巷では、弥勒の世が来ると言われています。「弥勒の世」とは、今の世が悪い闇の世となり、大峠を越えて大建て替えがされると現われる、草木も喜ぶ新しい世です。
聖書を知る人々には、今の世の後に来る「千年王国」として知られています。千年王国が地上に建てられる前に、この世は患難時代をくぐり抜けなければなりません。
神に敵対する悪魔が働く人間の世界は、一度完全に悪魔の支配下に置かれます。光のない闇の中をくぐり抜けるのです。
弥勒の世、千年王国の希望はどこへ行ってしまったのでしょうか。世は悪くなるばかりです。希望はありません。死にたいと思っても、死ねません。死ぬことが許されないからです。
先に死んで行った人々のことをうらやむことでしょう。出口のない闇に迷い込んでしまったようです。
地震、雷、大津波、自然災害のありとあらゆるものに脅かされています。生き残ったことが奇蹟のようです。生き残りたいと願っていた望みがかなえられたにも関わらず、生き残ったことを悔やむような有様です。
世界の国々は、独立国家としての気力をそがれました。だれもが国に希望を持てず、救いを求めます。
中国共産党の支配に疲れました。国々の権力者たちは、その権威に迎合します。しかし、国民は救いを求めてわなないています。
常にイスラエルの地は狙われています。イスラエルの武力は、粉々にされます。
中国共産党の指導者が亡くなると、自由を求めて国々は立ち上がります。世界の国々は戦いを交え、とうとう、中東からひとりの指導者が立ち上がります。
聖書に預言されていた、憎む忌むべき者です。反キリストが現われたのです。
反キリストは世界に向かってメッセージを繰り返します。すべての国を一つの国のようにし、争いをなくそうというものです。皆が平和に安全に暮らすことのできる、新世界秩序を打ち立てます。彼の協力者として、世界平和を推奨するローマ教皇が立ちます。世界は惑わされます。
戦いに疲れ、進むべき方向を見失った世界の国々は、強い指導力があり確かな方向性を持つ力ある権力者を求めていました。国々は、反キリストのメッセージに耳を傾け、望みを持ちます。
自分の主義をしっかり持っていて、理論的にも確かで納得でき、感情をも引きつけるようなすぐれた巧言を使って語る、新しいこの指導者はヒーローです。
すべての国々の心をわしづかみにします。彼は名演説者なのです。
彼は、エルサレムの神殿の丘に、ユダヤ人たちがアブラハムの神の神殿を建てることを許します。モスクは移され、モスク跡に聖書の神の神殿が建てられます。
やはり、彼は、平和の君なのです。世界は、彼をほめたたえます。イスラエルも彼をメシアではないのかと思います。
彼は、表ではイスラエルの友となり、裏では十のイスラムの国の指導者たちの心をつかみます。彼が、ユダヤ人たちに第三神殿を建てさせるのは、イスラムの人々の心を一つとしてオスマン帝国の復興をもくろんでいるからです。
闇の世(大峠の世界、すなわち患難時代)の中では、残されている神の民(生き残ったユダヤ人とキリスト者)が神に立ち返っています。神が、この時のために、ふたりの証人を立て、また、十四万四千人のユダヤ人を立てて、ユダヤ民族十二部族の残りの者と、地上に生き残っているキリスト者たちの救いを完成させられるからです。
ユダヤ人たちが神殿を建て終えると、新世界秩序を打ち立てた指導者は、自分の目的を果たします。ユダヤ人やキリスト者を迫害して殺します。
神がふたりの証人に定められた三年半の時が満ちると、反キリストはふたりをつかまえて木にかけて殺します。ふたりの証人の仕える主イエスが十字架にかけられたように、彼らもまた、木にかけられて殺されます。
世界中の人々は、ふたりの死体を木にかけたまま、彼らが死んだことを喜び祝い合います。ふたりの証人は、世の人々が耳を塞ぎたくなるような、神の裁きのことばを語っていたからです。
すでに、異邦人の時は完成しています。世の人々は、いのちの書に名のしるされていない人々で満ちています。彼らは、死と裁きが定められている人々です。神のことばは、彼らにとって、救いではなく、裁きなのです。裁きのことばを語るふたりの証人は、憎むべき者なのです。
ふたりの証人を滅ぼすと、反キリストは、いよいよ本性を現わします。
イスラエルの君ミカエルに負けて地上に落とされた悪魔がエルサレムに洪水を起こすと、熱心なユダヤ教徒たちは神に導かれて、神が用意された荒野に逃げ、そこで、三年半の間、神に養われます。
モーセの時代、イスラエルが荒野で養われたように、神は、荒野で、パンと水を与えて養われるのでしょう。
荒野で匿われるユダヤ教徒のユダヤ人たちは、先祖たちが十字架につけたイエスがメシアであることを悟ります。
預言者ヨナが大魚の腹の中で悔い改め、神をほめたたえたように、三年半の間神に養われるユダヤ教徒のユダヤ人たちは、自分たちの不信の罪を悔い改め、神の子羊イエスに敵対した背きの罪を悔い改めて、神の子羊イエスゆえに神をほめたたえる新しい人に変えられます。彼らは、御霊の新しい創造を受け、御霊の教会の人に造り変えられるのです。
さて、地上に投げ落とされた悪魔は、反キリストに権威を授けます。反キリストはもはや人間ではありません。人間の姿をした獣なのです。
反キリストと十の国の王たちは、イエス・キリストの名を呼ぶローマ教皇とバチカンを焼いて滅ぼします。
ユダヤのダン部族から出た偽預言者にも、悪魔の権威が授けられます。二匹の獣によって、世界は支配されます。
反キリストと偽預言者は、世界の人々に悪魔礼拝を強要します。いのちの書に名のしるされていない世の人々は、彼らに従います。
反キリストは、ユダヤ人たちが建てた神の神殿に立ち、自分を神とします。
偽預言者は反キリストの像をつくり、ユダヤ人たちに拝ませます。拝まない者はみな、殺されます。
また、偽預言者は、人々に反キリストの刻印を押します。この刻印のない者は、売ったり買ったり社会生活をすることができません。刻印を拒む者はみな、殺されます。たとい、刻印を逃れて生きても、売り買いできないそれらの人々は飲み食いできず、死ぬしかありません。
世から、ユダヤ人もキリスト者たちもいなくなりました。
生き残っているユダヤ教徒のユダヤ人たちは、神に隠されています。三年半の時が満ちると、彼らは「主よ。来てください。」と天に向かって叫び、彼らの叫びに答えて、神の子羊イエス・キリストと天の軍勢がやって来ます。
地上では、反キリストと偽預言者のふたりと、悪魔が集めた地上の王たちがイスラエルのメギド山(ハルマゲドン)に集まります。王の王主の主であるキリストと、天の軍勢が応戦し、キリストが勝利を取られます。
反キリストと偽預言者との二匹の獣は、生きたまま火の池に投げ込まれます。そして、悪魔に従った十の国の人々を絶滅し、十の国は滅ぼされます。
悪魔は縛られ、千年の間、底知れぬ穴に閉じ込められます。
大峠の時が終わり、大建て替えの弥勒の世が現われます。悪魔も悪霊どももいない新しい世界です。神代と言われる、草木も喜ぶエデンの園の回復です。
聖書に約束された千年王国が始まります。すべての聖徒たちは死から甦って、約束の千年王国を味わうのです。
千年王国は、千年間の期限つきの世界です。永遠の世界ではありません。すでに完成された御霊の教会の人々は、永遠に生きる新しい御霊のからだを受けて暮らします。
千年王国では、神の子羊イエスの主権を祝う者たちが都にやって来ます。いのちの書に名前の書かれている人々は、都の門にはいり、都にあるいのちの木の実を食べて、御霊の教会に加えられます。
いのちの書に名の書かれていない人々は、都の門にはいることが許されません。都は厳重に守られています。
千年の間に、残りの民が集められ、彼らはいのちの木の実を食べて、永遠のいのちを得ます。こうして、千年王国の終わりに、七つの御霊の教会が完成します。
永遠のいのちを得たとこしえのイスラエルの王(イエス・キリスト)の真実な聖なる国民が完成すると、神は、千年の間縛られていた悪魔を解き放たれます。
悪魔は、四方の国々を巡り、いのちの木の実を食べることの許されない不真実な者たち(いのちの書に名のない者たち)を集め、都を取り囲みます。
すると、天からの火で、彼らは焼き尽くされます。
こうして、神に立ち返ることなく、神とひとつにならなかった者はみな、死から甦って、白い御座の裁きにより、悪魔のために用意された永遠の火の池に投げ込まれます。
千年王国は、七つの御霊の教会を完成させました。七つの御霊の教会は、天の御国にはいる神の子どもたちです。
弥勒の世が最終目的地ではありません。千年王国が神の約束の地ではありません。そこは、とこしえの御国に向かう者たちの仮庵です。
神は、神の子どもたちに、新しい天と新しい地のとこしえの住まいを用意しておられます。
「見よ。まことにわたし(神)は新しい天と新しい地を創造する。
先の事は思い出されず、心に上ることもない。
だから、わたし(神)の創造するもの(新しい天と新しい地)を、いついつまでも楽しみ喜べ。」(イザヤ65:17,18)
「私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(ペテロ第二3:13)