ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ファティマの予言

 

 1916年、ポルトガルのファティマという村で、羊の放牧をしていた10歳の女の子ルシアと、いとこのフランシスコと、ジャシンタの三人が、現われた女性(聖母マリア)に、三つのこれから起こることを示されたようです。

 

 第一の予言で、死後の地獄世界の存在が告げられるとともに、三人の子どもたちに火の海のような光景と、絶望する人間が苦しみながら火に飲み込まれる様子を見せて、これが地獄であると教えられたようです。

 

 罪深い生活を送ることで、死後に地獄へ送られることや、また、地獄は空想の話ではなく、実際に存在していて、すべての人間が死後に行く可能性のある場所で、一度入ってしまうと二度と出ることができないと、説明されました。

 

 第二の予言で、戦いの終わりと戦いの始まりについて語られました。当時、第一次世界大戦の最中であり、第一次世界大戦の終戦と、第二次世界大戦の始まりについて予言されたようです。良い人は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう。と警告しています。

 

 第三の予言も語られたのですが、第三の予言については、1960年まで公表してはいけないと言われたようです。しかし、1960年になっても、ローマ教皇庁は第三の予言を公表しませんでした。

 

 それは、ルシアから伝えられた「第三の予言」の記録を見たローマ教皇ヨハネス23世が、預言を再び封印したからだと言われているようです。次のパウロ6世も、この記録を見て、意識を失ったくらい衝撃的な内容だったそうです。

 

 1981年5月2日、カトリックの修道士によるハイジャック事件がアイルランド航空便で起こったそうです。要求は、「ファティマ第三の予言を公表せよ。」だったそうです。

 

 2000年に、ローマ教皇庁が、「ファティマ第三の予言」を公表しました。1981年5月13日に起きた教皇暗殺未遂事件のことであったと発表したのですが、修道女となっていたルシアは「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている。」と司法省に訴えたそうです。

 それでも、教皇庁は発表を変えることはありませんでした。内容が違うと訴え続けていたルシアは、2005年2月13日に、97歳で昇天しました。

 

 1973年、日本の秋田県秋田市添川湯沢台にあるカトリック修道会のシスター笹川氏の手のひらに、出血を伴う十字の「聖痕」が現われると、目の前に、ファティマのルシアたち三人の子どもが見たような、美しく光る聖母マリアのような女性が現われました。

 

 それは、シスター笹川氏が毎日行っている巡礼中のことでした。突然光に包まれ、そして手のひらに激しい痛みが走ったかと思うと、手のひらに十字の聖痕が現われ、聖母マリアのような女性から、「修練女よ。」と呼びかけられました。

 

 そして、厳しい声で、「愛する私の娘よ。これから私が話そうとすることをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい。

 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は人類の上に、大いなる罰を下そうとされております。その時、御父は、大洪水よりも重い、今までにない罰を、下さるに違いありません。

 火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。良い人も、悪い人とともに、司祭も信者とともに死ぬでしょう。

 生き残った人々には、死んだ人をうらやむほどの苦難があるでしょう。その時、私たち(カトリック信者)に残された武器は、ロザリオと恩顧の残されたしるしだけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。」

 

 シスター笹川氏に与えられたことば。

 「もし人類が、悔い改めないならば、神は全人類に大いなる罰を下す。それは天から降る火となり、その災いによって、善人も悪人も関係なく多くの人々が死に絶えるであろう。」

 

 なんと、ローマ教皇庁が封印したファティマ第三の予言を、1973年の日本で、ファティマのルシアが見たと同じ女性が現われて、秋田のシスター笹川氏に、告げられたようです。

 

 第一の予言で、地獄の実在することが明らかにされました。その光景も現わされました。

 第二の予言で、第一次世界大戦の終結と、第二次世界大戦でローマ教皇が、ナチスのユダヤ人虐殺を非難することができずに苦しむことが預言されました。ユダヤ人を憐れみナチスに抵抗した良い人は殉教しました。殉教なので、彼らの魂は救われ天に上げられました。

 

 第三の予言は、火の裁きについてだったのではないでしょうか。

 

 神は、その人の信仰によって現われてくださいます。聖母マリアを信頼するカトリックの人々には、マリアのような女性の姿で現われてくださったのでしょう。

 神道では、神道の神のしるしで現われるでしょう。仏教では阿弥陀の姿で現われるでしょう。聖書の中の人々には御使いたちが現われて、神のことばが告げられています。また、使徒たちには聖霊が語っておられます。

 

 かつて、主が火で滅ぼされた町がありました。

 「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。」(創世記18:20)と主は仰せられました。

 

 アダムとエバの子に、カインとアベルがいました。兄のカインが弟アベルが正しいのを憎み、弟が神に受け入れられ自分が神に退けられたことで弟を妬み殺しました。

 神は、カインに仰せられました。

 「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。

 今や、あなたはその土地に呪われている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」(創世記4:10,11)

 

 殺された者の血は、神に向かって叫んでいるのです。

 

 「見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。」(ヤコブ5:4)

 

 搾取され、不法な扱いを受けている人々の叫びは、天の神の耳に届いています。

 

 ソドムとゴモラの町は、そのような虐げられた人々の叫びで満ちていました。土地も叫んでいたのでしょう。土地は呪われたものとなりました。悪者や権力者がのさぼり、はびこっています。正義は潰されます。人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾き、町全体が道を乱して神の前に堕落し、不品行と暴虐に満ちていました。町全体が罪を犯していたのです。

 

 「主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々の低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。」(創世記19:24,25)

 「彼(アブラハム)がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。」(創世記19:28)

 

 イエスは言われました。

 「もしだれも、あなたがた(イエスの弟子たち)を受け入れず、あなたがたのことば(キリストの福音)に耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足の塵を払い落としなさい。

 まことに、あなたがたに告げます。裁きの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。」(マタイ10:14,15)

 

 神が世に遣わされた救世主(神の御子イエス・キリスト)が現われた以上、言い逃れはできません。ソドムとゴモラの時代には、まだ贖いはなかったのです。しかし、神の子羊の血が流され、世が贖われたキリストの十字架以降の時代には、もっと厳しい裁きが下るようです。

 

 神がキリストにお与えになった黙示、すなわちキリストのしもべたちに、起こるはずのことを示すためにイエス・キリストの黙示を告げられた約二千年前のヨハネは、終わりの時代の教会を見て、非常に驚きました。バチカンを見たのです。

 「私(ヨハネ)はこの女(ローマ教皇に権威を与えるバチカンの教会)が、聖徒(ユダヤ人)たちの血とイエスの証人(使徒)たちの血に酔っているのを見た。私(ヨハネ)はこの女(着飾った教会)を見たとき、非常に驚いた。」(黙示録17:6)

 

 そこは、多くの偶像と財宝に満ち、長い歴史の間には、多くの聖徒たちの血とイエスの証人たちの血を流して来ました。反ユダヤ主義、反イスラエル主義思想の初めであり、キリスト殺しの汚名を着せてユダヤ人たちを苦しめる者の父の家です。また、火で滅ぼされたソドムと同じ罪を犯しています。

 

 神は、再三にわたって、悔い改めを命じておられたのに、彼らは、罪から離れませんでした。

 それで、ユダヤ人の時になると、神は、反キリストと彼が支配する十の国の王たちの心に、神の御心を行なう思いを起こさせられます。

 神は、彼ら(反キリスト)を使って、世界のもろもろの民族、群衆、国民、国語を支配するローマ教皇とバチカンを、火で焼き尽くします。カトリック諸国を含むならば、ヨーロッパは火の海となるのでしょうか。

 反キリストは、実は、ローマ教皇を憎んでいたのです。また、神の御心は、悔い改めないですべての者が悪い者となったカトリックを火で裁くことです。

 

 カトリックの子どもたちに示されたファティマの三つの予言は、カトリック教会への警告だったのかも知れません。

 

 千年王国の世界に、すべてのユダヤ人、キリスト信者たち(多くの受洗者たち)が墓から甦って入ります。聖書のみことばの成就を目撃するためです。

 「地の塵の中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」(ダニエル12:2)

 

 しかし、甦る者のすべてが救いを受けるのではありません。いのちの書に名が記されている者たちが永遠のいのちを得るのです。

 永遠のいのちを得る者は、イスラエルの王イエス・キリストに仕えます。いのちの書に名のない者たちは、イスラエルの王から遠く離れた地の四方にある諸国に住むのでしょう。

 

 「千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海辺の砂のようである。

 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。」(黙示録20:7-9)

 

 神とひとつになっていない者は、千年王国の新しい世界に入ったとしても、千年の後には、天から降って来た火で焼き尽くされてしまうのです。

 そして、ファティマの第一の予言にて明らかにされた、明確に実在する地獄の火に飲み込まれるのです。一度入ってしまうと二度と出ることができない永遠の苦しみです。

 神は、この火の池に入らないようにと、警告し、悔い改めを促しておられます。

 

 神は、悔い改めて、いのち(永遠のいのち)を得ることを望んでおられます。

 カトリックだけではありません。プロテスタントも、神道も、仏教も、ユダヤ教も、そのほかの宗教も、神の子羊の贖いの血を受け、悔い改めてまことの神と和解し、永遠のいのちを得ることを望んでおられるのです。