ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神を正しいとする者たちの証明

 

 イエスは群衆に、バプテスマのヨハネについて話されました。

 「その人(バプテスマのヨハネ)こそ、『見よ、わたし(神)は使い(エリヤの霊と力で主〈キリスト〉の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせて、〈神がイスラエルに遣わすと約束されたメシアを迎えるために〉整えられた民(神の民イスラエル)を主〈神のひとり子キリスト〉のために用意する人)をあなた(神のひとり子イエス)の前に遣わし、あなた(神の子羊イエス)の道を、あなた(人の子ナザレのイエス)の前に備えさせよう。』と書かれているその人です。」(ルカ7:27)

 

 神がバプテスマのヨハネを立てられて、イスラエルにお遣わしになられました。バプテスマのヨハネは、葡萄酒も酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、イスラエルの多くの子らを、彼らの神(イスラエルの神)である主に立ち返らせるために、生を受けた人でした。彼は、生まれて来る前から神の召命を受けていた人でした。

 

 バプテスマのヨハネは、不信仰なイスラエル、神に逆らうイスラエルの人々を、荒野でモーセと契約を結んだ時の神の民の心に立ち戻らせ、いよいよ、神が遣わされる救い主キリストを迎える民として、神の御前にイスラエルの信仰を整えるために、召された神のしもべでした。

 

 イエスは言われました。

 「(バプテスマの)ヨハネの教えを聞いたすべての民は、(税を民から余計に徴収して私腹を肥やしていた罪人の)取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマ(悔い改めのバプテスマ)を受けて、神の正しいことを認めたのです。

 これに反して、(聖書の教えに通じ、厳格に守っているはずのユダヤ人の)パリサイ人、律法の専門家たちは、彼(バプテスマのヨハネ)からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対する御心(律法を完全に守れないイスラエルの罪と律法の違反を神の子羊イエスの贖いの血によって赦し、神の義とする)を拒みました。」(ルカ7:29,30)

 

 聖書に忠実な信仰者であると自負しているパリサイ人や律法の専門家たちは、神が用意された神の御救いを受け入れることができませんでした。

 聖書を知りながら、聖書に書かれてある、神がイスラエルに遣わすと約束されたエリヤの霊の人も、主キリストも信じることができず、エリヤ(バプテスマのヨハネ)にも、キリスト(ナザレのイエス)にも従うことができませんでした。

 

 彼ら(律法の専門家たち)は、ヨハネの教えも神の御子イエスの教えも、斜めから見て、真理を悟ることはありませんでした。彼らの思いには覆いが掛けられていました。律法の覆いであり、この覆いが生ける神と彼らの心とを隔てており、高慢が彼らの心を頑なにしていました。

 

 使徒28:26,27には、イザヤ6:9,10のみことばを引用して、このように書いてあります。

 「この民(イスラエル)のところに行って、告げよ。あなたがた(ユダヤ人)は確かに(バプテスマのヨハネのことば、また、神の御子イエス・キリストのことばを)聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが、決してわからない。(イエスのわざやしるしや奇跡を見ても、それが神のものであることを悟ることができない。)

 この民(ユダヤ人)の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。(律法〈聖書の文字〉が神となっており、律法と律法の違反をも覆う霊なる神、赦しと愛と憐れみの生ける神を知ることができない。)それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたし(神)にいやされることのないためである。」

 

 パウロは続けて言いました。

 「ですから、、承知しておいてください。神のこの救い(キリスト〈神の子羊イエス〉の血による罪の贖いと罪の赦し、そして、永遠のいのちを得させる神の新しい創造の福音)は、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」(使徒28:28)

 

 「バプテスマのヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めた。」と、イエスは言われました。

 荒野で叫ぶバプテスマのヨハネのところに行き、彼らは悔い改め、水のバプテスマを受けました。ヨハネのバプテスマを受けることで、彼らは、ヨハネが神に遣わされた者であることを認めたのです。神に遣わされたヨハネを認めることで、彼らは、ヨハネを遣わされた神を信じたのです。彼ら(取税人たち)は、神を正しいとしたのです。

 

 一方、パリサイ人、律法の専門家たちは、ヨハネからバプテスマを受けないで、罪を赦される神の憐れみも、また、神がイスラエルに持っておられる御計画をも、拒んだのです。

 神がイスラエルに遣わされた神の御子イエスを信じて主キリストに聞き従うイスラエルが、神の御子キリストによる御救いの福音を世界中の国々に宣べ伝えることによって、諸国の間でイスラエルを高くあげ、イスラエルに誉れを与えるという神の御心を拒んだのです。

 

 律法を守れずに律法の違反を恐れ、神に罪の赦しを求める罪人(取税人や遊女)や、律法の下にいるユダヤ人たちから蔑まれている弱い者、女・子どもや病人や悪霊につかれた者たちは、すがる思いでイエスから憐れみや赦しを受け、いやしを受け、解放を受けました。彼らは、イエスの愛を体験しました。彼らは、イエスを愛しました。

 

 イエスは言われます。

 「この女(パリサイ人が罪深い女と言って蔑んでいる女)の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい(イエスを)愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(ルカ7:47)

 そして、女に、『あなたの罪は赦されています。』と言われました。

 

 人は、罪の重さで罪深い者かどうかを判断します。しかし、神は、赦された罪が多い者ほど、赦された喜びは大きく、赦してくださった救い主イエス・キリストを多く愛する者となることを御存じなのです。

 

 律法的な見方しかできなくなっているユダヤ人たちは、神の憐れみも赦しも悟ることができません。彼らにはわからないのです。

 

 イエスは言われます。

 「バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、葡萄酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている。』とあなたがた(ユダヤ人たち)は言うし、人の子(神の御子イエス・キリスト)が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言うのです。

 だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」(ルカ7:33-35)

 

 見識があると自負するユダヤ人たちは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、葡萄酒も酒も飲まず、いなごと野蜜を食べて仙人のような暮らしをするバプテスマのヨハネを「悪霊につかれている。」と言い、また、取税人とともに食卓を囲んで飲み食いする神の御子イエス・キリストを「取税人や罪人の仲間だ。」と言うのです。

 

 しかし、私は神の選びの民だと信じている人(ユダヤ人)がどのように見たとしても、神が遣わされた者(神の義を現わすバプテスマのヨハネと神の御子イエス・キリスト)の知恵の正しいことは、彼らに聞き従う弟子たちが証明します。

 すなわち、バプテスマのヨハネの弟子たちが残した文書(死海文書)や、イエス・キリストの弟子たちが残した書物(新約聖書)は、彼ら(バプテスマのヨハネと神の御子イエス・キリスト)が神から出た者であることを証明しています。

 

 彼らは、神を正しいとし、神の正しいことを認めたのです。

 約二千年後の現代においても、イエスをあかししたバプテスマのヨハネの名や神の御子イエス・キリストの御名に仕えた弟子たちの名が語られています。

 そして、現在でも、世界中にいる神の御子イエス・キリストの弟子たち(キリスト者)は、イエス・キリストの愛と神の赦しと聖霊の喜びをあかしし、また、神が生きておられることをあかしし、聖書のみことばはことごとく成就することを信じてキリストの再臨(天に上られたイエス・キリストが永遠に生きるメシアとして再び地上に来られること)を待ち望んでいるのです。