ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

サタンに噛みつかれた人の子イエスのかかと

 

 創造主は、エバを惑わして罪を犯させた蛇に仰せられました。

 「わたし(創造主)は、おまえ(蛇)と女(人)の間に、また、おまえの子孫(獣の子)と女の子孫(人の子)との間に、敵意を置く。

 彼(人の子)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(サタン)は、彼(神の子羊人の子イエス)のかかと(ヤコブ、すなわちイスラエル)に噛みつく。」(創世記3:15)

 

 創世の初めに、すでに神は、獣の子(反キリスト)と、人の子(キリスト)との敵対を御覧になっておられました。獣の子と人の子とは混じり合うことがありません。和合することはないのです。

 

 イエスは言われました。

 「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんな繋がりがあるでしょう。光と闇とに、どんな交わりがあるでしょう。

 キリストとベリアル(サタン)とに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何の関わりがあるでしょう。

 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮(御霊の住まい)なのです。神はこう言われました。

 『わたしは彼ら(神の宮)の間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民(主の民)となる。

 それゆえ、彼ら(いのちのない者)の中から出て行き、彼ら(不信者)と分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。』」(コリント第二6:14-18)

 

 ベリアルは、生きる価値のないよこしまな者です。天から追放され闇に落とされた不法の者です。地に下る闇の子です。

 キリストは、全き光の天に住まう神のひとり子です。神の正義であり、天に上られる光の子です。

 

 光と暗闇とに、どんな交わりがあるでしょう。闇と交わるところに、いのちはありません。

 キリストとサタンに、調和はありません。敵対するものです。同様に、信者と不信者とに、関わりはないのです。敵意があるだけです。

 正義と不法とが繋がることはありません。繋がった時には、すべてが不法となるからです。不法(背き)と繋がる正義はありません。不法(神への反逆)と正義(神への忠実)とは相反するものだからです。

 

 サタンは、地に属する偶像であり、不信者(キリストを信じず、キリストの父〈天の神〉を神としない者)の神です。死を帯びています。

 キリストは、天に属する者であり、永遠のいのちを得させる神のひとり子です。キリストを信じる者(信者)は永遠のいのち(キリストの御霊)を得て、神の子どもとされます。

 

 聖霊と悪霊には一致がありません。神と悪魔、光と闇、神の御子イエス・キリストと神の御子を憎むサタン(反キリスト)、永遠のいのちと永遠の死、神の宮と偶像(サタンの宮)とに、一致はありません。

 

 神の御子イエス・キリストを信じる信者の間に神の御霊は住み、ともに歩まれます。全能の神(創造主)は、彼ら(キリスト信者)の神となり、彼ら(キリスト信者)は、イスラエルの神の民となります。イスラエルは、神の民だからです。

 

 世には、死と滅びに定められた人々が生まれ、死んでいます。不信者の世界です。

 信者たちが、世で生活するのに、気を付けなければならないことがあります。世を支配するのは、キリストの敵であるサタンだからです。地に属する世と、天のものとは一致することはなく、調和はありません。世の人々からすれば、キリスト信者は、外れ者です。

 

 しかし、イエスは言われます。キリストと世とは一致しないものなのです。水と油のように、決して混じることのないものなのです。彼ら(世の者)と繋がるようにとは言われません。

 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけないと、言われます。天に向かう者と地の下に向かう者は、行き場所が真逆なのです。東に向かう者が西に向かう者といっしょに行くでしょうか。

 

 生まれながら、だれもが地の下に向かって流れています。しかし、天に向かう者は、自然の流れに逆らい、逆流の抵抗を受けながら信仰によって進んでいきます。世は、天に向かう者を引きずり戻す誘惑に満ちています。

 

 信者は、イエスのことばと神の子羊の血によって罪が赦された聖い者です。御霊によって、天の法(生ける神のいのち)で生きる者です。不信者は、生まれながら神に敵対している者なのです。罪を悔い改めない限り、永遠の死に向かって闇の中を下っているのです。

 

 永遠のいのちを得させる主は言われます。

 「それゆえ、彼ら(不信者)の中(交わり)から出て行き、彼らと分離せよ。汚れたものに触れないようにせよ。(自分の身と思いをきよめよ。)

 そうすれば、わたし(創造主)はあなたがた(身をきよめた信者)を受け入れ、わたし(裁き主)はあなたがた(信者)の父(身元引受人)となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる(神の子どもとなる)、と全能の主が言われる。」

 

 「朱に交われば赤くなる。」と世の人々も言います。人は交わる友人や隣人、周りの環境によって、善にも、悪にも感化されるものです。

 

 「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかも闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理(いのちの道を歩む)を行なっていません。」(ヨハネ第一1:6)

 

 信仰の兄弟姉妹と交わることは、守りとなります。また、神との交わりを心掛けましょう。そこには、いのちがあるからです。いのちの主の交わりの中で、神の子どもは生まれ、育っていきます。いのちのことばを持つ信者同士の交わりの中に神もおられるのです。

 

 神は、キリストとサタンとの間に、敵意を置かれました。神は、人の子イエス・キリストと反キリストとの間に敵意を置き、神の子羊イエスは、十字架で流された罪の贖いの子羊の血によって、悪魔の策略を踏み砕かれました。悪魔を滅ぼし、神の民を罪の縄目から解放するためです。

 

 女の子孫である人の子イエスのかかと(ヤコブの子孫、イスラエル)に悪魔が噛みついたので、ユダヤ人たちは、人の子イエスに歯向かいました。イエスを憎み、呪い、殺しました。光(メシア)を見ながら、闇を愛したので、イエスがキリストであることがわからなかったのです。

 イスラエルは、闇の支配者サタンに噛まれて、悪しき思いに洗脳され罪の奴隷にされた状態です。まことの光(神)ではなく、偽りの光(この世の栄誉)を慕い、神から遠く離れました。

 

 ユダヤ人の指導者たちは、サタンに牛耳られました。サタンは、彼らの心を捉え、ユダヤ人たちを背信の子らとすることに成功しました。

 光(永遠のいのちのキリスト)が世に来ているのに、人々(ユダヤ人)は光(神の与えるもの)よりも闇(サタンの与えるもの)を愛しました。

 

 「悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行なう(正しいことを行なう)者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(ヨハネ3:20,21)

 

 悪魔に噛みつかれたイスラエルは、悪いものとなり、神の役に立たないものとなってしまいました。

 

 イエスは、ユダヤ人を憐れみ、イスラエルの罪の贖いを、御自分の血で成し遂げられました。

 悪魔に噛まれたユダヤ人は、神の御子を悟ることができないようにされているのです。

 神の御子イエスは、父なる神に祈られました。

 「父よ。彼ら(御子イエスに敵対するユダヤ人たち)をお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

 

 イエスは、ユダヤ人たちを責めておられません。蛇にかまれたユダヤ人たちを憐れんでおられるのです。ユダヤ人の王(イエス)は、民を羊飼いのいない羊のようにご覧になって、思いやっておられるのです。

 しかし、祭司長やパリサイ人たちには、怒りを燃やされました。

 「目の見えぬ手引きども。(民を導かなければならない指導者たちが私利私欲に走って役目を果たさず、おまえたちの背きによって、民はさまよっているではないか。)

 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちはゲヘナの刑罰(永遠の死)をどうしてのがれることができよう。」(マタイ23:24,33)

 

 神は、ユダヤ人の迷いの原因を知っておられます。蛇に噛まれたのです。ユダヤ人の背信の罪を御覧になって心を痛めらながら、決して捨てられません。

 

 キリストに敵対するサタンは、ユダヤ民族を悪いものにして、神に見捨てさせることで、神の御計画を成就させず、また、神のことばが実現しないことで、神は不真実な方であることを強調したいのです。契約の民の裏切りで、神が契約を破棄されるならば、契約を実行できないから神は民を捨てた、イスラエルの神は力のない神であると嘲笑うことができます。

 

 神はご自分の聖のために、ユダヤ人を見捨てることはされません。御自身の聖なる名が侮られないためです。

 

 イスラエルに噛みついたサタンを、イエスは踏み砕かれました。いつまでも、ユダヤ人は、傷をかかえていなくてよいのです。神はユダヤ人たちを癒されます。

 キリスト信者がユダヤ人の癒しと信仰の回復のために執り成すことは、キリストのからだ(かかとの傷)の癒しを祈ることです。

 

 神は、御霊の愛によって、ユダヤ人と異邦人(信者)をひとつの家族とされます。ユダヤ民族も、キリスト信者も、キリストにあって天の御国の共同相続人です。神の家族として、思いやりを持つことは、相続人としてふさわしいことです。

 

 イエスがユダヤ人を憐れまれたように憐れむのか。サタン(反キリスト)のように、ユダヤ人を呪いキリストの御救いから引き離すのか。

 イエスがユダヤ人を愛されたように、ユダヤ人を祝福し、愛のうちに留まるのか。サタンが世にユダヤ人たちを迫害させたように、世の思いをもってそしり、ユダヤ人を攻撃するのか。

 

 御霊によって教えられているならば、キリストのからだ(キリストのかかと)を傷つけることを好まないことでしょう。

 キリストは、神の民ゆえに戦っているイスラエルを憐れんでおられ、全地を見渡し、御自分とともに、かかとの癒しと守りと祝福を祈る者を捜しておられることでしょう。