ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

メシアは近づいている

 

 数年前、ユダヤ人たちが生贄の赤い牛を探していると聞きました。

 第三神殿のための神への生贄です。ユダヤ民族の歴史の中で常に、神に献げていた生贄です。

 ユダヤ人は、古い契約の中にいるので、彼らの神に献げる生贄が必要なのです。二千年前に途切れていたユダヤ民族の儀式を回復しようというのです。

 

 二千年前イエス・キリストが十字架につけられたのは、ユダヤの祭り、出エジプトを記念する過越しの祭りの子羊をほふる日でした。

 神がイスラエルに遣わされた、世の罪を取り除く神の子羊イエスは、過越しの血を流す子羊として屠られたのです。

 

 ユダヤ人たちは十字架につけたナザレのイエスを神の子羊として屠ったわけではありません。自分を神の子だと自称するナザレのイエスを、神を冒瀆する者、すなわち死刑に値する罪人だと訴えて、聖なる神の民イスラエルから取り除くために、ユダヤ人たちはイエスを十字架につけたのです。

 

 ユダヤ人たちは、神の祭司の国民の務め(神が用意された神の子羊イエスを罪の贖いのためにほふる祭司として、人類の御救いのための務め)を果たしているという自覚のないまま、ナザレのイエスを十字架につけました。

 

 ユダヤ人たちが正しい知識のないまま行なった事ですが、過越しの祭りの生贄として、イスラエルの神は、子羊イエスの血をお受けになられました。

 ナザレのイエスは、一度も罪を犯しませんでした。ナザレのイエスは、神の律法を完全に守られた全きユダヤ人です。神は、罪なき子羊イエスの贖いの血を満足されました。「聖い。」と仰せられ、神の子羊イエスの血によって、生贄の犠牲を完成されました。

 モーセの律法は、ナザレのイエスの血によって完成したのです。完成された律法は、ユダヤ民族の罪を贖い、神の子羊イエスひとりの犠牲で、モーセを通してイスラエルと結ばれた民族の契約は完結したのです。

 

 ナザレのイエスの血は、罪を贖い、罪をきよめ、罪を赦すだけではありません。いのちを与える血です。

 

 「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神にお献げになった血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

 こういうわけで、キリスト(神の子羊イエス・キリスト)は(御霊による)新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約(モーセの律法)のときの違反を贖うための死(神の御心を喜ばせる罪なき完全な生贄による贖い)が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束(永遠のいのちと天の御国を相続する契約)を受けることができるためなのです。」(へブル9:14,15)

 

 神は、もはや、犠牲の血を要求されません。なぜなら、神の子羊イエス・キリストの犠牲でモーセの律法は完成し、イスラエルとの契約は完了しているからです。

 神は、イスラエルに、神の御子イエス・キリストによる新しい契約をお与えになりました。地上の祭司イスラエルが神に受け入れられて完成したので、神は、イスラエルに、永遠のいのちと天の御国の相続を受ける永遠の契約、御霊による新しい創造(永遠に生きる神の子どもに造り変える)を約束されたのです。

 

 しかし、ナザレのイエスが神の遣わされたキリストであることを信じないユダヤ人たちの思いは暗く、新しい契約に辿り着くことができません。

 

 赤い牛の犠牲の儀式は、聖なる神の神殿を建てるために必要で、赤い牛を燃やした灰で聖水を作ったり、聖なる道具をきよめるようです。

 エルサレムに建てられたユダヤの神殿は、二度建てられ、二度破壊されました。しかし、ユダヤ人たちは、赤い牛の犠牲式の後に第三神殿が建ち、第三神殿が建つとメシアが来られると信じているようです。

 

 第三神殿が建てられた後に、約束の救世主、メシアが来られるとの預言があるようです。それゆえ、ユダヤ人たちは、エルサレムの神殿のあった場所(現在、イスラム教のモスクが建っています。)に第三神殿を建てることが、イスラエル国家の建国以来の望みでした。

 

 神に献げる生贄の基準にあった赤い牛が今、イスラエルに用意されているようです。全身の毛が赤く、傷のないものを見つけるために長い間、苦心したようですが、その赤い牛がすでにあるというのです。

 

 赤い牛を献げるならば、ユダヤの第三神殿が建ち、第三神殿が建つならば、救世主が来られるといいます。

 

 ユダヤ教においても、終わりの用意ができているようです。

 神道においても、大峠のあとに来る弥勒の世を迎えるために、身魂を磨くようにと今準備しています。

 キリスト教においても、携挙の備えとキリストの再臨のことが語られているのではないでしょうか。

 

 イスラム教では、ユダヤ人が第三神殿を建てた後に現われる救世主は偽の救世主であって、そのあとに本当の救世主が現われると信じられているようです。

 

 いずれにしても、救世主が現われるということで一致しています。

 聖書にも書かれていますが、第三神殿は確かに、ユダヤ人たちの手で造られます。

 

 おそらく、第三次世界大戦で現われた反キリストのはからいにより、争う事なく、モスクが移され、モスクの跡地(神殿の丘)に、ユダヤの第三神殿が建てられることでしょう。

 

 反キリストは偽の救世主です。ユダヤ人の神(アブラハムの神)のための神殿を建てるようにとうまく騙して、実は、反キリスト自身が神として立つ神殿をユダヤ人に造らせるということになるでしょう。

 

 しかし、第三神殿を建てることはユダヤ人たちの究極の目的なのです。ユダヤ人たちの中には、反キリストを救世主だと思う人々もいることでしょう。

 しかし、人手によって造られた第三神殿は反キリストに奪われて、悪魔の神殿とされることでしょう。赤い牛の犠牲によって建てられた第三神殿は、過去の神殿のように、やはり破壊されるでしょう。

 

 神が、神の御子イエス・キリストによってイスラエルと結ばれた新しい契約は、永遠の契約です。朽ちるものではありません。

 天から来られる救世主は、一度死んで甦られた神の子羊イエス・キリストであり、キリストの父であられる神は、天から新しい都(聖なる都エルサレム)を降ろされます。

 

 ユダヤ人たちが待ち望む救世主は、人の手で造られた神殿には住まわれません。第三神殿に、救世主イエス・キリストが住まわれることはないのです。

 永遠に生きられるキリストが住まわれる都は、神の栄光に満ちた都であり、天から下りて来るのです。

 

 救世主が現われたら、世の終わりが来る。これは、どの宗教も信じていることのようです。

 

 赤い牛がイスラエルに用意されたということはその日が近づいているしるしと言えます。

 また、キリスト教(新約聖書)では、第三神殿を建てるときにイスラエルにふたりの証人が立つことが書かれています。

 ホピ族の伝承や、死海文書や、世界のさまざまな予言者たちの予言にもある、日本から起こる救世主(異邦人の時を完成させ、ユダヤ人の時に救いに定められた人々を救いに導くふたりの証人)も起こされることでしょう。

 

 神は、救いを求める人々に真理の御霊を注ぎ、真理を教え、正しい道に導いてくださることでしょう。