ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本人に与えられる永遠のいのちに至る食物

 

 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子(主キリスト)があなたがた(神の民)に与えるものです。この人の子(神の御子イエス・キリスト)を父(御子をイスラエルに遣わされたイエスの父)、すなわち神(全知全能の天の神)が認証されたからです。」(ヨハネ6:27)

 

 天の神が罪の贖いのために遣わされた神の子羊イエスのことばを信じ、神の御子イエスの語られる、父について、御国について、永遠のいのちについてのあかしを信じ受け入れた者は、神は真実であるということに、確認の印を押したのです。

 つまり、神が遣わされた主イエス・キリストを信じ受け入れた者は、神は聖書に書かれてある約束を成し遂げてくださる真実なお方であるということを確認し、神への信仰を揺るぎのないものとしたのです。

 

 神の子羊イエスを遣わされた天の神は、父なる神に忠実に聞き従う御子イエスが世の罪を贖う子羊にふさわしく、しみも傷もしわもない完全な人の子であることを認証されました。

 神の御救いの約束を実現するために遣わされた御子イエスは、神の聖なる子羊として神に認証されたイエスを主キリストとして信じ受け入れる者に、なくなることがなくいつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物(永遠のいのちを得させるイエス・キリストのみことば)のための働きを与えられます。

 それは、神の国の働きであり、とこしえに賞賛される栄誉ある働きです。

 

 アッシリア捕囚で離散した十支族のユダヤ人のそれぞれの支族の一部、また、バビロン捕囚でイスラエルを離れたユダヤ人のうち、帰還しないで東方に向かった二支族のユダヤ人の一部がそれぞれ、神の導きで東の果ての島国(日本)に辿り着いたのではないのかと思います。

 

 かつて、神がノアが造った箱舟に、入らせたものがあります。

 「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。

 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。

 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟にはいった。

 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな(雄と雌二匹ずつ)、はいった。

 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。」(創世記7:11-15)

 

 神は、被造物のすべての種を守るために、生き残りのものを箱舟に入れて守られました。

 

 神は、神の御子イエスを遣わすとイスラエルがそれを十字架につけることを知っておられました。また、ユダヤ人たちが神の御子イエス・キリストを信じないこともわかっておられました。そして、神が怒りをもってローマ帝国に力を与えられると、ローマ帝国がユダヤ人たちをユダヤ属州(パレスチナ)の地から諸外国に離散させることもご覧になっておられました。

 

 先を見通された主は、ユダヤ人(北イスラエルの十支族)がアッシリアに捕囚されると、イスラエルの地に帰還させることなく離散の道に導かれました。

 南ユダの二支族がバビロンに捕囚されると、神の御子を遣わすことを前提に、彼らの頑なな心を砕いて神に立ち返らせ、エレミヤの預言どおりに七十年の時が満ちると、イスラエルの地に帰還させられました。

 

 神は、ローマ帝国の圧政下にある時代に、ユダヤ属州のベツレヘムの地で、ユダ族のダビデの子孫ヨセフの家に、ヨセフの許嫁の妻である処女マリアの胎から神のひとり子イエスを降誕させられました。

 

 古くから、神は多くの預言者を立てて、御子イエス(インマヌエルと呼ばれる主キリスト)の訪れを告げておられました。

 救い主がお生まれになったことを、その地で羊の群れを見守る羊飼いたちに、御使いが現われて「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがた(イスラエル)のために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」と告げました。

 

 神の御子イエスが成人して公生涯に入られると、その前に、主キリストをイスラエルに迎え入れさせるために、バプテスマのヨハネが立てられて、イスラエルに悔い改めのバプテスマ(水のバプテスマ)を授けていました。バプテスマのヨハネは、イスラエルに主(救い主)の道を用意し、主(キリスト)の通られる道をまっすぐにする、エリヤの霊の人でした。

 

 神は、イエスが主キリストであることをいろんな証言者をもってあかししておられたのですが、イスラエルは、イエスを嘲り、憎みました。イスラエルの神が遣わされたひとり子を信じなかったのです。

 神は、神のひとり子に不遜で高慢なイスラエルを、約束の地(先祖アブラハム、イサク、ヤコブから相続したユダヤ民族の所有地)から散らされました。

 

 祖国を失い、諸外国で迫害され憎まれたユダヤ人たちは、イスラエルの神の契約の成就を待ち望みながら1850年以上の時を過ごしました。

 そして、1948年に、祖国カナンの地(先祖の地)に、イスラエル国家を築いたのでした。神は、イスラエルを忘れておられず、聖書に書かれている約束を実現されました。

 

 アッシリアに捕囚され、アッシリアから離散した十支族はどこに行ったのでしょうか。一部の人々は、南ユダがバビロン捕囚から帰還したときに、ともに帰還したとも言われています。

 

 神は、ユダヤ人たちが散り散りになることをわかっておられたので、十二支族のうちで神が選ばれたそれぞれの支族の神を恐れるユダヤ人が、神に導かれて海を渡り、日本に来ているのではないのかと思います。

 

 祖国イスラエルの地が荒廃している期間も、神の祭司の民の務めをさせるために、日本の地に集め、神の民の機能を地上に絶やされなかったのではないのかと思います。

 

 1948年に建国されたイスラエルは、さまざまな国から帰還したユダヤ人たちで構成されています。レビ族もいますが、神は、このイスラエルとは別に、神が選ばれた神を恐れ神に忠実に仕えるユダヤ人たちを集めた神の民の群れを、神を礼拝する民として日本の地で養っておられたように思います。

 

 日本の先住民たちは、自然を敬い、目に見えない霊なる神を崇める農耕民族だったのでしょう。ユダヤ人たちの敵ではありませんでした。

 

 かつて、イスラエルがエジプトの国で在留異国人であったとき、父ヤコブが亡くなると、イスラエルの長子であるヨセフは、父ヤコブを葬るためにカナンの地に上って行きました。

 「彼(エジプトの大臣であるヨセフ)とともにファラオ(エジプトの王)のすべての家臣たち、ファラオの家の長老たち、エジプトの国のすべての長老たち、ヨセフの全家族とその兄弟たちおよび父の家族たち(ヤコブ一族)も上って行った。

 また戦車と騎兵も、彼(ヨセフ)とともに上って行ったので、その一団は非常に大きなものであった。

 彼らはヨルダンの向こうの地ゴレン・ハアタデに着いた。そこで彼らは非常に荘厳な、立派な哀悼の式を行ない、ヨセフは父のため七日間、葬儀を行なった。

 その地の住民のカナン人は、ゴレン・ハアタデのこの葬儀を見て、『これはエジプトの荘厳な葬儀だ。』と言った。」(創世記50:7-11)

 

 ヤコブを葬ったときは、ヤコブ一家はまだ、民族ではありませんでした。それから、ヨセフもその兄弟たちも亡くなり、へブル人(ユダヤ人)のヨセフがエジプトの大臣であったことを知らない世代の王が立つと、在留異国人のユダヤ人たちをエジプトの奴隷とし、四百年の間、苦役を課しました。

 

 四百年が満ちたころ、神は、モーセを立てて、ユダヤ民族を奴隷の家エジプトから救い出し、荒野へと導かれました。世界的な飢饉の折にカナンの地から下って来たヤコブ一家は、エジプトの地で成人男子だけでも六十万人のユダヤ民族となっていました。

 神は荒野で、彼らと契約を結び、ユダヤ民族をイスラエルとし、神の民イスラエルが守るべき神の掟(モーセの律法)を与えられました。ヤコブの子孫は、イスラエル民族となったのです。

 

 神は、レビ族を神に仕える支族として選び、レビ人のアロンを大祭司とし、神の幕屋で生けるまことの神を礼拝する祭司の国民とするために育てられました。

 

 神は、イスラエルの先祖に約束した相続地(カナンの地)に彼らを導かれて、その地にイスラエル王国を確立されました。そして、神を国の中心に据える国民とされたのです。

 

 イスラエルの祭儀は神聖なものであったことでしょう。ユダヤ人たちの祭儀を見て彼らを恐れ、先住民たちは、彼ら(ユダヤ人たち)のことを、神が遣わされた聖なる祭司と考えて敬ったのではないでしょうか。そして、日本の先住民たちはユダヤ人たちにかしづいたように思います。

 先住民たちは、霊なる神によって、彼らが来るとの御告げを受けていたのかもしれません。

 

 ほかの国とは違い、大和(日本)の国では、ユダヤ人は神の人として尊ばれ、ユダヤ人たちもまた、守り神のように先住民を大切にし、二つの民族は良い関係を持ったように思います。

 

 隣国との争いの絶えないイスラエルとは違って、ここの者はみなが好意的で平和でした。それで、ユダヤ人たちも、祭儀をしながら、この国の一部のようになっていったのではないのかと思います。この地続きの隣国のない島国に入ってから長らく居住する間に、ルーツは彼らの記憶から忘れ去られたのではないのかと思います。

 

 私は、日本人の中に、ユダヤ人としての記憶はないけれどもイスラエルの十二支族の子孫である人々がいるように思います。

 終わりの時代に現われるとされ世界を救う救世主とされる人が日本人から出ると言われているのは、血統的にはユダヤ人の血を引く人なのでしょう。

 

 それゆえ、神は日本を神の国のように、神の御前で祈る者を置いておられるのでしょう。宗教に汚されていない日本人を、永遠のいのちに至る神のことばに仕える者として立てられるのではないのかと思います。