ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

どう見るか 神はご覧になる

 

 天と地と万物を造られた全能の神、主は、永遠の昔からともにおられる神のひとり子を、地上に遣わされました。神のひとり子は、神がひとり子のために神のひとり子とともに造られた「人」のところに来られました。

 

 昔から神は、神のいのちから外れ霊の死んだアダムの子孫の所に、御自身のひとり子を遣わすことを決めておられました。

 

 アダムの妻エバを騙し罪を犯させてアダムを死に追いやった蛇のかしら(神に敵対する悪魔)を踏み砕き、罪人の罪を負い、死と滅びに定められた罪人の罪を赦して、全き人を創造するために、神は、神のひとり子を女から生まれる「人の子」とすることを決めておられたのです。

 

 神は、エデンの園で、エバを騙した蛇に仰せられました。

 「わたし(神)は、おまえ(神に背き人を欺く蛇)と女(神に造られた人の子を生む者)との間に、また、おまえの子孫(神に逆らい人を騙す者)と女の子孫(女から生まれて人の子となる神のひとり子)との間に、敵意を置く。

 彼(女から生まれる人の子となられる神のひとり子キリスト)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(神の御子キリストを憎む悪魔)は、彼(キリストのからだ)のかかと(ヤコブすなわちイスラエル)に噛みつく。」(創世記3:15)

 

 人(アダムとエバ)がエデンの園から追放される以前から、神は、神の御子イエス・キリストを、罪人の世に遣わすことを決めておられたのです。

 神は、神のひとり子を地上で迎える民を造られました。神の御子を胎に宿す女は、神を恐れる者でなければなりません。きよい者でなければなりません。キリスト(神に、預言者の油、祭司の油、王の油の三つの油を注がれた神のひとり子である救世主)を胎に宿す処女を見出すために、神は、一つの民族を造られました。

 

 神は、神を恐れる正しい人アブラハムを見出されました。アブラハムは信仰の人でした。神は、アブラハムの信仰を義とされ、彼と契約を結ばれました。彼と彼の子孫を、ほかの神々にかしずかせず、まことの神(全知全能の創造主)に仕えるものとするためでした。

 

 神は、アブラハムに、イサクを与えられました。聖霊が百歳のアブラハムに臨んで九十歳の妻サラから生まれたひとり子です。

 神は、イサクの不妊の妻リベカに双子の男の子(エサウとヤコブ)を宿らせました。弟のヤコブは兄エサウのかかとをつかんで生まれました。それゆえ、ヤコブ(かかとの意)と名づけられました。

 

 ヤコブは神と戦い人と戦って勝ち、アブラハムの契約を得、相続しました。それゆえ、神はヤコブを、神と戦って勝った者という意味の「イスラエル」と呼ばれました。

 

 神は、ヤコブの十二人の息子を族長とするユダヤ民族を、エジプトの地で養い、四百年間の奴隷生活によって、神の奴隷の民族となるための基礎を造られました。主人に仕えるへりくだったしもべの心の神の民を、御自分のために用意されたのです。また、世の奴隷という苦しみ嘆く体験を経て、神を求める民とされたのです。

 神は、モーセを立て、ヤコブの子孫を奴隷の家エジプトから連れ上り、荒野で、神と契約を結ぶ民族とされました。ヤコブの子孫は、「イスラエル」と呼ばれる神の民となり、イスラエル(ユダヤ民族)を神の民として選ばれたアブラハム、イサク、ヤコブの神は、「イスラエルの神」となられました。

 

 神が蛇に仰せられたとおり、キリストは十字架の死で悪魔を踏み砕き(悪魔と悪霊どもを罪に定めて、彼らの永遠の死と永遠の火の裁きを確定し)、また、蛇はキリストのかかと(ヤコブすなわち、ユダヤ民族〈イスラエル〉)に噛みついたので、イスラエルは致命傷を受けて(信仰が噛み砕かれ)キリストから引き離されて御救いを受けることができず、ユダヤ人の一部は悪魔に飲み込まれて悪魔礼拝者となっています。

 

 「上(天)から来る方(神のひとり子)は、すべてのものの上におられ、地から出る者(人間)は地に属し、地の言葉を話す。天から来る方(主キリスト)は、すべてのものの上におられる。(神の御子キリストはすべてのものの上に立つ主権者です。)

 この方(神の子羊イエス・キリスト)は(天で)見たこと、また聞いたことをあかしされるが、(神の契約の民ユダヤ人は)だれもそのあかしを受け入れない。

 そのあかしを受け入れた者は、神は真実である(神は先祖たちに約束されたことに忠実で、すべてを成し遂げられる)ということに確認の印を押したのである。

 神がお遣わしになった方(神の子羊イエス)は、神のことばを話される。神が御霊を限りなく賜うからである。

 父(神の子羊イエス・キリストを遣わされたイスラエルの神)は御子(イエス・キリスト)を愛しておられ、万物を御子(主キリスト)の手にお渡しになった。

 御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、(永遠の)いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。(死後の裁きを免れることはできない。)」(ヨハネ3:31-36)

 

 最後の裁きをされる裁き主なるイスラエルの神は、ユダヤ人が神のひとり子イエス・キリストを信じるか、信じないかを、ご覧になられます。

 神がイスラエルに約束の救い主(神の子羊イエス・キリスト)を遣わされました。イスラエルの罪を贖い、永遠のいのちを得させられるメシアです。

 神に選ばれた契約の民、ユダヤ人は、十字架で贖いの血を流された神の子羊(神の御子)をどう見るのでしょうか。

 

 神は、神の御子イエス・キリストを信じる人々を神の子どもに造り変え、御霊による新しい創造を施して、神の国に入る神の民、キリストのからだとされます。キリストをかしらとする第二のアダム(新しいひとりの人)の創造です。

 

 神の国に入る神の子どもたちはみな、キリストのからだの一部であり、おのおのがその器官です。キリストのからだのかかと(ユダヤ民族)は蛇に噛まれ、立ち上がることができません。かかとが癒されて信仰に堅く立つとき、キリストのからだは、神の国の機能を果たします。

 御霊の教会の完成と、神の国の実現は、キリストのかかとが癒されることにかかっています。異邦人の救いの完成の後に、ユダヤ人もすべて救われ、一つのからだ、新しいひとりの人となります。

 神から主権を与えられた神の子羊イエス・キリストが頭で、すべての器官、すべてのからだの部分は頭の指令に従い、かかとが全体を支えます。

 

 罪人の救いのため、神の国のために悪魔に噛みつかれたイスラエルを祝福することは、キリストのからだ全体のための祝福となります。イスラエルの背信(神の御子イエス・キリストを信じない)は、異邦人の救いとなりました。ユダヤ人の背きによって、御救いが異邦人に及んだからです。

 

 ユダヤ人の完成(ユダヤ人が神の御子イエス・キリストを信じて、神と和解し、神の子どもとされること)は、神の国が建国されることです。

 イエス・キリストがイスラエルの王となって地上に来られ、神の子どもたちの国(とこしえのイスラエル王国)を治められるのです。

 

 神は、異邦人の心を御覧になられます。

 神の契約の民、ひとりの新しい創造の人、キリストのからだのかかとであるユダヤ人をどう見るのか。噛みついた悪魔のように、ユダヤ民族を憎み呪うのか。決して見捨てられないイスラエルの神のように、ユダヤ民族を祝福するのか。

 終わりの時代の今、神は、ひそかに、神の国に入れる者と、神の国に入らせない者とをより分けておられるのでしょう。今は、選り分けの時なのかも知れません。

 

 黙示録の第二の封印の火のような赤い馬の働きの後で、第三の封印が開かれて黒い馬がやってきます。より分けられた者の中から、イエス・キリストの忠実な弟子たちをはかりではかられるのでしょう。神が愛されるユダヤ人の味方である異邦人のうちから、キリストを信じる忠実なしもべにしるしをつけ、彼らに殉教者の油を注がれるのでしょう。