ばれたイスラエルに賜った苦しみは、重い十字架です。イスラエルの命を狙う敵に、神の憐れみと恵みによる御救いの福音を宣べ伝えなければなりません。

 その働きには、喜びは伴いません。肉に逆らう行ないだからです。逃げ出したい、神に御心を変えていただきたいと願いつつ、信仰によって聞き従う歩みです。

 

 ヨナが敵であるニネベの人々に神のことばを伝えると、ニネベの人々は神を信じ悔い改めました。ニネベの人々が悔い改めて神がわざわいを思い直されたことは、ヨナを非常に不愉快にさせました。ヨナは怒っていました。

 しかし、ヨナは、神の命令に従ったのです。神の初穂の民イスラエルに課されたこの肉を破るようなやるせない務めは、民族あげて神に献身するイスラエルだからこその務めなのです。イスラエルは神の民族なのです。神は、ユダヤ人が神に忠実な民族であると知っておられるのです。

 

 神は、アッシリアに神のことばを告げさせたのではありません。ニネベの町に告げさせたのです。ニネベの町には、神のことばを聞いて悔い改める、心の正しい者たちがいることをご覧になられたからです。

 神は、イスラエルに敵を祝福するようにと言われるわけではありません。神が敵の中に良い者、良い町を見出されたならば、御自分のしもべ(ユダヤ人)に、彼らの所に行って、福音を宣べ伝えなさい、と言われるのです。

 正しい心を持つ者は、神の敵ではなく、イスラエルの仲間だからです。

 

 契約の民イスラエルは、御救いが約束された唯一の民族です。ほかにはありません。御救いの約束を持つ民族は、イスラエルだけです。

 神は、自分を捨てて神に聞き従った神の御子イエス・キリストと同じいばらの道をイスラエルに用意しておられます。

 十字架のわざを成し遂げたイエスが天で栄光を受けられたように、神は、イスラエルに選ばれた民族としての栄光をお与えになられます。

 

 「総督の兵士たちは、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。『ユダヤ人の王さま。ばんざい。』また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。

 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。

 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。」(マタイ27:28-32)

 

 ユダヤ人たちの重すぎる十字架を、異邦人の私たちは、イスラエルを祝福することで支えてまいりましょう。