ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アブラハムが見たとこしえの神の都

 

 「信仰によって、彼(アブラハム)は約束された地(カナンの地)に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

 彼(アブラハム)は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」(へブル11:9,10)

 

 アブラハムは、「あなたの所有地として、この地(カナンの地)を与える。」と仰せられた全能の神(創造主)のことばを堅く信じ、子のイサクや孫のヤコブとともに、カナンの地で、寄留者として天幕生活をしました。

 

 彼ら(アブラハム、イサク、ヤコブ)は、自分の故郷を求めていました。

 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。

 

 「しかし、事実、彼ら(アブラハム、イサク、ヤコブ)は、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷に憧れていたのです。それゆえ、神(全能の神)は彼らの神(アブラハム、イサク、ヤコブの神)と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」(へブル11:14-16)

 

 それは、シオンの山(神の住まわれるエルサレム)、生ける神の都(シオン)、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会です。

 

 彼らの国籍は天にあるのです。

 

 パウロは言います。

 「兄弟たちよ。わたし(パウロ)はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(コリント第一15:50)

 

 「神は、御心に従って、からだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。

 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。

 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。」(コリント第一15:36-41)

 

 人間の蒔く物も、死ななければ、生かされません。人間が蒔く物は、後にできるからだ(天上のからだ)ではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。

 

 「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに甦らされ、卑しいもの(土の塵の人)で蒔かれ、栄光あるもの(神の子ども)に甦らされ、(朽ちて行く)血肉のからだで蒔かれ、(永遠のいのちの)御霊に属するからだに甦らされるのです。」(コリント第一15:42-44)

 

 アブラハムは、この天の故郷に憧れていたのです。天の故郷は、生まれつきの肉のからだ(肉体)で入るところではありません。

 

 「私たちは土で造られた者のかたち(肉のからだ)を持っていたように、天上のかたち(霊のからだ)をも持つのです。」(コリント第一15:50,49)

 

 神の御子イエス・キリストが現われるよりも二千年前のアブラハムが、アブラハムの子孫ユダヤ民族から生まれる神のひとり子の栄光を見、とこしえの御国の栄光を見ていたのです。

 アブラハムは、神がアブラハムに与えると約束されたカナンの地に天幕生活をしながら、神が設計し建設されたとこしえに堅く立つ都を見ていたのです。

 

 その都は、揺れ動く大地の上に建つ人間の建てた都ではありません。神が設計し建設された都です。よって、現在のエルサレムではないことがわかります。また、現在のイスラエルではないことがわかります。

 

 現在、私たちが見ているエルサレムは、イスラエルのものとなっていません。現在、私たちが見ているイスラエルは、カナンの地の全土ではありません。これらは、人間が設計し人間の手によって建てられたものです。

 

 神がアブラハムに約束されたのは、生ける神の都であり、天にあるエルサレムです。無数の御使いたちの集うとこしえの大祝会です。シオンの山は大王(王の王、主の主イエス・キリスト、すなわちイスラエルの王)の都なのです。

 

 ユーフラテス川からナイル川までのカナンの全土が、イスラエルの王の国となります。

 

 エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、地上の滅亡が近づいたのです。

 第三次世界大戦が起こると、世界は新世界秩序の一変した姿となります。いよいよ、反キリストが出現するのです。

 二人の証人が三年半の間、預言し、しるしと奇跡によって神の御力を現わします。エルサレムに第三神殿を建設します。三年半の時が満ちると、反キリストがふたりを殺します。エルサレムに大洪水が起こります。

 悪魔は、反キリストに、悪魔の権威を与えます。

 反キリストは、自分の協力者であり援助者であったローマ教皇とバチカン、カトリック諸国を焼き払います。おそらくダン部族から、悪魔から権威を受ける偽預言者が現われ、反キリストを神として拝ませます。反キリストはユダヤ人たちが建てた第三神殿に立ち、全能の神(天の神)に汚し事を言います。

 悪魔の権威を受けた反キリストと偽預言者に支配された世界に、神の激しいさばきが下ります。

 反キリストに許された三年半の期間が満ちると、神にかくまわれ生き残ったユダヤ人の叫び「主よ。来てください。」に答えて、天から、イエス・キリストと天の軍勢がやって来て、反キリストの国(カナンの全土)を滅ぼされます。

 

 カトリック国も、イスラム国も滅ぼされた世界から、死体は一掃されます。

 すると、天から聖なる都、新しいエルサレムが下って来ます。

 神は、人間のつくった第三神殿に住まわれるのではありません。生ける神は、朽ちない都に住まわれます。永遠のいのちの主が住まわれる都は、神御自身が設計し建てられるのです。

 

 悪霊どもや反キリスト、偽預言者、悪者どもが滅ぼされ、悪魔が縛られた後に、地上の神の国(千年王国)は始まります。神御自身が設計し建設された新しいエルサレムが天から下って来るのです。

 

 現在、私たちが見ているイスラエルは、約束の実現のひな型です。私たちは、千八百年以上の間、諸国に離散していたユダヤ人たちが帰還しているイスラエルを見ています。私たちはこの現実を見て、信仰と希望が与えられます。土で造られたものが、栄光あるものに甦らされるときが近づいているのです。

 

 1948年、ユダヤ人の国、イスラエルの国が建国される前に、六百万人以上のユダヤ人がナチスに殺害されました。

 とこしえのイスラエル王国が地上に建てられる前に、多くのユダヤ人と残りのキリスト信者たちが、反キリストと偽預言者によって殺されるのでしょう。

 

 また、現在のイスラエルの戦いを見て、神の聖徒たちは備えなければなりません。神の聖徒たちは、神の国のために、戦って信仰を勝ち取るようになるからです。反キリストの霊や偽預言者の霊によって攻撃されるでしょうから、信仰の勝利者となるために、祈り備えなければなりません。

 

 「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリスト(イスラエルの王)が救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピりピ3:21)