ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

目には見えない御霊の教会

 

 世界は何層もの組織体が重なって出来上がっています。

 国によって分類される組織体、民族によって分類される組織体、国籍によって分類される組織体、職業によって分類される組織体、宗教によって分類される組織体など多くの分類される組織体が世界を覆っており、ひとりの人間が複数の組織体との関わりを持ち合わせることとなります。所属する地域やサークル、共通の趣味や嗜好などの共通項によっての分類もできるでしょう。

 家族、親族、系図、同学年、同学校、また年齢や経験によっても複雑に絡み合ってひとりの人間が存在しています。

 

 宗教で一言でキリスト教と言っても、大きく分ければカトリックとプロテスタントに分かれますし、プロテスタントの中でも聖霊を信じるグループとそうでないグループに分かれ、また様々な教派があります。また、地方教会として見るならば、自分が所属している教会の一員ということになります。

 

 仏教でも、様々な宗派があります。そのようなことを考慮すると、自分の属している宗教の中の立ち位置にも様々な要素を兼ね備えていることになります。

 

 今まで、キリスト教が永遠のいのちの対象の宗教だと思って来ました。しかし、聖書の最後の「ヨハネの黙示録」には、七つの御霊の教会のことがはっきりと書かれています。

 

 神の御座の前には七つの御霊がおられます。

 この七つの御霊が導かれる七つの御霊の教会が地上につくられるようなのです。

 しかも、七つの御霊の教会に所属する者がみな神の子どもになるのではなく、信仰の勝利者が天に迎え入れられるようです。

 

 イエス・キリストの教会なのではないのですか。

 十字架にかかられた神の子羊イエス・キリストを信じる人々が天の御国に入ると信じられているではないですか。

 新約聖書にはそう書いてあるではないですか。

 

 異邦人の使徒であるパウロは言っています。

 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から甦らせてくださったと信じるなら、あなたは救われるのです。

 人は心に信じて(神に)義と認められ、口で(イエスは主〈救世主キリスト〉ですと)告白して救われるのです。

 聖書はこう言っています。『彼(神の子羊イエス・キリスト)に(望みを置き)信頼する者は、失望させられることがない。(必ず約束のものを受ける。)』

 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主(救世主)であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

 『主の御名(救世主イエス・キリスト)を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」(ローマ10:9-13)

 

 イエス・キリストを主と告白して水のバプテスマ(洗礼)を受けた人々の集まるキリスト教会が救われるということではないですか。

 

 しかし、黙示録には、キリスト教会の救いのことに触れていません。それどころか、この世の終わりには、悪魔礼拝者の反キリストが治める十の国(おそらくイスラムの国)の力ある者たちによって、バチカンとローマ教皇が(カトリック諸国も含まれるのでしょうか)が火で焼かれ滅ぼされることが書かれています。

 

 神の御座の前におられる御霊が御救いの秘密を握っておられるようです。

 ヨハネが御霊によって見た栄光の主イエス・キリストは、右手に七つの星を持ち、七つの金の燭台の間におられました。

 

 イエスは、ヨハネに、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会であると明かされました。(黙示録1:20)

 

 神の御座の前には七つの御霊がおられ、栄光の主イエス・キリストは右手に七つの御霊の教会を守る御使いを持っておられます。

 そして、イエス・キリストの霊は、七つの御霊の教会の間を歩いておられるようです。

 

 天の御国に入るのは、この七つの教会のようです。

 キリスト教会ではありません。ユダヤ教のシナゴーグではありません。しかも、地上の地方教会のように教会の数が多いわけではありません。七つの教会です。

 

 ユダヤ教もキリスト教も目に見える組織体です。神道や仏教もまた、目に見える組織体です。

 神の御座の前におられる七つの御霊の治められる教会は、目に見える組織体ではありません。神の子羊キリストの右の手には、七つの教会の御使いがあります。

 七つの教会のために、人間の牧者がいるわけではありません。目に見えるかたちを持つ教会堂も指導者もありません。

 キリストが遣わされる七つの教会の御使いに助けられ、また、おのおのに分け与えられた御霊によって教えられ導かれる、霊的な教会です。

 

 キリストが命じられた、父が約束されたもうひとりの助け主「真理の御霊」を受け、御霊によって新しく生まれた(新生した)人々です。

 人間の教えではなく、真理の御霊が教えてくださる真理を受け入れ、御霊が思い起こさせてくださるイエス・キリストのみことばを愛して、御霊に聞き従う忠実な神のしもべです。

 

 それぞれに分け与えられた御霊が彼らの魂の牧者です。

 ある人々は、キリスト教会の中にいて、目に見えない御霊の教会に所属する者でありましょう。

 ある人々は、ユダヤ教のシナゴーグの中にいて、目に見えない御霊の教会に属する者でありましょう。

 ある人々は、仏教の教えの中にいて、目に見えない御霊の教会に加えられる者でありましょう。

 ある人々は、神道の教えの中にいて、目に見えない御霊の教会に加えられる者でありましょう。

 ある人々は、宗教に属さずして、目に見えない御霊の教会に加えられる霊性を持っているのでしょう。

 

 神は、それぞれの人の霊と魂を御覧になられます。霊とまことをもって、聖なる方(神の霊)を求める者に、神は出会ってくださるでしょう。

 

 天の御国に入り神の御前に立つとこしえの教会は、七つの御霊の教会です。

 イエス・キリストの御名を知っていても、イエスをわが主、神の御子キリストであると告白しても、聖書の神を信じていても、霊とまことによって礼拝しない者にはわかりません。

 

 御霊(永遠のいのち)は、霊とまことによって主を求めるきよい者のところに遣わされます。

 

 目に見えないところで、七つの御霊の教会は立て上げられるでしょう。神は隠されています。

 

 イエスは言われました。

 「まことに、まことに、あなたに告げます。

 人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

 肉によって生まれた者は肉です。(人間の教えによって回心し育てられた者は肉です。)御霊によって生まれた者は霊です。(神は霊です。天の御国も霊的存在です。永遠のいのちも霊的なものです。天の御国にはいる者は御霊によって、新しく生まれなければなりません。御霊によって生まれた者は霊だからです。)

 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたし(イエス・キリスト)が言ったことを不思議に思ってはなりません。

 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。(水のバプテスマのように、ほかの人に知られるようなものではなく、証明されるものでもありません。しかし、あるとき、御霊がくだって来られるのです。)」(ヨハネ3:5-8)

 

 御霊によって新しく生まれた者は、目に見えない御霊の教会に属する者となるのです。そして、御霊に教えられ、自分の霊によってそれを捉えて従ううちに、御霊によって養われ成長します。

 

 御霊の教会のメンバーが集まるのは天上においてです。おのおのが御霊に聞き従うならば、それぞれの祈りが目に見えない兄弟姉妹を互いに支え合うことになるのです。

 目には見えないけれども、御霊に聞き従って歩むうちに、同じ場所に向かって進んでいるのです。

 

 それは、目に見える組織体よりも確かなものです。それは、とこしえの教会なのです。